Web版 有鄰

461平成18年4月10日発行

久間十義と『聖ジェームス病院』 – 人と作品

総合病院と中の人間模様を描いた長編小説

久間十義
久間十義

場面を切り換え時々刻々の状況を描写

午前2時5分、救急車が到着し、大けがをした急患が担ぎ込まれた。新米医師の東翔平は落ち着いて対処したつもりだったが、その場で先輩医師に処置の甘さを指摘されて、動揺する――。『聖ジェームス病院』の冒頭シーン。総合病院と中の人間模様を描いた長編小説で、昨年暮れに刊行された。

「医療ものを書きませんか? という話があり、アメリカのTVシリーズ『ER』をみていて僕も興味があったので、病院自体を主人公に書いてみようと考えました。あらすじをほとんど決めずに書くタイプです。新米医師を狂言回しにし、薬害訴訟を絡め、病院全体を描く……と大まかに決めて、取材と資料を頼りに始めました。」

『小説宝石』2004年2月号〜2005年8月号に連載。病院に関わる人物が大勢登場する。例えば、元編集者の男性が急死し、新薬による副作用ではないかと訴訟沙汰になると、遺族、製薬会社、訴訟で功名を遂げたい弁護士らが絡んでくる。他にも、医者を騙る痴漢が侵入したり、院内感染が起きたり、病院ならではの事件が起きる。冒頭のシーンから始まり、場面を次々切り替えて、時々刻々の状況を描写した。

「山本周五郎の『赤ひげ診療譚』のように、若い医師の成長小説にしようかとも考えました。病院全体を描く目標も含めて、イメージ通りに書くのは難しかったですね。患者がどんどん亡くなり、人が助からない病院になっていることに途中で気づいて、何とか明るい話にしようと考え直したり、苦労しました。取材で医師や看護師さんに突っ込んだ質問をし、答えに個人差が大きかった事は参考になりました。というのも、病院って院長をトップにした独特の階級社会だろうと予想していたんですね。そうではなく、一人ひとり違う人間の集まりで、外の社会と似ているほど病院を書いていることになるんだなと思いました。」

友人、笹子順さんに対する献辞がある。医師や看護師を紹介、取材に協力してくれた笹子さんは、生まれつき心臓が悪く、連載の途中で病状が悪化して亡くなった。

「この小説を書いているころ、僕は意気阻喪していたんですよ。元々、今でいうニート、フリーターの状態で塾講師をし、何となく小説を書き始めたので、なぜ書いているのか疑問に思う事がある。だらだら書いていたら、彼が亡くなった。それで、頑張って書かなきゃと急に真面目にやりました。この長編は、僕にとってリハビリ小説でした。」

書く過程で得た新しい見解を自分の言葉で提示

1953年、北海道生れ。早稲田大学文学部仏文科卒業。87年、『マネーゲーム』で文藝賞佳作。90年、『世紀末鯨鯢記』で三島由紀夫賞。宗教を書いた『聖マリア・らぷそでぃ』、満州を舞台にした『ヤポニカ・タペストリー』、警察小説『刑事たちの夏』など題材は多様で、作風を変えてきたようにみえるが、「僕自身は、初めからほとんど変わっていないと思っています。」という。

「宗教、満州、警察、経済といった題材について、取材して書いてみると、書く前に抱いていたイメージ、観念が崩れて、新しい観念が作られる。今回も、予想していた病院のイメージが崩れて、改めて知った病院像を書いていくのが面白かった。僕は、学生時代に吉本隆明、柄谷行人、江藤淳、小林秀雄らの評論を読み、引用していた頭でっかちな人間なので、頭にある観念を投げ入れる形で小説を書き始めました。書く過程で得た自分の新しい見解を、自分の言葉で提示していく。その作業はデビュー以来一貫していると思います。ただ、バブルを書いた『狂騒曲』(97年)からは、外連(受けを狙った演出)を除いて書くようにしていますね。映画のコアなファンじゃない僕が、面白い映画をみて面白いと思うのと同様に、小説のコアなファンじゃなくても分かって、面白く思ってもらえる小説を書きたいから。」

意気阻喪から、完璧に回復したのだろうか?

「デビューして20年近く経ち、思うようにいかないなあと小説に倦んでいたんですが、どうせ人間、そんなに大したものじゃないし。いったん頭に浮かんだ題材がいくつもあるので、凄く意欲的なフリをしてでも、せっかくだから書いていこうと思っています。今、週刊誌で連載しているのは女医の物語で、一度病院を書いてみなければ書けなかった小説ですね。とりあえず書くと、次に書くことが出てくるようですし。」

(青木千恵)

『聖ジェームス病院』・表紙

聖ジェームス病院
久間十義/光文社 /1,800円+税

※「有鄰」461号本紙では5ページに掲載されています。

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