Web版 有鄰

458平成18年1月1日発行

よこはまの浦島太郎 – 特集2

阿諏訪青美

丹後半島で生まれ全国各地に伝播した物語

周磨「東海道名所之内神奈川浦島古跡」1861年

周磨「東海道名所之内神奈川浦島古跡」1861年
横浜歴史博物館蔵

カメを助けたお礼に浦島太郎が竜宮城に行き、乙姫さまのもてなしを受けた後、お土産の玉手箱を開くと老人になってしまったという浦島太郎の物語は、私たちにもっともなじみ深い昔話のひとつである。

浦島太郎の物語の発生は古く、『日本書紀』『万葉集』『丹後国風土記』などに見られる。主人公の浦島子が、不老不死の世界である蓬莱山に至り、仙女と結ばれるといった浦島太郎の原型は、6世紀頃までには成立していた。

やがて浦島太郎は実在した不老不死の人物・史実として平安時代の『続日本後記』や鎌倉時代の歴史物語『水鏡』に記録されていく。

一方、物語としての浦島太郎は、平安時代に京都の貴族の間で漢文を引用した格調高い物語につくりかえられていく。『古事記』や『浦島子伝』『続浦島子伝』にみる浦島太郎は、浦島子と仙女の美しくもはかない恋物語である。そして室町時代に入ると、浦島太郎は仏教色の濃い「お伽草子」の一作品として庶民の間に定着していく。

この物語の発祥地は京都府丹後半島だが、物語は全国各地に派生して各地でさまざまな内容に変化している。そして横浜市にもまた、独自の浦島太郎の物語が伝えられている。

竜宮城から持ち帰った観音菩薩を祀る浦島寺「観福寺」

観福寺(『神奈川砂子』から) 1824年

観福寺(『神奈川砂子』から) 1824年
国文学研究資料館蔵

横浜市神奈川区には、火災に遭う明治時代初めまで、観福寺という浄土宗の寺院があり、通称を浦島寺といった。その由来は、浦島太郎が竜宮城から持ち帰った観音菩薩を本尊としていたためで、亀乗聖観世音立像と浦島大明神立像・亀化龍女神像の3像が、現在も同区慶運寺に大切に祀られている。

この浦島寺の由緒やご利益を記した略縁起によれば、三浦半島出身の浦島太夫が妻子とともに丹後半島に赴任し、息子の太郎が、浜で大亀を釣る。その亀は美女に変身して太郎を竜宮城へと誘う。竜宮城ですばらしい日々を過ごした太郎はやがて帰郷を願い、玉手箱と観音菩薩を与えられる。

丹後半島に戻った太郎が両親や知人の不在を知って観音菩薩に祈ると、「私を背負って関東に下れ」との夢告を得る。三浦半島に戻った太郎は浦島の9代後の子孫に逢い、両親の眠る地を知らされる。それが神奈川(現・神奈川区浦島丘)であった。

太郎は両親の墓前に小堂を建てて竜宮から持ち帰った玉手箱と観音菩薩を安置し、何処かへと去っている。しばらくして神奈川付近の漁師は海に現れた浦島太郎と乙姫の観音菩薩護持の誓約を聞き、浦島太郎の建てた小堂を立派な寺院に建て直して観音菩薩を信仰しつづけた。これが横浜市に伝わる浦島太郎の物語である。

浦島太郎の出身地が三浦半島であること、竜宮城より観音像を持ち帰ったこと、玉手箱を開けていないこと、などがその特徴である。

17世紀後半には浦島太郎の伝説を伴う寺として成立

浦島観世音および二神像・略縁起掛軸(部分) 1820年

浦島観世音および二神像・略縁起掛軸(部分) 1820年
個人蔵

この浦島寺がいつから神奈川の地に存在したかは定かではない。芝の増上寺に遺る元禄9年(1696年)の増上寺末寺帳には、浦島寺について、「武州都筑郡神奈川領帰国山浦島院(中略)浦島太郎所持の観音の像を安置す」とあり、江戸時代前期から浦島寺にはすでに浦島太郎が持ち帰ったとされる観音像が安置され、帰国山浦島院とも号していたことが分かる。

またそれより6年前の元禄3年(1690年)に作成された東海道分間絵図には、江戸から下る東海道の、子安を過ぎて神奈川宿にかかる北方の丘陵部に「くわんおん」と記された小堂を見つけることができる。ここから浦島寺は少なくとも17世紀後半には浦島太郎の伝説を伴った寺として成立していたことがうかがえる。

浦島寺にかかわる略縁起は現在、享保14年(1729年)頃のものと天明年間(1780年〜89年)のもの、文政3年(1820年)頃のものが確認されている。これらは浦島寺の修理や再建に関わる資金調達の方法の一つとして行われた開帳に際して、寺のご利益を喧伝するために作成されたもので、現在のパンフレットに相当する。内容にはほとんど異同がないが、もともと絵巻の体裁をとっていたと想わせる写しや、木版刷りで末尾に、「開運守・厄除守・牛馬守」など、浦島寺のさまざまなご利益が列記されているものがある。

