Web版 有鄰

463平成18年6月10日発行

三浦しをんと『まほろ駅前多田便利軒』 – 人と作品

東京郊外の街で繰り広げられる便利屋物語

三浦しをん
三浦しをん

郊外には人を町に自閉させる磁場が

東京郊外にある人口30万人の「まほろ市」。 東京南西部最大の住宅街で、デパート、映画館が揃い、福祉と介護制度が充実している。 主人公の多田啓介はこの町で便利屋を営んでいる。

「東京といえば、歌舞伎町やお台場などがイメージされますが、郊外には、都民なのに東京の流行に関係なく、市内だけで自足して暮らす人々がいます。私も20年住んで、郊外には人を町に自閉させる『泥っこい磁場』があると感じていたので、人が暮らす場所としての東京郊外を一度書いてみたかったんです」

隔月刊『別冊文藝春秋』に1年間連載。 6話からなるストーリーの主人公は多田だが、第1話で転がり込んできた相棒、行天春彦の個性に押され気味だ。 ふたりは、都立まほろ高校で同級生同士だったが、行天はすごい変人で、30代半ばになって再会するまで、多田は行天と会話したことがなかったのである。

「男ふたりで、片方が常識人で、片方が変な人だと、地に足が着いていないおかしな感じが出るのではとコンビを組ませました。 この小説の前に、少し重い作品を書いて疲れたので、今回は書いて楽しい、読んで楽しい世界にしたかった。要領よく大学を出て要領よく就職したものの、ある出来事によってすべてを失ってしまった主人公なので、30代半ばの年齢設定になりました」

多田と行天は、地域密着型の便利屋として、ペットの世話、小学生の送迎など単純な仕事を請け負うが、その都度とんでもない事件に巻き込まれる。夫を「主人」と呼ぶ主婦、母親に放ったらかしにされている小学生、父親に虐待されている女子高生など、郊外の町がはらむ「家族」の問題が浮かび上がる。

「東京以外でもそうだと思いますが、郊外の住宅地の基本単位は家族連れです。 父親は、結婚して子供をなし、日々通勤している『万全な社会人』で、母親はパートか専業主婦。 そして子供の教育熱がすごく高い。 教育の目的は、いい大学に入り、いい就職をさせるためで、私は長らく、そうした家族が本当に理想なのか、家族として真に機能しているのか疑問でした。特に最近、勝ち組・負け組という言葉がありますけれど、何をもって『勝ち』というのか理解できないんですね。 人は、勝ち負けのふたつにきれいに分けられる世界に生きていないと思うし、理想とされる価値基準からかけ離れてしまった人もいる。 そんな超えちゃった人を書いて、町を眺めてみようと思いました」

第3話で、多田は、母親に無視されている小学生の由良に、<いくら期待しても、おまえの親が、おまえの望む形で愛してくれることはないだろう>と、言う。<だけど、(略)与えられなかったものを、今度はちゃんと望んだ形で、おまえは新しくだれかに与えることができるんだ。 そのチャンスは残されてる>

「家庭の中で愛されない人でも、血でつながる家族だけがすべてじゃないと思えたらもっと楽になると思う。 喪失を経験して、基準を超えちゃった人でなければすくい取れない機微があるので、多田や行天の言動から、一般とは違うものの見方、新しい解決策を少しでも書き表せればいいな、と。 たぶん、そんなことを思ってこの小説を書いていたと思います」

冷静な筆致の小説とは違う、熱ほとばしるエッセイ

1976年東京生まれ。 早稲田大学第一文学部卒。 就職試験で書いた作文が編集者の目に留まり、古書店でアルバイトをしながら注文に応じて文章を書き、2000年、長編小説『格闘する者に○』でデビュー。『月魚』『私が語りはじめた彼は』『むかしのはなし』など話題作を発表。小説の冷静な筆致とはテイストが違う、熱ほとばしるエッセイも人気がある。

「同じテイストで書いていると飽きちゃうから、色々なかたちで書いていますが、根っこは共通していると思います。 ふだん暮らす中で引っかかることがあり、理不尽だなとか、美しいなとか、もっとこうであったらいいなという漠然としたイメージを、いろんな角度から見て書いているんだと思います。今回、バス停で行天が多田に右手をかざすシーンを書いた瞬間、高校時代に右手の小指を切断した行天と多田の因縁がはっと浮かびました。 行天が、なぜ多田の家に転がり込むのか、理由を登場人物から教えられて『なーるほど』と思いましたね。実は、私は書くよりも読むほうが好きなんですが、書いているとそういう面白い出来事があります」

(青木千恵)

まほろ駅前多田便利軒

まほろ駅前多田便利軒
三浦しをん/文藝春秋/1,600円+税

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