Web版 有鄰

459平成18年2月10日発行

山手聖公会[クライストチャーチ]にみる
横浜の教会建築史 – 特集2

青木祐介

修復が終わった山手聖公会聖堂

修復の終わった横浜山手聖公会の聖堂

修復の終わった横浜山手聖公会の聖堂
(筆者撮影)

昨年5月以来、聖堂の修復工事が進められていた横浜山手聖公会(中区山手町235)では、このほど工事が完了し、11月5日に落成式がおこなわれた。横浜市の認定歴史的建造物である同聖堂への放火は、2005年の年明け早々の悲しいニュースであったが、教会関係者をはじめ多くの方々の熱意によって無事に復興がなされたことを、心から喜びたい。

この聖堂が建設されたのは、今から75年前の1931年(昭和6年)のこと。関東大震災で倒壊した煉瓦造の旧聖堂に替わって、アメリカ人建築家モーガン(JayH.Morgan)の設計により再建された。外壁に貼られた大谷石がどっしりとした重厚な印象を見る者に与えるが、厳密に言うと石造建築ではなく、鉄筋コンクリートの軀体の外側に石を貼り付けた構造である。

今回の火災の前にも、この聖堂は大きな被災にあっている。1945年(昭和20年)の横浜大空襲である。このときには屋根がすべて焼け落ち、2年後に修復されるまで、小屋組の鉄骨が剥き出しになった状態が続いていた。これまで私たちが目にしていた聖堂のすがた、とくに聖堂の内部については、戦後の修復によるものである。

建設当初のステンドグラスの枠を発見

復元された内陣のステンドグラス

内陣のステンドグラス
(筆者撮影)

今回の修復工事では、1931年(昭和6年)の建設当初の状態への復原が試みられ、横浜都市発展記念館でも、当時の関係資料について調査協力をおこなった。

建築家モーガンの設計原図については、横浜開港資料館が所蔵しており、1,800点におよぶ図面の複製が公開されている。しかし残念なことに、本聖堂に関するものはわずか7点しかなく、その内容も掲示板や木棚の詳細図などであった。

竣工時の詳細を伝える資料がきわめて乏しいなか、最終的には、教会や信徒の手元に残されていた戦前の写真資料をもとに、検討が進められたという。

ところが、建物そのものに住時の痕跡が残されていた。竣工当時、内陣奥に嵌められていたステンドグラスの枠が発見されたのである。

教会史『主に感謝』(1998年発行)に掲載された戦前の内観写真を見ると、内陣の真正面を飾る見事なステンドグラスが確認できる。しかし、このステンドグラスは空襲で被災したのち、その後の修復でも再現されることなく、壁として埋められていたのであった。

今回の修復では、発見されたステンドグラスの枠に新しく色ガラスが嵌め込まれ、天国への階段が表現された。聖堂に入ると正面から目に飛び込んでくる鮮やかな光は、再生を果たした聖堂を祝福しているかのようである。

クライストチャーチの創建

初代クライストチャーチ

初代クライストチャーチ
『開港七十年記念 横浜史料』から

さて、モーガン設計による聖堂は、教会の長い歴史から数えると3代目にあたる。ここで初代からの建物の歴史をふり返りながら、横浜における「教会建築の近代史」を辿ってみたい。

ちなみに、一般によく使われる横浜山手聖公会という名称は、1947年(昭和22年)に設立された日本人信徒の教会組織のことを指す。外国人信徒のための教会は、居留地時代から変わらずクライストチャーチ(Christ Church)なので、以後、表記はクライストチャーチに統一する。

クライストチャーチの初代聖堂が建てられたのは、幕末の1863年(文久3年)のこと。プロテスタントとしては横浜最初の教会である。場所は山下居留地の105番地(現・山下町105番地)であった。前年1月には、居留地80番地でカトリックの横浜天主堂が献堂式をあげており、教会建築史の第1期はこの2つの教会堂からはじまる。

この時期の居留地では、西洋の建築など見たこともない日本人大工たちが、外国人のための施設の建設に携わったことから、和風とも洋風ともつかない建築がたくさん誕生していた。教会として半円形の内陣を備えながらも、正面に寺院風の玄関ポーチをもつ横浜天主堂は、まさにその最たるものである。

クライストチャーチの場合、イギリス国立公文書館の外務省資料(FO46/43)から、英陸軍工兵隊の大尉ブライン(Frederick Brine)が設計したことが知られるが、同資料に綴られた契約書の写しには、「大工寅吉」という漢字での署名と押印があり、またブラインの書簡にも、専門の技師や建築家は雇われず、建設現場は完全に日本人の職人に委ねられていたことが記されている。

