Web版 有鄰

466平成18年9月10日発行

[座談会]反骨の作家・坂口安吾 生誕100年にちなんで

作家/出口裕弘
関東学院大学教授・文芸評論家/富岡幸一郎
ライター・本紙編集委員/青木千恵

左から富岡幸一郎・出口裕弘・青木千恵の各氏

左から富岡幸一郎・出口裕弘・青木千恵の各氏

はじめに

青木『堕落論』で知られる作家、坂口安吾は、明治39年(1906年)10月20日、新潟市の生まれで、今年で生誕100年を迎えます。本名は坂口炳五で、父は、衆議院議員で新潟新聞社社長を務めた坂口仁一郎。13人兄弟の12番目で、東洋大学でインド哲学を、アテネ・フランセでフランス語を学びました。24歳で、短編小説「木枯の酒倉から」を発表し、続く「風博士」「黒谷村」で、新進作家として文壇に認められました。

安吾の文学は、卓越した洞察力と強靱な反骨精神から生み出されました。女流作家、矢田津世子との“観念の恋”を経て、昭和13年、全青春をかけて大作『吹雪物語』を完成、戦後は小説、批評、エッセーを猛然と書きました。特に、21年発表の『堕落論』で、<戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり──堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない>と叫び、敗戦で意気消沈した社会に衝撃を与えました。

『堕落論』が有名すぎて、陰に隠れていますが、「桜の森の満開の下」「道鏡」「夜長姫と耳男」などの物語・歴史小説も秀作ぞろいで、22年発表の『不連続殺人事件』で、探偵作家クラブ賞を受ける一面もありました。

30年、群馬県桐生市の自宅で脳出血を起こして、48歳で急逝しましたが、生誕100年を機に、新潟市が“安吾的精神を持った”個人や団体を顕彰する「安吾賞」を今年創設するなど、再評価の気運が高まっています。

『坂口安吾 百歳の異端児』・表紙

『坂口安吾 百歳の異端児』
新潮社

本日は、最新評伝『坂口安吾 百歳の異端児』を7月に刊行された、作家でフランス文学者の出口裕弘さんと、日本近現代文学、キリスト教文学がご専門の、文芸評論家の富岡幸一郎さんにご出席いただき、安吾について、お話をうかがうことにしました。

出口さんは、平成4年まで一橋大学教授として教鞭をとりながら、翻訳、小説、エッセーを多数発表され、平成11年に『辰野隆 日仏の円形劇場』を出されてからは、14年『三島由紀夫・昭和の迷宮』、16年『太宰治 変身譚』と、ここ数年、評伝文学を続けて刊行されています。

今回の評伝では、新潟を訪ね、安吾が残した文学を改めて読み解いて、100年前に生まれた作家の全体像を小説家の視座から描き出しています。

富岡さんは現在、関東学院大学教授で、昨年創刊の論壇誌『表現者』の編集委員代表も務めておられます。『仮面の神学 三島由紀夫論』『内村鑑三』などの著作があり、出口さんの評伝文学を面白く読んでいらしたそうです。

苛烈で、洞察力に満ちた先輩文学者

青木出口さんは、これまで太宰治や三島由紀夫を書いてこられて、今度の坂口安吾はどのようないきさつで取り組まれたのですか。

出口太宰の後も、三島を書いたときも安吾のことはいつも頭にありましたね。でも、安吾をまとめて書く気は全くなかった。30年前に1回、12、3年前に3本続けて短い安吾論を書いて、そのあとここ10年ほど全く書いたことがないし、もう済んだと考えていたんです。

ただ、太宰が終わって、さて次の本と思ったとき、誰か中心に面白い人間がいなければだめだ、そう思って、あれこれ思案したけど、浮かんでこない。芥川でもない、谷崎でもない。どうしても決まらなかった。それが、去年のある朝、目が覚めたら頭の中が安吾でいっぱいになっていたんです。

それっきり安吾一色になっちゃった。それから読む、調べる、下書きをつくるという段階があって、結局、書き始めたのが7月でしたが、夏の暑いのも全く苦にならず、毎日、毎日書いて、近所を散歩してまた書いて、年を越して1月の初旬、ぱたっと終りました。去年の2月、安吾を書こうと決めたのが、日記で確かめると18日の朝なんですが、何日かたって年譜を見ていたら、2月17日が安吾の没後50年の祥月命日なんですね。エーッと思った。

