Web版 有鄰

451平成17年6月10日発行

[インタビュー]「夢枕獏ワールド」への招待
伝奇小説・バイオレンス・山岳小説・格闘技 etc.

聞き手・ライター/青木千恵

はじめに

編集部「陰陽師」「安倍晴明」といえばすぐに、「夢枕獏」というお名前が浮かぶほど、夢枕獏先生が書かれた『陰陽師』(文藝春秋)は100万部を超える大ベストセラーとなり、出版界の話題になりました。

また、昨年9月に第4巻が刊行され完結した『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』(徳間書店)は1988年に『月刊SFアドベンチャー』(2月号)に第1回を発表されてから、17年の歳月をかけて完成された大作です。

今日、お招きしました夢枕獏先生はこうした伝奇小説をはじめ山岳小説、バイオレンス、釣りや格闘技など、じつに幅広い分野の作品を発表していらっしゃいます。『沙門空海…』など、さまざまな作品についてご紹介いただきながら、現在、住んでおられる小田原について、あるいは作家としてのお仕事と遊びとのバランス、今後の抱負などもお聞かせいただければと存じます。

聞き手は、本紙の「人と作品」の欄を担当しておりますライターの青木千恵さんにお願いしました。

17年がかりの大作『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』

『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』・表紙

『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』
徳間書店

青木最近作で、しかも超大作の『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』は、執筆17年という大変な長さですが、書こうと思われたきっかけを教えていただけますか。

夢枕もともと僕は冒険小説というか、ある地点からある地点まで行って宝物をとって来るとか、何か志を持って長い旅をして帰ってくる、あるいは旅の途上で果ててしまうとか、そういった話が基本的に好きだったんです。

夢枕 獏

夢枕 獏

その一番のもとは、多分、子供の頃に読んだ『西遊記』だと思うんです。『西遊記』は、玄奘三蔵という実在の坊さんが、唐の都の長安から天竺まで出かけていって教典を持って帰ってくる話ですね。

僕の小説は、そういう話が多いんです。『神々の山嶺』は、山の上に行こうとする男の話です。あと格闘もので、俺より強いやつは許さないというタイプの話を書いているんですが、それもある意味では自分より強いやつのところまで行って闘って勝つ。要するに山で言えばエヴェレストのてっぺんに登りたい、『西遊記』で言えば、インドまで行って、教典を手に入れてくる。構造的にはみんなそういう話なんです。

空海が小説の素材としておもしろいという意識は、以前からあったと思うんですが、あるとき、いきなり「よし空海!」というのではなくて、今にして思えば、子供のころから読んできた『西遊記』という話の流れの中の、僕にとっては個人的な出来事だったと思います。

闘いと旅と仏教 好きなものが全部入っている

青木『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』は遣唐使として橘逸勢と一緒に唐に渡った空海が、妖異な事件に出会い、それらの呪いのもとが、50年前に栄華を誇りながら、安史の乱で長安の都を追われた玄宗皇帝と非業の最期を遂げたという楊貴妃の死に関わっていて、そこに詩人の白楽天なども登場し、最後は魑魅魍魎のごとき輩が集うという、たいへん壮大なスケールの物語ですね。

夢枕闘いと旅と仏教。僕の好きなものが全部入っているんです。当時、バイオレンスとエロスが合わさった伝奇バイオレンスというジャンルの話を、菊地秀行さんと一緒に書いていたんです。注文もそういう傾向のものが多く、ほかのものを書けなくなったら大変だと思って、あわてていろんなものを書き出した時期でした。『陰陽師』と並行して書き始めたんです。

妖怪とか鬼とか、普通の日常ではあり得ないものと、すぐれた人間の術者とが出会って、問題を解決していくという話に、そのころはちょっと惹かれていたんですね。自分だったらどうやるかなと考えていた時期でもあった。でも最初は、2、3年で終わるつもりだったんです。

空海の力、長安のもつエネルギーはやっぱり強かった

青木それが17年がかりとなってしまった理由は何でしょうか。

夢枕空海と長安という素材の持っている力を、僕は過小評価していたんだと思うんです。空海の力、唐の都の長安が持つエネルギーは、やっぱり強かった。それを書いていくと、時間がとても足らないし、枚数も足らないし、準備も足らなかった。