慶応年間の横浜居留地を捉えた写真からは、アーチ型の窓を並べた切妻屋根の建物であったことがわかるが、屋根面と壁面との取合い部分の細部など、まるで土蔵である。

建築家不在の状況下で、日本人大工の在来技術によって誕生した風変わりな洋風建築の一群のなかに、この初代クライストチャーチも位置づけられるだろう。

山手への移転と赤煉瓦の聖堂

2代目クライストチャーチ

2代目クライストチャーチ
横浜開港資料館蔵

その後、袖廊や鐘楼を増築しながら、40年近く居留地105番地の時代が続くが、山下町が手狭になったことを受けて、1901年(明治34年)、クライストチャーチは現在地の山手235番地へと移転する。2代目聖堂を設計したのはイギリス人建築家コンドル(Josiah Conder)。辰野金吾をはじめとする明治の日本人建築家たちの育ての親である。

コンドルは1897年(明治30年)に横浜事務所を開設しており、クライストチャーチはその横浜時代の作品の1つである。明治20年代以降、他の教派でも創立当初の聖堂の建て替えが進むが、この時期、コンドルをはじめとする外国人建築家の活躍によって、本格的な煉瓦造教会の建設ラッシュを迎える(第2期)。

コンドル設計による2代目聖堂は、構成自体はオーソドックスなものであるが、そもそもヨーロッパでは格調ある建物は石積みであり、煉瓦を外壁に露出させること自体、新しい表現であった。

とくに窓のアーチ部分に煉瓦と石を交互に配列して、斑の色彩を作り出す意匠は、19世紀ヴィクトリア朝のロンドンで流行していたものであり、ゴシック様式を基調としたそのスタイルはヴィクトリアン・ゴシックと称される。

赤煉瓦の2代目クライストチャーチは、19世紀ヨーロッパのゴシック様式復興(ゴシック・リヴァイヴァル)の動きが、ようやく日本にも浸透してきた証だといえよう。

近代建築としての鉄筋コンクリート造聖堂

しかし、1923年(大正12年)の関東大震災によって煉瓦造の建物はその多くが倒壊・焼失の憂き目に遭う。震災後に復興された各教派の聖堂には、一様に、耐震耐火構造である鉄筋コンクリートが採用された(第3期)。クライストチャーチをはじめ、現在、横浜市の認定歴史的建造物となっている4棟(他の3棟はカトリック山手教会、横浜指路教会、横浜海岸教会)は、いずれも震災復興による鉄筋コンクリート造聖堂である。

近代建築の3大材料の一つであるコンクリートは、煉瓦とは違い、その流動性を活かした自由な造形を持ち味とする。コンクリートの曲面を強調したデザインは、大正時代には「表現主義」の名のもとに流行した。

ところが、教会においては若干事情が異なる。クライストチャーチでモーガンが採用したのは、城砦風の塔をもつイギリス中世のノルマン様式である。また1926年(大正15年)竣工の横浜指路教会では、プロテスタントの教会でありながら、もっとも伝統的なフランス中世のゴシック様式が再現されている。鉄筋コンクリートの軀体の外側にまとう建築様式の自由度は、以前に比べてむしろ増しているのである。

ヨーロッパでは、新材料の登場によって、古典主義・ゴシックといった歴史様式からの脱却をめざしたモダニズム建築が注目を集めた。しかし、日本の教会では、依然として従来の歴史様式の束縛が強く、コンクリートを活かした造形に向かうのではなく、まるで上着を着替えるかのようにさまざまな様式を選んだ。

確かに、クライストチャーチを設計したモーガンは、様式の扱いが巧みな建築家であった。現存する鉄筋コンクリート造の教会群の多様な様式を見るにつれ、教会建築史における震災復興期は、過去の様式を自由に選択し、身にまとうことを可能にした「歴史主義」の時代ではなかったかと思われるのである。

日本の教会建築が、様式の自由度ではなく、造形の自由度を獲得するのは、戦後まで待たなければならない。

最後に、修復の終わった聖堂へは、岡野保信司祭と民谷雅美氏に案内いただいた。また修復工事を担当した関工務店からは、工事の記録写真を閲覧させていただいた。記して感謝いたします。

青木祐介
青木祐介 (あおき ゆうすけ)

1972年大阪府生れ。横浜都市発展記念館調査研究員。日本近代建築史専攻。
著書(いずれも共著)『地中に眠る都市の記憶 地下遺構が語る明治・大正の横浜』 横浜都市発展記念館 953円+税。『学芸員の仕事』岩田書院 1,900円+税、『横浜・長崎教会建築史紀行 祈りの空間をたずねて』 横浜都市発展記念館 953円+税、ほか。

※「有鄰」459号本紙では4ページに掲載されています。

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