ただの偶然の一致だと、自分に言い聞かせながら仕事を進めたんですが、ついにこれは安吾が夢魔になって、「おまえ、やってくれよ」と言ったのだと思うようになった。眠っているうち安吾が僕の頭の中に入ってきたんですよ。

太宰治と比較して安吾を評価していた三島由紀夫

青木富岡さんは、出口さんの三島由紀夫や太宰治の評伝を随分読んでらっしゃいますね。

富岡『三島由紀夫・昭和の迷宮』を、非常に面白く読みました。出口さんは三島は絶対お書きになるだろうと、一読者として予感があった。それから、三島を書けば、そのリアクションで太宰に行くだろう。ですが、次に安吾というのはちょっと思い浮かばなかったんです。

出口坂口安吾には長いこと人生の指南役としてつき合ってもらいました。苛烈で、洞察力に満ちた先輩文学者として、僕はこの人からたくさん栄養を吸収した。それで満ち足りていたんですね。安吾は好きだけれど、悪い意味じゃなく、改めてつつくまでもない相手だと思っていた。

富岡三島が、太宰と安吾を比べていますね。太宰がもてはやされているけれども、安吾のほうが重要なんだということを、葉っぱが沈むというような比喩を使って書いている。

出口石が流れて木の葉が沈む。

富岡三島はやっぱり安吾を評価していたんだと、はっと思った。それが印象に残っていて、出口さんに三島、太宰、安吾がトライアングルとしてあるのかなと思い込んでいた節もあるんです。

『太宰治 変身譚』(飛鳥新社)では、出口さんの文章が太宰という対象によって変わっていく。変幻自在の、非常に天才的な語り手である太宰治を料理する批評家側の、スタイルの自由さ、しなやかさとを感じていたんです。

今度の作品は、三島とも違うし、太宰とも違う。安吾との距離もあるし、近づこうとすると向こうがまた離れていくとか、あるいは意外なところで遭遇したりという面白さがある。この3人の対象の違いと、それを論じる出口さんの文章の味の違いみたいなところを面白く読みました。

出口そういうふうに読んでもらうとうれしいですね。

乱反射して核心が取り出しにくいやっかいな相手

出口安吾というのは大味な人で、最初の一行から大きなことを言って、後で収拾がつかなくなる。黒衣に徹して少しずつ物語をつむぎあげていくということをやらない。

何でも、俺はこう思うとすぐ書いてしまう。そのあげく話の運びも論旨も乱れに乱れて、石も玉もごちゃごちゃになるんですよ。

富岡多面体というより、やたら乱反射して中心部が見えにくいところにぶつかる。一編の小説でも、エッセイでも、途中で乱反射するじゃないですか。

出口自分でしちゃう。

富岡批評家の側から言うと、核心部がすごく取り出しにくいというか、統一的なことをこっちに言わせない、非常にやっかいな相手という感じがあるんですね。

2005年に『文学界』で何人か書いていますが、皆さん、安吾の一貫性みたいなものを読み取ろうとしている。柄谷行人さんは、安吾はアナアキストであるとか。確かにそうも言えるけれども、言い切ってしまうと、また全然違った安吾があっちこっちに立ちあらわれてくる。出口さんは、言い切れないというところから出発して書かれた。

手の内をさらけ出さないと近づいてくれない

出口小林秀雄も安吾に敬意を払っている。野坂昭如もほめるし、中上健次も熱狂的な安吾ファンでしょう。三好達治は友達で、檀一雄とか、交遊録はたくさんあるのに、安吾論を全面展開した本というのは、僕の知るかぎりないんですよ。

つまり、みんなよくわからないまま終わっちゃうんだと思う。途中でやめちゃうんですよ。読めば読むほどわからなくなっちゃうところが安吾にはあります。

だから僕は、正体いまだ知れずから始めた。どういうふうにわからないかということを全部露呈させようと思ったんです。僕はここまでわかったけれども、皆さんどうですか。一緒に考えましょうよ、と。手の内を全部さらけ出さないと、この偉大なる変人は寄ってきてくれないなと思った。

富岡出口さんの安吾に対する思いというのは、太宰とかと同じように、底流にずうっとあったんですか。

出口もっと親しい感じですね。とんでもないことを言ってしまう。危ない。しかし強烈な洞察力を持った伯父貴[おじき]という感じで、いつもこの人の提言、科白が頭の中にあった。そういう人です。