なかでも文政3年頃の末尾には「くハしくハ広縁起のことし、この略縁起、延徳二年ノ古版天明再版ス」という記述がみられる。広縁起とは正縁起ともいい、略縁起のように内容を簡略化していないもののことで、延徳2年(1490年)とは戦国時代の初め頃である。

つまり浦島寺にはもともと正式な縁起が存在し、それが戦国時代の延徳2年に浦島寺の御利益を宣伝する略縁起が作られていた、その内容を天明年間(1780年〜89年)に写して版にしたと言うのである。傍証はないがこの記述から、浦島寺の起源を、広縁起の成立した戦国時代以前に求めることが出来るかもしれない。

そして、横浜の浦島太郎の物語もまた、戦国時代まで遡る可能性があると言えそうである。

さまざまな草双紙のモチーフに

浦島太郎の物語は江戸時代に入るとさまざまな草双紙のモチーフに採用されていく。草双紙は新春の縁起物として出版されることが多く、浦島太郎の長寿性や不思議な玉手箱、未知の竜宮世界を題材にした滑稽噺が多くつくられていった。

そのなかで天明元年(1780年)に市場通笑が書いた『浦島太郎二度目の竜宮』には、横浜の浦島寺が登場する。内容は、丹後半島に帰った浦島太郎は玉手箱を開いて老人になり、7代後の子孫に逢うが、子孫達は誰も浦島太郎を先祖だと認めてくれない。故郷にいても面白くないと浦島太郎は再び竜宮に戻るが、竜宮では老人となった浦島太郎に困惑する。何故なら乙姫は未だ若い浦島太郎に恋い焦がれているからである。結局、竜王は儀式を行って浦島太郎を若返らせ、太郎と乙姫は末永く添い遂げる。後に浦島太郎は自らの寿命長久を人々に分け与えようと神奈川に出店を開く。これが横浜の浦島寺だというのである。

挿絵には東海道をゆく人々の傍らに「浦嶋大明神宮」の鳥居と標柱が描かれている。横浜にこのような神社のあった記録はないが、草双紙の書かれた当時、横浜の浦島伝説が知られていたことを示す好資料である。

観福寺が焼失し本尊の観音像を慶運寺に祀る

明治時代の初めに、浦島寺は火災により焼失する。幸いに本尊の観音像は難を逃れて神奈川区の慶運寺に観音堂を建てて祀られた。以後、この慶運寺が浦島寺と呼ばれるようになる。慶運寺の浦島観音堂は、関東大震災により倒壊し、昭和9年(1934年)から11年(1936年)にかけて再建された。設計を請け負ったのは、赤坂の迎賓館の建築にもかかわった木子幸三郎であった。この観音堂の再建とほぼ軌を一にして、神奈川区では浦島太郎の伝説が再燃していたようである。

もとの浦島寺が建っていた場所には、大震災後に日蓮宗蓮法寺が移築され、浦島寺の境内に遺されていた石塔類が整備されたが、そのなかの浦島太郎供養塔(浦島墓)の前の線香立には、「昭和7年7月7日 天長護国山再興 横浜観世音元講」と刻まれている。天長護国山とは浦島寺の山号でもあり、昭和7年(1932年)当時、焼失した浦島寺を再興する意志があったことを示している。蓮法寺にはこのほかに浦島観音・浦島大明神・亀化龍女神の札と版木や浦島観音の額、あらたな浦島観音像が造られて奉納されている。

浦島太郎像 1929年頃

浦島太郎像 1929年頃
横浜市神奈川区浦島町町内会蔵

また、もとの浦島寺の南側の浦島町町内会が所有する浦島山車には、昭和7年に亀に乗る浦島太郎の像が彫刻されて山車の上に飾られている。さらに、浦島小学校(尋常高等小学校)の第4代校長平戸喜太郎は、地域の伝説である浦島太郎を自ら調べ、また教育に採り入れて、やはり昭和7年に「亀の子すべり台」を子ども達に制作させている。このような昭和7年前後の浦島伝説の盛り上がりが、慶運寺の浦島観音堂を再建させることに繋がったのではないか。

人々に愛され大切にされてきた横浜の浦島太郎

横浜の浦島太郎の物語は、全国に広がる浦島太郎の物語の一つである。多くの伝説の地の中で、とくに横浜にその資料が伝わり続けたのは、浦島寺が東海道沿いに位置し、半ば名所化したことに原因すると考える。しかしその後、現在に至るまで伝説が語られているのは、地域の人々が浦島太郎の物語を愛し、その伝説を持つ地であることを大切にしてきたからにほかならない。

横浜市歴史博物館では、昨年秋に開館10周年記念特別展として、「よこはまの浦島太郎」を開催したが、今後もこのような地域につたわる物語や資料を採り上げた展覧会を企画していきたいと考えている。

阿諏訪青美
阿諏訪青美 (あすわ はるみ)

1972年神奈川県生まれ。横浜市歴史博物館学芸員。
著書『中世庶民信仰経済の研究』 校倉書房 10,000円+税、ほか。

※「有鄰」458号本紙では4ページに掲載されています。

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