Web版 有鄰

454平成17年9月10日発行

ニューヨーク —都市の崩壊と再生を描く— – 特集2

キムラ・リサブロー

1964年39歳で単身ニューヨークへ

制作中の作品の前で

制作中の作品の前で

1964年、日本が東京オリンピックにわいた年、僕は逗子のアトリエで、横須賀の米兵を相手に版画を教えていた。しかし、「描きたい」という気持ちがはやるばかりでイメージが湧かず、酒をのんでは悶々とした日々を過ごすばかりだった。

その米兵から、ニューヨークの話をあれこれと聞かされた。自由の女神に5番街、ダウンタウン……。何かが僕の中ではじけた。ニューヨークに行けば、世界の全てを一度に見られると思った。そして師であった哲学者の谷川徹三先生の「本物を見なければ駄目だ」という言葉で、僕の決心はゆるぎないものになったのだ。すぐさまアトリエを売却し、いっさいをなげうってニューヨークへ渡った。39歳のときだった。

最初に泊まったのはYMCA。シャワー室でいっしょになった白人男性からラブレターが届いてびっくりして逃げ出した。次はハンモックを売る日本びいきの若い女性のアパート。日本食を作ることと洗濯を条件に同居することになった。しかしそれも屈辱感でいたたまれず、半年で終わる。そして次に移り住んだのが「クレージーハウス」。これが僕の永住の地となった。

マンハッタンのグリニッチ・ヴィレッジ、ハドソン川に面してアーティストたちの集合住宅「クレージーハウス」はある。正式には、通りの名前をとって「ウェストベス・アーティスト・ハウジング」という。ニューヨーク市が管理する375部屋の“芸術家村”だ。画家、彫刻家、版画家、ダンサー、ピアニスト、陶芸家、写真家など、多様なアーティストに低家賃で提供されてきた。僕はオープン以来の最古参だ。

テーマは一貫して「都市」

新天地となったニューヨーク!さまざまな宗教の街、移民の街、新しい価値観を生み出す街、世界の中心となって常に胎動し続ける巨大都市ニューヨーク。僕はそのエネルギーに魅せられた。

1960年代のニューヨークはすでにパリをしのいで芸術の中心地となっていた。その頃はどっちを向いてもポップ・アート、そしてアンディ・ウォーホールばかり。これが芸術だろうか、と思った。誰も彼もが騒ぎたてるのが理解できなかった。僕はそれまで水彩、リトグラフ、エッチング、そして油絵を手がけてきたが、新しい生活の出発とともに、目前に開ける新しい世界を表現する新しい手段がほしかった。

そんなとき、600ドルでシルク・スクリーンの用具一式を売りたいというアメリカ人の画家に出会った。一式とあわせてシルク・スクリーンの手法を教えてもらうという約束で話は決まった。

そうして仕上がったのが、「City#1」だ(現在ニューヨーク近代美術館所蔵)。ニューヨークの街に立つと、ビルばかりが目に入る。どこを見ても窓、窓、窓……。そこに点のように人間が映り、それぞれがストーリーを持っている。そして、そのビルディングが集まって都市をつくっている。この「都市」が、僕の制作活動の一貫したテーマだ。「City#1」は都市シリーズの記念すべき第一作となった。

1968年、ブルックリン・ミュージアムの作品展でグランプリをとり、これがきっかけで、ある画商の目にとまった。画商がついたことで一夜にして世界が変わった。それがアメリカでありニューヨークなのだ。

アートはビジネスであり、とにかくカネ、カネだ。画商と契約したとき、僕は生命保険と火災保険に加入させられた。保険金は画商が払うが、同時に受取人も画商なのである。作家に万が一のことが起こったときの保険なのだ。僕たち画家は生命保険の金額で「価値」「ランク付け」が決まるのだ。まさにニューヨーク流である。

しかし、逆に言うと、ここにはチャンスがあるということでもある。日本の場合とはスタート台が違う。ピラミッド型で、肩書が幅をきかす日本と違って、出発点は誰にも平等に与えられている。求められるのは、まず作品のオリジナリティーだ。

阪神・淡路大震災や9.11で、都市の崩壊を目の当たりに

僕は40年間「都市の崩壊と再生」をテーマに描きつづけているが、今まさに「崩壊」を身近に感じる。そして一方では「都市」は不死身の如く蘇り、ますます巨大化していく。近い将来、都市人口は全地球人の半分にまでなるだろう。発展途上国にも都市化による周辺地域のスラム化、天災時の危険性、あるいは農業の衰退による食料不足など、都市を取り巻く数えきれない問題が生じている。

記憶に新しい1995年の阪神・淡路大震災。神戸の友人の家を訪れたが、隣の部屋から壁を突き破って現れたピアノや倒壊したビル、寸断された高架道路など、その惨状を見たとき、キャンバスや紙の上での妄想的表現などは消え失せてしまった。僕は学徒兵として東京大空襲の後片付けをした経験があるが、空爆という人工的破壊と天災の違いがわかった。その強烈な印象は絵描きの発想など、あまりにも子供じみていると感じさせるものであった。