富岡洞察力はすごくありますね。その鋭さはすごい。

出口魔物の目で人間を洞察した人だと思いますよ。

政治家を父に、13人兄弟の12番目に生まれる

編集部坂口安吾は新潟生まれですね。

出口お父さんは政治家であり、実業家でもあって、漢詩人でもある。大インテリですね。お母さんの実家も今でも五泉市に大邸宅が残っているような家で、すごい血筋なんです。

だけど、13人のうち12番目というと、太宰もそうだけれど、ちょっと僕には想像もつかない昔の日本の家の大変さというのがある。特に、下のほうに生まれて、凡庸な人間なら別に問題はないんですが、天才的な頭脳を持っていると、随分屈折して、彼の魔物じみた頭脳を形成するのにもあずかっていると思いますね。

富岡太宰は、家への反発というのがありましたけれども、安吾にもそういうものは強くあったんですか。

出口太宰との徹底的な違いは、生まれ育ちに階級的な罪悪感を持たなかったことなんです。安吾には、罪悪感はない。だから一回も左傾したことがないんですよ。

太宰治は家柄や、父親、兄貴たち、いろいろあるじゃないですか。旧制高校時代に、文芸誌に左翼小説をいっぱい書いている。安吾はそういう太宰とは出発からして違う。

外国文学を読みパーリ語、ラテン語、フランス語を学ぶ

出口熱心に読んだのはモリエール、ラ・ファイエット夫人、17世紀、18世紀のフランス文学をよく読んでます。19世紀ならもっぱら恋愛心理小説。それと別格にバルザックがいて、ロシアにチェーホフとドストエフスキーがいて、というのが安吾の場合なんですね。チェーホフも本気で読んでいます。

富岡日本の明治以降、近代の文学者でもこれだけ外国文学とか文化を勉強して受容したのは珍しいですよね。

出口受容というより血肉化しているんですよ。学者になる気も批評家になる気もない。専ら小説を書くしか一生を考えていませんから、血肉化する、栄養を摂取するという読み方で、僕は好きだな。

編集部そういう知識はどこで学んだんでしょうか。

出口新潟中学をやめて東京に来て、護国寺境内にあった豊山[ぶざん]中学で英語は一生懸命やったでしょうが、やっぱり東洋大学じゃないですか。一回、代用教員をやって、翻然、目覚めて、事もあろうに印度哲学科に入る。そこの先生なんかのことが、昭和14年の『勉強記』で抱腹絶倒の痛快小説になっている。これは本当に傑作です。

そのころ交通事故にあって外傷性うつになり、それを治すためと称して、パーリ語、ラテン語、フランス語、英語をやった。

放浪癖があり昭和15年からは小田原に住む

編集部安吾はいろいろな所に住んでますね。

出口安吾の実家のあたりは新潟市の高台の高級住宅地で、今でも、おーっと息をのむような大邸宅がたくさんあるようなところなんです。

ところが、信濃川の方までくると、安吾のころは鉄工場がたくさんあって煙突が林立して、北の方は港でしょう。荷揚げ荷卸しでガサガサの新開地都市だったんです。長岡や直江津と違って殿様がいなかった。謙信とも関係ない。

何代もの血が続いているという深い歴史のなかに建っている街ではなかった。新興都市の特殊な感じがあったと思う。そういう出身の人として東京に出てきて、いわゆる一等地に住んでいないんです。安吾が住んだのは、蒲田、池袋、取手とかで、一種の放浪癖と、家柄はいいのに、品のいい、聞こえのいいようなところには住まない、そこが僕は、好もしいというか面白いと思う。何かいつもうらぶれていて、がさつで、変な女と一緒にいる。

編集部小田原にも住みましたね。

出口安吾と同時期ではないですが、小田原には牧野信一がいて、彼が『風博士』を激賞したことが、文壇デビューのきっかけになった。

安吾は昭和15年から早川の土手より低い所に住んでいて、大洪水にあったりしている。小田原のよさを満喫しているというより、流浪した宿泊地という感じがしますね。

フランス文学は原語で読んでいた

富岡安吾はすごくフランス語を勉強したんですね。関井光男さんが、アテネ・フランセでは学生服を着てまじめに一生懸命勉強して、レベルも高くまで至ったと書いていた。

出口最後は会話も相当のところまでいっていると思いますよ。手紙なんかにアンドレ・ジードの一行を引用する、その解釈が、文法的にもいいかげんな読みじゃない。この人の頭はすごく外国語向きにできていた。

