Web版 有鄰

454平成17年9月10日発行

有鄰らいぶらりい

決断力』 羽生善治:著/角川書店:刊/800円+税

1996年、将棋界で初めて七冠を独占。現在も名人位など四冠王の著者の話には将棋を知らない人にも通じる面白さと魅力がある。

たとえば、著者が「将棋史上最強の棋士」という故・大山康晴十五世名人の話。せいぜい二、三手先しか読めない素人に対し、プロの棋士は何十手も何百手も考えるといわれる。しかし、18歳のとき以来、十局ほど大山から教わったという著者は「ハッキリいって、大山先生は盤面を見てない。読んでいないのだ」という。

これは直感について語った章で、若手棋士が膨大な量を読んで指すのに対し、大山は勘で指しているというのだ。この直観力は「脳の無意識の領域」から経験の蓄積が出てくるものと言い、著者自身も直感で指した手の7割は正しかったという。

「実は、将棋では、勝ったケースのほとんどは相手のミスによる勝ち」で、ミスには面白い法則があるという。終盤で逆転することが多かった大山将棋の根本も、「人間は必ず誤る」という信念だったという。

意表をついた話の中に、人生の機微を教えられる本である。

靖国問題』 高橋哲哉:著/ちくま新書:刊/720円+税

靖国問題についての書が、このところ数点、出回っている。その中の一つ、本書は問題を整理して、きわめて明快に解説してくれる。とは言っても、この問題はそう簡単に割り切れる問題ではない。

明治維新以降、戦争の犠牲になった英霊を祀るこの神社を、一国の総理大臣が参拝することが、なぜ”国際問題化”して、中国や韓国から厳しくとがめられるのか。著者は、この問題を複雑にしているものに感情的対立がある、と指摘する。これはたいへん厄介な問題だ。

さらにいっそう複雑にしているのが、A級戦犯合祀の問題である。だが、A級戦犯とは何かといっても、直ちに議論が分かれる。東京裁判がそもそも裁判の名に値するものかどうか。そしてその議論の先に、歴史認識の問題がからんでくるから、問題は国際化してしまうのだ。東京大空襲から広島・長崎への原爆投下は裁かれなくてもいいのか、という日本人の感情も根強くある。

さらに、国際間には、文化の違いもある。日本では生前悪業があっても死ねば仏になるという考えがあるが、中国では悪者は死んでも許されない。さまざまな問題をはらんだこの靖国について、著者は項目別に整理して、われわれの理解を助けてくれる。

土の中の子供』 中村文則:著/新潮社:刊/1,200円+税

『土の中の子供』・表紙

『土の中の子供』
新潮社:刊

今回の芥川賞受賞作。主人公の私は、若いタクシー運転手。公園にたむろしていた暴走族のグループに、火のついたタバコを投げつけてやったところから、話は始まる。もちろん私は袋叩き、半死半生の目に遭う。私にはこういった破滅願望のような衝動が、時どき起こるのだ。これは私の生い立ちに由来しているらしい。

私は白湯子という若い女性と同棲している。女は酒場づとめをしている。妊娠中に暴行を受け、死産したのが原因で不感症になっている。彼女もまた暗い過去を引きずっている女だ。

私の出自は明確でない。両親に幼少のころ捨てられた。遠い親戚の家に預けられ、蹴られ、なぐられした揚げ句、施設に入れられ、そこで育った。

私が最初に生を意識したのは、幻想的な土の中の記憶である。土の中から這い出してきたのだ。時どき衝撃的に破滅願望が起こるのは、そのトラウマかもしれない。

事件に巻き込まれて大怪我をした白湯子が運び込まれた同じ病院に、私も担ぎ込まれる羽目になる。タクシーで強盗に襲われてしまったのである。この時も、私の破滅願望が働いて惨憺たることになる……。読みすすむにつれて、奥深い人間の運命の謎に引き込まれる傑作である。

厭世フレーバー』 三羽省吾:著/文藝春秋:刊/1,600円+税

ここに描かれるのは5人家族である。14歳の少年・圭一は中学2年生、陸上の選手だ。その姉で17歳の高校2年生の女の子は普通標準系。その上に、27歳と年の離れたサラリーマンの兄がいるが、じつは姉弟とは血のつながりがない。

姉弟の母は42歳、一家の主婦だが酒びたりの毎日。その義父にあたる73歳の爺さんは、ボケが日ごとひどくなっている。

つまりこの家には、柱となるべき父親がいない。勤め先をリストラされ、退職金の4分の1を持って家出してしまったのだ。一家の長男は、この父親の先妻が産んだ子供。こういう複雑な家庭だ。

こうした中で、中学2年の少年は高校進学をあきらめ、運動部も退部して、新聞配達のアルバイトに精を出す。近所に住む境遇の悪い同級生の少女と心を通わせる。高2の女の子は夜遊びしていると兄に誤解されているが、じつはおでん屋でアルバイトをしている。援助交際を申し込まれて5万円を手にした彼女は、相手の目をごまかして逃げ出し、その5万円で毛並みのいい猫を買って帰る。名付けて「部長代理」。母も義父もかわいがって育てる……。

厭世風味の一家の中で、それぞれが必死に生きる姿が印象に残る作品。

(K・F)

※「有鄰」454号本紙では5ページに掲載されています。

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