Web版 有鄰

459平成18年2月10日発行

有鄰らいぶらりい

昭和史 松本清張と私』 渡部昇一:著/ビジネス社:刊/1,700円+税

松本清張といえば、社会派推理という新分野を開いた大作家。一方では戦前に起きた事件の裏面を探る『昭和史発掘』などで有名である。

清張の大ファンだったという著者が、その『昭和史発掘』について、正面から異議を呈した本である。この本が大変な力作であることを認めながら、「当時の日本が他国には例を見ないような穏やかでいい国であった側面」をほとんど消していること、「取り上げられた事件のひとつひとつは非常に丁寧に描かれながらも、基調には暗黒史観が横たわっている」という理由である。

清張氏が日本共産党のシンパであったことは、よく知られている。戦前、共産主義者たちは、モスクワのコミンテルン本部からの指示で天皇制廃止、私有財産制度転覆などの活動を行ったため、治安維持法による取締りの対象となった。彼らにすれば、国家権力による弾圧が行われた「暗黒時代」ということになり、これに左翼的文化人が同調したのがいわゆる暗黒史観だ。

著者は、最大の悪法といわれた治安維持法で死刑になった共産党員は一人も無かったこと。一方、清張氏が、スパイ容疑でソ連で処刑された党幹部を病死としたり、宮本顕治元委員長によるリンチ殺人などについて全くふれていないことなど、多くの矛盾点を具体的についている。

』 皆川博子:著/文藝春秋:刊/1,429円+税

『蝶』・表紙

『蝶』
文藝春秋:刊

表題作など8編を収めた短編集。連作ではないが、長さはほぼ統一され、幻想味のただよう、すぐれた作品ぞろいだ。表題作「蝶」は、第二次大戦中、南方戦線で九死に一生を得て帰国した男の、虚無的な戦後を描いている。

ジャングルの中で英兵から奪った拳銃を隠し持って帰国してみれば、妻は他の男と同棲しており、主人公は妻と男を狙い打つ。二人とも死には至らず、主人公も服役したあと、北の雪国に単身出かけ、あばら家に住む。そこには宿無しの男が住みついていて、主人公は、その男の同居を許す。

そうしたなかで、1匹の迷い子の犬を飼う。流氷がただよう北国の海岸のわびしい土地で、二人と1匹の生活が始まる。拳銃には2発の弾が残っていた。1発は海の向こうにむけて発射し、あとの1発をこめかみに当てる……。

巻頭の作品「空の色さえ」は、祖母と二人で暮らす男の子の話。両親は近所で豊かな暮らしをしているが、わけあって別居。祖母に、絶対に2階に上がってはならぬと禁じられているが、祖母の留守中に、その2階の秘密を知ることができる……。どの作品にも俳句や詩歌が引用され、文芸作品としての興趣をかもし出している。

天女湯おれん』 諸田玲子:著/講談社:刊/1,700円+税

エンターテーメント長編時代小説。八丁堀の真ん中にある湯屋・天女湯が舞台。主人公おれんはそこの女将、23歳の独身の美女だ。もとは武家の娘だったが、家庭の事情で湯屋の経営者になった。今でいえば警視庁の隣のような場所だが、この天女湯には隠し部屋があった。男女の秘め事に使われる部屋だ。暮らしに困った女のために、おれんは男を世話している。人助けだ。

ある時、おれんに八丁堀の同心から呼び出しがかかる。近くの橋の下で辻斬りがあったのだ。抱き合ったまま殺されていた男女は、天女湯のなじみだった。犯人は沓としてわからない。その矢先、天女湯の裏の母屋の物置きに不審な男が現れる。くたびれ果てた武士か浪人だ。わけあって追われているという。さては辻斬りか。だが、おれんは男に好感を抱き、かくまったうえ風呂焚き兼用心棒に雇う。辻斬り犯人は別人とわかり、やがて捕えられる。そのきっかけをつくったのは長屋の少年だった。一件落着のあともコソ泥、ライバル大黒湯との争いなど、事件が相次ぐ。

隠し部屋での色事なども巧みに取り入れられ、しかも品の悪くない娯楽小説の傑作。

ヴァイオリニストの音楽案内
高嶋ちさ子:著/PHP新書:刊/740円+税

ラジオ、テレビでも人気の高いヴァイオリニストの著者が、作曲家の秘話やエピソードをつづったクラシックの名曲案内。シンフォニーからオペラ、管弦楽まで50曲に上っている。やはりベートーヴェンに関するものが多いが、聴覚をおかされながら数々の名曲を残したこの天才は、162cmと背が低く、不器用でカミソリを使えば顔じゅう傷だらけにしたという。

ベートーヴェンといえば、「第九」だが、日本で年末の定番となったのは、戦後日本の音楽家が、モチ代も出なかったころ、ドイツでこの曲が大ヒットし、ボーナスの財源にしていると聞いたことがきっかけだったとか。

音楽家にはかなりの変人が多いが、ベルリオーズも、その一人。音楽家が恋をすると音色が変わるそうだが、彼は、まだ若い無名時代、有名スターに片思いし、「音楽を使ってこの恋愛を公開する」と決意。アヘン自殺を試みたりもするが、やがてその幻想・幻夢のなかからつくりあげたのが、不朽の名曲となった「幻想交響曲」だという。

チャイコフスキーの三大バレエ「白鳥の湖」は初演後18年間も忘れ去られた失敗作、「眠れる森の美女」は大作すぎてカットされ、「くるみ割り人形」はフランス旅行の成果を取り入れてようやく成功。楽しい名曲案内だ。

(K・F)

※「有鄰」459号本紙では5ページに掲載されています。

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