フランス語で読んでいるんですよ、ヴォルテールの『カンディード』も、ラ・ファイエット夫人の『クレーヴの奥方』も。

僕が感動したのは、そのころは翻訳どころか、日本で読んでいる人がほとんどいなかったはずの、ラクロの『危険な関係』のNRF版(ガリマール社発行)の原書をいつもいつも持ち歩いて、それが小田原にいたとき、早川の大洪水で流されちゃった。無念残念と書いています。

富岡三島はドイツ語で、フランス語はやっていないですね。安吾がフランス文学をがっちり読んでいたというのは、非常に面白い。

出口それより先に英語をマスターしていて、翻訳がないころのエドガー・アラン・ポオを、原語で読んでいる。

富岡これは翻訳で読んだのでしょうが、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』は、安吾の文学観を決定したところがあると思うんです。彼はそういう文学的教養を持っていた。文学的な高い理想があったんでしょうね。

出口ヨーロッパ的な意味で高い。万葉集的、新古今的ではないんですよ。日本の伝統文学に対して点がからいでしょう。日本文学を嫌ったはずはないんだけれど、あの人の頭の中にあったのは、やっぱり18世紀から20世紀のロシア、フランスでしょう。ドイツはあんまり感じない。

フランスに行ったらフランス語の表現者になれたはず

富岡出口さんの仮説で、安吾が、もしフランスへ留学したらどうだったろうかというのも面白いですね。実際にお母さんが、安吾を留学させようかと真剣に考えたことがあったらしい。

出口安吾のフランス語力は、日本では抜群だったと思う。しかし仏文で秀才というのは、フランス語がよくできて研究業績が抜群という意味でしょう。安吾はたとえばフランス・ルネサンスの研究で一生を終える、という人じゃない。研究者の「け」の字もありゃしないんです。そんな一歩引いたような男じゃなかった。本当にフランスへ行っちゃったら、すぐに女ができたでしょうね。

青木それで、住みついちゃうかもしれない。

出口決まっていますよ。そうなったら急速にフランス語の表現者になれたと思う。そういう人は日本ではほかにいない。フランスが好きでたまらないとか崇拝してるとかいうんじゃなくて、フランスに一体化しちゃう。

富岡彼の中には西洋にあこがれとか、あんまり感じないですね。永井荷風のフランスとはまた違っている。

出口三島が、日本の「おフランス」の元凶は荷風だと書いてますよね。『ふらんす物語』がそういう風潮の源流だといってます。安吾は全然おフランスの徒じゃない。

芹沢光治良もいるけれど、あくまで、日本の作家でしょう。絵かきの藤田嗣治みたいになる人は文筆家ではいないんです。それほど日本語のしがらみは大きいんだと思う。

日本という枠組みを超えた『日本文化私観』

『日本文化私観』・表紙

『日本文化私観』
講談社文芸文庫

富岡安吾は日本とか、何かの枠組みを超えているところがありますね。型にはまらないというか、おさまらない。

出口完全に超えている。だって万葉がだめで、古今がだめで、実朝がつまらなくて、江戸文学もオール否定、漱石、何だあんなもの。鷗外なんかつまらない。藤村は偽善者、横光利一もだめ、川端がだめ、誰もいないんですよ。

富岡法隆寺を停車場にしろとかね。ただ、日本に対してのこだわりはものすごくありますね。どこかで日本というものに、すごく執着している。

出口もちろんそう。骨の髄まで日本人ですよ。特に戦争中ね。

富岡昭和17年の『日本文化私観』や、戦後の『堕落論』も、そういう中から出てくるんだと思うんです。

出口ブルーノ・タウトが日本に来て、新潟市を世界で一番醜い街だと言った。それで頭にきて『日本文化私観』を書いた。

欧米崇拝者ではないんですよ。それでいて、日本のわびさびにはまるで見向きもしない。日本人の、僕なら当然受容できるような、京都に行ってお寺を見たとき、どこかの庭を歩いたとき、桜の花を見たときのエモーションがあるでしょう。それを共有したくないという突っ張った人ですね。

富岡空襲で焼けた街よりも、そのまま残った街のほうがみすぼらしいと書く。

出口戦後すぐに日本を歩いて「焼ける前はとてもよかった」なんてうそだと言う。民衆の住みかは、ひしゃげたような木造家屋ばかりで、いずれは地震でつぶれるか火事で焼けるかだった。東京で言えば、どぶとハエとカとノミと、それが我々の暮らしだったんですが、みんな口をつぐんでいるのが気に入らない。よせばいいのに、安吾はそれをまた一々言うんですよ。

