Web版 有鄰

461平成18年4月10日発行

横浜現代史のシンボル 山下公園 – 特集2

高村直助

日本初の臨海公園の誕生

横浜で知っている場所を一つあげてくださいと、横浜に余りなじみのない人に尋ねたとしたら、どういう返事が戻ってくるだろうか。意識して調査したわけではないが、おそらくは山下公園と「みなとみらい21」とが、答えを二分するのではないだろうか。

「みなとみらい21」が現在の横浜のシンボルであるとすれば、山下公園は横浜現代史のシンボルであったと私は考えている。横浜市民はもちろん、横浜を訪れる多くの人々に憩いの場として親しまれている山下公園は、明治や大正の時代には存在しなかった。

横浜をいったんは壊滅させた1923年(大正12年)の関東大震災、その復興の過程で、現在につながる横浜都心部の姿が整えられ始める。この公園も、震災復興事業の一環として造成されたものであった。震災後40日ほどして、山下町旧居留地の地先海岸が瓦礫の捨て場所に指定された。それは「海岸遊歩道」の造成を想定してのものであったといわれるが(田中祥夫『ヨコハマ公園物語』)、この埋立地に、1930年(昭和5年)3月15日に日本初の臨海公園として誕生したのが山下公園であった。

氷川丸

氷川丸

のちにこの公園と深いかかわりを持つことになる日本郵船の氷川丸が、横浜船渠[ドック]で建造され、シアトルに向け処女航海に出発したのは、その2ヶ月後であった。なお、その3年前、やはり復興事業の一環として市が建設して業者が経営に当たるホテルニューグランドが、公園の向かいに誕生している。

以後、この公園は時代の変遷を映し出す鏡のような存在になっていった。

「大横浜」をめざして復興記念横浜大博覧会

復興記念横浜大博覧会

復興記念横浜大博覧会
横浜開港資料館蔵

ところで、都市計画法が制定された1919年(大正8年)ころから、大都市が「大東京」「大大阪」などと叫んで、従来の市域を越えていっそうの大都市化をめざす動きが強まっていた。

横浜市も「大横浜」をめざして、震災復興に並行するように、鶴見・保土ヶ谷を含む第三次市域拡張、工業都市化のための子安・生麦地先埋立、港域拡張のための外防波堤造成という「三大事業」を展開した。

1935年(昭和10年)、復興のための巨額の借金を抱えながらも、「大横浜」実現に向けての一大デモンストレーションとして、復興記念横浜大博覧会が山下公園を舞台に開催される。60日間の入場者は、当初予想の70万人をはるかに上回って200万人を超える結果になった。

博覧会の前年に出版された山本禾口文・小島一谿画『横浜百景』は、この公園について次のように述べている。

震災の洗礼に依る、大破壊のあとの、大なる建設中の傑作として新横浜人の驕りの随一である。噴水のあたり旧フランス波止場の入江のあたりもいゝ。ニューグランドの赤い灯青い灯紫の灯が、漫歩の瞳に童話めいた連想を投げかけるのも悪くない。

二度の接収――海軍から米軍へ

早くも多くの人々に親しまれるようになった山下公園であるが、戦争はこの公園をも例外扱いにはしなかった。山下公園は二度にわたり、別の主体によって接収されたのである。

太平洋戦争の戦局が悪化した1943年(昭和18年)暮れ、山下公園は日本海軍によって接収された。公園の広場や芝生は上陸用舟艇や軍用資材の集積所にされ、憩いの場は軍用地へと性格を変更されたのである。

山下公園に進駐した米兵

山下公園に進駐した米兵
後の建物はホテルニューグランド。
マッカーサー記念館蔵

1945年(昭和20年)8月、日本は降伏し、連合軍に占領されることになった。30日、厚木にマッカーサー元帥が到着してホテルニューグランドに宿泊した。

9月2日には、公園から遠くない本牧沖に停泊したミズーリ号甲板で、降伏文書の調印が行われ、大桟橋と山下公園の間に、上陸用舟艇で海兵隊が続々と上陸した。

日本占領の軍事拠点になった横浜では、広い地域と多くの建物が占領軍によって接収された。1946年9月末現在、接収中の土地面積は、中区では392ヘクタールで、区域の34%にも当たっていた。

大空襲の被害を免れていた山下公園には、将校の家族用住宅が建ち並ぶようになった。住宅難にあえぐ市民にとっては、金網で区切られた向こう側で、ゆったりとした敷地のなかに七十戸の住宅が建てられ、子どもがブランコで遊ぶという光景は、夢のような別世界に見えたであろう。