一方、地震がないマンハッタン島にいると、天災は関知しない。が、はからずも2001年9月11日のあのシーンを、僕は、自分の住むビルの13階の屋上から直接見ることになったのだ。

やわらかな秋の陽射しが差し込む僕のアトリエに、けたたましく電話がなった。「世界貿易センタービルが炎をあげている」。クレージーハウスの住人であるハンガリー人からだった。僕は屋上に駆け上がった。わずか1キロ先で2つの巨大なタワーが崩壊していく。かたわらで繰り返される女性たちの「オー・マイ・ゴッド」という声もいつしか消え、音も色も無い静かなモノクロの動画のように目に映ってくる。

キムラ・リサブロー

キムラ・リサブロー
「2001年9月11日 NYC」

僕は懸命に走り、アトリエからスケッチブックを引っ張り出してきた。僕が今、描いているのはキャンバスや紙の上の妄想的表現ではない。現実の世界だ。風にたなびく幕のような雲の中に崩れる巨大なビルの姿だ。ただひたすら描きつづけてきた世界が現実のものとなったのだ。

異邦人であることを痛感させられた9.11

2日後、僕は窓の外に、背筋に悪寒が走るほどの何か空恐ろしい光景を見た。そこには星条旗を手にヘルメットをかぶったアメリカ人の群れがグランドゼロに向かって歩いていく姿があった。力があって富があって、全てにおいて世界一だと思っている人々が住むアメリカをエゴイストの国だと思っていたが、その人々が団結した光景を見たときは怖かった。それは超大国のプライドから来るものだったのだろう。それは諦観の無い世界、それは「目には目を」の復讐の世界から来るものだったのかもしれない。安全だとばかり思っていた自分たちの住むところが「やられた」、そんなことは許せるはずがないというプライドと団結力を感じた。

しかし、そのとき、僕はこの団結の群れには参加できない、アメリカ人にはなれないと思った。40年もアメリカに住んでいるのだから、仕事を放りだしてでも参加しなければならなかったのかもしれないけれど、それができなかった。「マンハッタンはアメリカではない。コスモポリタンの街だ」。以前はそう思っていた。9.11。それはアメリカ人がコスモポリタンの街を占拠した日である。アメリカは、そのとき、異邦人が入り込む隙のない圧倒的な団結力をみせつけ、僕は自分が異邦人であることを痛感させられた。

バスで大陸を横断し、アメリカは一つと実感

この後、僕は旅に出た。ニューヨークからサンフランシスコに飛び、そこから、またニューヨークまで長距離バスで帰ってくるというものだ。4日間、昼も夜も走りつづけた。1日に4、5人の運転士が交代で運転する。乗客はそれぞれの土地の小さなホテルに泊まり、また、次の日のバスに乗る。僕だけが1人ニューヨークまで同じバスを乗りつづけた(数日間は体のバイブレーションはおさまらなかった)。地平線に向かってまっすぐにのびる道、走っても走っても変わらない風景。同じ食べ物、同じ言葉。一応それぞれの州が州法をもち独立しているような様子だが、やはりアメリカは一つなのだ。

こうした風景を目にしたことで、僕たち異邦人がより一層アメリカからシャットアウトされた感を強めた。この時のことを「僕のアメリカ地図」という巨大(2×3メートル)な版画作品にたくした。

日本で10年ぶりの個展 有隣堂は僕のARTの出発点

僕は、もう自分の人生の半分以上ニューヨークに住み、制作活動を続けてきた。しかし僕は今でも横浜の有隣堂のギャラリーを忘れない。

まだ日本に住んでいた頃、有隣堂ギャラリーで、小品展を数回開いた。有隣堂は僕のARTの出発点である。ニューヨークに渡った後も、78年、87年、95年と個展を開催した。そしてまた、10年ぶりに有隣堂ギャラリーで、「キムラ・リサブロー来日記念展 都市の構造と崩壊――そして未来へ」を9月16日(金)~9月27日(火)に開くことになった。今回は9.11や天災による都市の破壊、そして都市の未来像を描いた版画や油彩、水彩画などをご覧いただきたいと思っている。

そして各地を巡回した後、北海道をスケッチするつもりだ。これまでの来日で描きためた日本各地のスケッチの総仕上げとなるだろう。このスケッチをもとに「僕の日本地図」を描く予定だ。「都市」という視点から故郷日本を描きたいのだ。80歳をすぎた僕にはオーバーワークかもしれない。しかし、僕は挑戦する。いつ完成するか? それは僕に残された力とアイデアによる。

木村利三郎 (キムラ・リサブロー)

1924年横須賀生れ。画家・版画家。1964年渡米、ニューヨークを拠点に創作活動を展開。

※「有鄰」454号本紙では4ページに掲載されています。

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