私小説家を超えたもっと危ない人

富岡でも、いわゆる言いたいことを正直に言っているというのとも違いますね。

出口そういうんじゃないと思う。

富岡出口さんはブリュット(BRUT)というフランス語を使っておられて、語源はラテン語で野蛮なとか、粗暴なぐらいの意味で、今はナマのままとか自然のまま、ナマなという訳語で、安吾はナマな自分を本当に白日の下にさらけ出す。それは徹底していますね。

出口自分を題材として、生贄にほうり出す。さらさずにいられない。しかも、それがいわゆる作家の誠実なんてものじゃなくて、そうしなければ生きていられなかった。私小説家を超えた、もっと危ない人です。

志賀直哉みたいな、日本的な私小説の系統を行くのはいやなんですよ。私小説は日本の特殊な芸の一つと思っているから。

富岡そういう芸の箱庭みたいなものはぶっ壊せという感じがありますね。私小説という形ではナマな自分を全然出していない。

出口そうですね。

自在な文章で描いた3つのファルス

富岡本当にナマというか野蛮と言ったらいいか、しかも、こういう日本語って余りないんじゃないかというような日本語で、時にすごく荒く書いたりしたものがあって、暴走したりもする。

ただ、それとはまた別に、自分というものを描くときに私小説でもないし、もちろん自然主義とか、藤村とかとも違う、虚構も含んだ日本語でそれをやってみせたというのは、ちょっとほかにないんじゃないかという感じがする。

出口いないでしょうね。

富岡彼の手はすごく動いたし、時期はいろいろあるにしても、ある時期集中して小説としてものすごく面白い、あっと言わせるようなのを書いていますね。

出口うまいのがたくさんあるんです。切支丹物もうまいし、それから説話物が幾つかあるでしょう。驚嘆するほどうまい。僕が一番感動したのは、『勉強記』と『総理大臣が貰った手紙の話』と、最後に精神病院が舞台の、我が輩には予知能力があるという奇妙な男の話『盗まれた手紙の話』、この3つのファルス、笑劇です。昭和14、5年に書いたこの3編の文章の自在さ、うまさ、笑わせるところは目一杯笑わせる、その上でぞっとさせる。大傑作です。

不毛に終わった矢田津世子との恋

富岡出口さんのご著書の中では、矢田津世子とのかかわりは一貫して底流にありますね。安吾は本当にほれていたんでしょうか。

出口とりつかれていたと思いますよ。男顔の美女だと言う。原節子に似ていて、きりっとした秋田美人で。

富岡そんな超美人じゃないですね。(笑)

出口全身これ性的魅力というような人じゃなかったでしょうね。一種の厳しさを身に備えていて、男としてちょっと手は出せないなという感じです。

自分で言ってますが、秋田弁をとやかく言われたくないから自然、無口になって、無駄をきかない。そういう人だけど頭脳はすごく明晰で、モダニズムの短編をどんどんこなし、そこから左傾していって、さらに本格的フィクション作家へと脱皮して、昭和19年に肺病で死ぬ。ストレプトマイシンが間に合って、もし、死なないでいたら、この人は戦後、間違いなく大家になっていたと思う。

観念の操作にもたけていて、いわゆるうまい、生活密着派の作家じゃなくて、別世界構築型の、知力優先派ですよ。そんな人に手は出せませんよ。過激誠実派の安吾が、不毛の恋に終わったのは当然です。

そのうえ、憎いことに昭和11年に自分と別れたあと、彼女は急成長して、次々に話題作を出して、数年で文壇を制覇した。長編小説も出している。映画化もされている。さっぱり文名のあがらなかった安吾は、いても立ってもいられなかったでしょうね。

戦後は流行作家となり、大量に作品を発表

青木戦後、安吾はたいへんな流行作家になっていきます。

富岡ものすごい大量生産に入った。

出口まさに超人的ですね。たとえば筑摩書房の文庫版は18巻ですが、そのうち3分の2が戦後のものです。何万枚と書いている。原稿を断ったことがないらしいですね。

ただ、戦後にわかに安吾、安吾と言われたのは周りのやったことであって、安吾には罪も手柄もない。戦争中、一流の仕事をした人ですからね。みんながシンガポール陥落で騒いでいるとき、あの『日本文化私観』を書いたんですから。