日本が主権を回復する1952年(昭和27年)ころから徐々に接収解除がなされていった。しかし山下公園は、54年に噴水・船だまり付近が解除されたものの、依然として将校宿舎三十数戸が残っていた。

マリンタワーと貨物線

山下公園を横切る臨港鉄道(1965年)

山下公園を横切る臨港鉄道(1965年)
五十嵐英壽氏撮影

一部解除を受けて、1956年(昭和31年)7月20日に山下公園前で「海の記念日」第一回国際花火大会が開かれ、翌年には大型遊覧船「よこはま」が就航している。58年には、開港100年記念祭を前に公園条例が制定され、公園管理事務所が19ヶ所に設けられたが、このうち山下公園はまだ接収中であった。

山下公園が全面的に接収解除されたのは、戦後も15年経過した1960年にずれ込み、たまたまではあるが、国会周辺が安全保障条約改訂反対のデモで埋めつくされた6月15日のことであった。翌月からは終夜開園が実施され、この年の花火大会は戦後最多の6万人でにぎわった。

山下公園が全面返還された同じ年、氷川丸は太平洋横断246回の記録を残して最後のシアトル航路就航を終えた。翌61年、氷川丸観光によって公園前に係留され、また、これを見下ろすようにマリンタワーが登場した。

このように山下公園は、新しい姿で多くの人々の憩いの場として復活したのである。

ところで、接収の影響で横浜の戦後復興は他都市より遅れていたが、1950年代半ばから始まった高度成長のもと、急激な工業化と都市化が、これまでの遅れを取り戻せとばかりに激しい勢いで進行していった。その嵐は港湾地帯に位置する山下公園をも巻き込んでいった。

1961年の横浜市会全員協議会には、横浜港港湾拡張計画が提示された。それは外国貿易埠頭として、1970年度を目標に新規に36バース(バースとは船の接岸場所)を建設し、現在使用可能な8,000トン以上の15バースを51バースに大々的に拡充しようとするものであった。そのなかには山下公園中央から、大桟橋に並行して500メートル(幅75メートル)突き出す「公園埠頭」(4バース)が含まれていたのである。

この「公園埠頭」は、幸いにも実現することなく終わったが、接収中の埠頭の代替として造成された山下埠頭が、「東洋一の輸出埠頭」へと拡充されるのに対応して、国鉄貨物線の臨港鉄道が、新港埠頭から山下埠頭へ1965年に延伸され、山下公園を横切るかたちで高架線が造成された。

そのためニューグランドなど海岸通り側と公園とは、景観上分断されてしまったのである。経済成長至上主義の風潮のなか、港湾関係者のなかには、山下公園はやがては取り潰すべきものという意見もあったという。

「ウォーターフロント」の復権

「大横浜」をめざしてひた走ってきた横浜であったが、もともとの貿易都市に加えて工業都市にという目標は十二分に達成された。しかしその結果は、期待しなかった公害や都市問題の深刻化であり、高度成長期における東京のベッドタウンという性格の強まりが、問題をさらに深刻にさせた。

そのような状況のなかで、ひたすら大都市化を求めてきた動きは反省期に入り、人々の価値観も「モノからヒト」へと重点を移し始めた。「ウォーターフロント」人気が高まるなか、山下公園を潰すなどという暴論は影をひそめた。

一方、コンテナ時代の到来で、それに対応できる新たな埠頭が造成され始め、山下埠頭の存在価値は急速に低下し、臨港鉄道も1986年には廃線となった。しかし、美観を損ねる高架線の撤去は、ベイブリッジ登場よりさらに11年もあと、20世紀も最後の2000年(平成12年)のことであった。

このほど、私の執筆した『都市横浜の半世紀-震災復興から高度成長まで』が刊行された。関東大震災からの復興以降、「大横浜」の実現をめざしつつ進められてきた、都市づくりに関わる市政の動向を軸に、高度成長期にいたる約半世紀の横浜現代史を跡づけたものである。いま現在の横浜の姿がつくりだされる過程を、なるべく具体的に、また分かりやすく記述するように努めたつもりである。当然、山下公園も随所で登場している。一読していただければ幸いである。

高村直助

高村直助 (たかむら なおすけ)

1936年大阪市生れ。
横浜市歴史博物館館長、東京大学名誉教授、フェリス女学院大学名誉教授。
専門は日本近代経済史。
著書『都市横浜の半世紀』 有隣堂 1,200円+税、
『日本紡績業史序説』 塙書房(品切)、『図説 横浜の歴史』 (総監修) 横浜市(品切)、ほか。

※「有鄰」461号本紙では4ページに掲載されています。

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