およそ日本の文芸ジャーナリズムが受容するはずもないことばかりを考えていたし、何より、あの3作の高級ファルスを書いた。今だってみんな「何、これ」って言うありさま。安吾ファンでも、あの3つを正当に評価している人はいないんですよ。気の毒にあの人、「この国じゃ俺はだめだ」という恐ろしい挫折感に襲われたじゃないかと思うな。

青木出口さんがお好きなのはその頃の短編ですか。

出口ファルスの3作を別とすると、僕がいまだに暗唱するぐらい好きなのは、昭和21年ごろ、はっきり言えば二流紙、三流紙に書いた、11編ほどのすさまじいナマな自伝ものです。「この女は昔は女郎であった」なんて、他の作家には、絶対、書けないと思う。荒涼というしかないでしょう。しかし、深い悲しみがひしひしと伝わってくる。そのあたりの短編が僕は好きなんです。

GHQの検閲で削除された『戦争と一人の女』

富岡『戦争と一人の女』はGHQの検閲でひっかかって削除された。なぜ削られたかというGHQの資料を見たら、要するに軍国主義的だという変な理屈なんですね。

出口軍国主義じゃないんだけどね。

富岡戦争をしゃぶり尽くしたいとか、もっと戦争でぐちゃぐちゃになればよかったというのと、娼婦上がりの女との関係ですね。

安吾には、「女」というのが一つのテーマとしてあり、「戦争」というのがあそこでがっと出てきて、そんなに長い作品じゃないけれども、ものすごく昇華して出てきた感じがします。

出口強烈ですね。文芸作品としていい、悪いというのを超えているところがあると思う。私小説でも、告白録でもない、何かとてつもなくナマなものが、ごろっと出ている。

それでいて、『戦争と一人の女』がGHQの検閲で削られたら、語り手をぱっと女に変えて、裏側から書く。凄腕の持ち主なんですよ。

文章もうまい。太宰に匹敵するぐらい、ほれぼれするほどうまい。それが、突然カーッとなって、ドストエフスキー的、あるいはラディゲ的野心作になると、何を言っているかわからなくなっちゃう。その点、むしろ愛すべき人だと思うけれどね。

最後の十数ページが感動的な『恋をしに行く』

青木出口さんは昭和22年の『恋をしに行く』も、一押しの作品として挙げられていますね。

出口僕は雑誌初出のときに、18歳で読んだんです。フランス語では、きょうも寒いと言う意味で、きのうは寒かったが、きょうはより少なく寒くはないと言う。それをそのまま、より少なく愛しているわけではないというふうに安吾は書いているんです。そんな日本語はないじゃないですか。それほど、頭の中でフランス語が動いちゃっている。それが露出して、フランス語を日本語に直しているみたいな、回りくどい、たどたどしい、ぎくしゃくした文章で、でき損ないの観念小説というほかないのに、最後、セックス・シーンを十数ページ書いてあるんですが、急に魔物にとりつかれたようによくなる。悲劇的というか、とにかく感動的ですね。僕は涙を流しました。

富岡60年後の今も泣けますか。

出口いまでも涙腺が緩む(笑)。

小林秀雄は坂口安吾を理解し見抜いていた

富岡小林秀雄と安吾が昭和23年に対談していて、なかなかの名対談なんです。安吾は『教祖の文学』で小林秀雄を批判した。小林秀雄は批評家の大家になって骨董の美とか言っている。それは一体何なんだ。そんなのは文学でも人生でもないと書いた。

出口かみついた。

富岡これは当時、結構話題になって、その後に小林秀雄と対談したのが『伝統と反逆』で、ものすごく面白い。

小林秀雄もさすがで、坂口安吾という作家を本当によく理解しているんですね。あなたは観念を実に見事に描いていると言うし、たとえば『木枯の酒倉から』も観念小説だと言っているんです。それは悪い意味じゃなくて、本当にすごいとはっきりと認めている。それからもう一つ、観念小説だと言った後に小林が、「僕は君の小説は一種の批評であり、エッセイだと思う」と言っているんです。小説の中に批評がある。これは小林が安吾をすごく評価しているし、見抜いていたと思うんです。

出口そうですね。

富岡『堕落論』も小説として読める。どっちかというと小説と批評と、分けて考えるじゃないですか。そういう枠組みも安吾は悠然と乗り越えて行っているという感じがしますね。

キリストへのシンパシーはなかった

青木宗教とかキリスト教的な部分を安吾はどのようにとらえていたんでしょうか。

出口太宰みたいにキリスト本人への強烈なシンパシーがあったとは思いません。切支丹物も極悪の歴史をたどるための舞台ですから。ただ、穏やかなカトリックじゃなくて、ロシア正教の極端なほうだったら、意外と引き込まれたんじゃないか。『カラマーゾフの兄弟』のアリョーシャを書きたいと思って書けなかった人ですからね。

富岡小林秀雄も、安吾はアリョーシャを書きたいんじゃないかと言っていますね。

出口そうでしたね。

富岡アリョーシャは、ドストエフスキーの善の一つの幻というか、極限みたいなイメージがありますね。安吾にも地獄と天国とか、神様と悪魔というところを行き来しているようなところがあって、『私は海をだきしめていたい』の冒頭にも出てきますが、そういう意味では本当に善の極致みたいなものをどこかでとらえたいというのがあったのかな。

出口ドストエフスキーだってアリョーシャを本当に書き尽くしているわけじゃないでしょう。ネガティブなものを詰めていって、最後にアリョーシャが出てきたけれど、書ききれていないと思う。できるわけないよね。でも、安吾はそれを書こうと思った。

富岡しかし、書けなかったんですね。

出口書けない。昭和25年に読売新聞に連載した、『街はふるさと』に、善意のかたまりみたいな青年が出てくるんですよ。だけど、全然だめですね。ドストエフスキーどころじゃなくてお粗末でね。でも、彼の観念の極致としてはアリョーシャがあったし、そういう意味では極端なロシア正教には、この人は傾きがあると思う。

富岡日本からももちろんはみ出しているし、ヨーロッパのキリスト教とも違う。

戦争の中の人間の極限を見てみたい

富岡安吾は日本の15年戦争をバルザック並みの構想で描き切るという考えは持っていたんですか。

出口そういう気持ちがあったでしょうね。反射的に思い出すのは、大岡昇平なんですが、寺田透さんが、大岡さんという人は、好戦的という意味じゃなくて、戦争が好きだった人だと言うんですよ。『野火』も『俘虜記』も戦争がなきゃ書けませんからね。それを戦争が好きというふうに言ってのけたのは、寺田透しかいなかった。

安吾も戦争をまるごと取り込んだ小説を書こうとした。今のミサイル戦争じゃしようがないですが、人間劇の極限としての戦争を書き切る気はあった。

富岡安吾があの戦争について書けば、全然違った作品ができたんじゃないかという気がするんです。僕は特攻隊のことを調べていて、『特攻に捧ぐ』という安吾の文章を見つけて読んで、びっくりしたんです。どこかで引用しようと思っていたんですが、ついにできなかった。つまり、よくわからないぐらいに、安吾自身がいろいろなことを言っている。

出口混乱しているんですよね。

戦闘そのものでなく銃後の惨憺たる人間劇を描く

出口戦争といっても、安吾は戦地には行っていないから銃後を書くしかないんですね。銃後の惨憺たる人間劇。たとえば、国民酒場に行列をつくってお酒にありつくために、示し合わせて場所とりをしたりする。そういう銃後のどん底話をいっぱい書いている。それと、女の絡み。しまいには空襲で死ぬこととセックスが一体化してしまう。

ただ、彼も戦後、いろんなことを求められて書いているうちに、自信があったのか3,000枚の大長編小説を書くと新潮社と約束した。3,000枚なんて言わないほうがいいんですよね。結局、500枚しかできなくて、それも男がスキヤキを一貫目食うという話だけで何十ページもある。

結局、わけのわからないところでポツンと終わっちゃっている。おまけに、差別用語がごまんとでてくるんです。ここで口に出せないような言葉の氾濫。『火』という未完の大長編なんですがね。

富岡爆撃の中で、幼児の目が開いているという描写がありますね。

出口あれはとてもいい文章ですね。

富岡安吾じゃないと書けないところかなという感じですね。戦闘そのものじゃないんですけどね。

大岡昇平や堀田善衛とは違うけれど、戦争が人間にどういう変化をもたらし、何を与えているのか。その人間の姿ですね。それが断片的にはすごくよく書けている。

出口それは戦後の短編物でしょうね。最後の未完の大長編の数百枚の中には、満州事変あたりから後の、もしかしたら玄洋社の頭山満かもしれないような、あるいは北一輝かもしれないような人物が出てくる。あるいは二・二六事件もという形の昭和史みたいなのも狙っていたらしい。

富岡それが出たら、面白かったでしょうね。

出口面白かったと思いますね。

『堕落論』だけでなく、いろいろな作品を

『堕落論』・表紙

『堕落論』
新潮文庫

青木安吾は、今もまだまだ読まれている。若い読者も、ついているようですね。

出口でも、読まれているのは、今でも『堕落論』と『白痴』ばかりですよ。だいたい、ほとんど文庫になっていないでしょう。非常に少ないですよ。

青木新潮文庫、角川文庫などで数冊と……。

富岡講談社文芸文庫でも数冊出ていますけどね。

出口いずれにしても、太宰、三島みたいに作品が流布している人じゃないよね。僕は今度の仕事のために新全集を読みましたが、半分は苦業でしたね。『吹雪物語』なんか、登場人物が何ページも大演説をぶつんですから。もうやめてくれよという感じでした。

宮沢賢治の「眼にて言ふ」に心を揺るがされる

講談社文芸文庫

講談社文芸文庫

青木私は昭和22年の『教祖の文学』のなかで引用されている、宮沢賢治の「眼にて言ふ」という遺稿に非常に涙してしまいまして。すごいと思いましたね。宮沢賢治が、どくどくと血を吐いて、「どうも間もなく死にさうです」と言いながら、青空を見ている。

出口あれは泣ける。「だめでせう とまりせんな」というやつね。安吾はラフな人だから、よく写し間違いをするんですが、あれは間違えていませんよ。本当に必死で写していますね。

安吾が他人の作品で本当に心を揺るがされたのは、この「眼にて言ふ」でしょうね。安吾がわからなくなったら、この詩に戻ると、ぱあっと見えてくるものがあると、僕は思う。賢治の詩も半端じゃないですね。読むたびに鳥肌が立つ。

ジャンル混交の完全発表年代順新全集

『坂口安吾全集』・画像

『坂口安吾全集』
筑摩書房

富岡安吾にはこれだけさまざまな作品がある。それが通路になって、いろいろな風景というか、ヨーロッパの文学から宮沢賢治まで、ずうっと出てくるというのは面白いですね。

出口大学時代の印度哲学についての初期の論文だって半端じゃないですからね。

筑摩書房版の新全集は大判で17巻です。あけると、まっさきに東洋大学時代の唯識論かなんかの論文が2、3編あって、それから翻訳があって、突然『風博士』になるのかな。

とにかく、小説、評論と分けずに発表年代順に並べてあるから、最初は戸惑う人が多いでしょうね。これが小説家の全集なのかと面食らっているうちに、だんだん引き込まれますね。見事な編集だと思います。

心ある人は全集にとりついてほしい。完全発表年代順、ジャンル混交、それがこの人にはぴたっと合っているんですよ。

富岡出口さんは、改めて全集を読まれて、また実際に書かれて、安吾と葛藤した末に、安吾がまだとりついていますか。

出口さっぱりしました。つきものが落ちたというか、いまのところ、さっぱりしたというのが、正直なところです。

編集部どうもありがとうございました。

出口裕弘 (でぐち ゆうこう)

1928年東京生まれ。
著書『太宰治 変身譚』 飛鳥新社 1,700円+税、『坂口安吾 百歳の異端児』 新潮社 1,500円+税、ほか多数。

富岡幸一郎 (とみおか こういちろう)

1957年東京生まれ。
著書『非戦論』 NTT出版 2,100円+税、『文芸評論集』 アーツアンドクラフツ 2,600円+税、ほか多数。

※「有鄰」466号本紙では1~3ページに掲載されています。

『書名』や表紙画像は、日本出版販売 ( 株 ) の運営する「Honya Club.com」にリンクしております。
「Honya Club 有隣堂」での会員登録等につきましては、当社ではなく日本出版販売 ( 株 ) が管理しております。
ご利用の際は、Honya Club.com の【利用規約】や【ご利用ガイド】( ともに外部リンク・新しいウインドウで表示 ) を必ずご一読ください。
  • ※ 無断転用を禁じます。
  • ※ 画像の無断転用を禁じます。 画像の著作権は所蔵者・提供者あるいは撮影者にあります。
ページの先頭に戻る

Copyright © Yurindo All rights reserved.