「空海が、唐の長安で妖怪と闘う」というところから始めて、タイトルがもう決まっていたので、どうやって鬼と宴するところに行くか。話が膨らんでいくときに、勉強しながら書いていった部分があるんです。楊貴妃の話も、どういう出生で、どういうふうに玄宗皇帝と結ばれて死んでいったかというのを、やっぱり踏まえないといけない。

そうすると、書かなきゃいけないものがふえていって、歴史的ないろんなものを埋めていくと、自然に時間がかかってしまったという感じですね。僕の構想では半分ぐらいの分量だったんですが、3巻の途中ぐらいになっても、まだやらなきゃいけないことがいっぱいあった。それで、終わらせるように話を持っていったんですが、何年もかかりました。「あと200枚、200枚」と言いながら、多分1,000枚以上書いたと思いますけど、気がついたら17、8年たっていたということですね。

空海の宇宙観と魔術性が僕の感情とシンクロ

青木千恵さん

青木千恵さん

青木空海を書くというのは、かなり独特な視点ですよね。しかもそれを歴史小説としてではなく、エンターテインメントで書かれた。

夢枕空海に惹かれるのは、まず空海にはしっかりした宇宙観があって、それは現代の科学とそれほど矛盾なく語られるものなんです。その宇宙観と、それから、空海の持っている魔術性みたいなところが、僕の考えていることや、僕の中にある、そういうものに惹かれる感情とシンクロしたんです。

書き始める前に、空海が非常に大事にした理趣経というお経に出会ったことも大きかったですね。これはすごいお経で、日本の仏教の中の悪いものも、いいものも、このお経から出ているところがあるんです。

青木橘逸勢と空海の道行きというか、2人のかけ合いはすごくおもしろいですね。

夢枕『陰陽師』の源博雅と安倍晴明のかけ合いも、ほぼ並行して書いていたので、ノリがよかったですね。

青木主人公がいて、それと非常に対比的な人物がいるのは、書いている側もおもしろく、しかも、深みが出てくるものなんでしょうね。

夢枕『陰陽師』の2人はシャーロック・ホームズとワトソン博士というのを、2、3作目からはっきり意識していたんです。『空海』のほうはそこまでは意識してなかった。ただ、書くときに、逸勢がいたことで小説的には楽だったですね。逸勢がここは質問すればいいんだなとか。

青木空海のキャラクターは、安倍晴明とはちょっと違って、非常に背筋が伸びている。比較的理詰めで、いろんなことが起きても落ちついて対応して、旅の目的は達していくタイプの人物ですね。

夢枕キャラクターとしては、安倍晴明とちょっと似ていて余り悩まない。例えばホームズがそうであるように、周りが悩んで空海が解決していく。ただ、それだけではおさまらないところがあって、最後には主人公である空海が気持ちを揺らさないといけないんです。

空海は、最初からずっと何でもわかっていて、人の心も操れて、いろんなことをしていくんだけど、それでも自分は、自分のそういうことをちょっと過信し過ぎたと言わせる必要があるし、自分は無力な一人の沙門であるということも、でも、そこが仏教なんだというところも、やっぱり空海には言わせないと、あの物語は終わらなかったんですね。

楊貴妃を出したほうがおもしろくなるしテーマとしてはいい

夢枕あと、楊貴妃を書くのはいいんだけど、どうしようかというのはずっと僕の中ではおさまりがつかなかったんです。この話はほとんど女性が登場しない。楊貴妃だけなんです。しかも本人はほとんどしゃべらず、周りの人が彼女について語っている。

今思えば、最後に楊貴妃が実は狂っていなくて、そのほうが楽だから、狂ったふりをしていたんだということに行くまでの勝負だった気がしますね。それで初めて終わることができた話だと思います。

青木楊貴妃は最初は構想になかったそうですね。

夢枕調べたら、まだ生きていてもおかしくない年齢なんです。それなら楊貴妃を出したほうが話はおもしろくなるし、テーマとしてはいいなと。それで様子を見ながら書いていたんですけど、やっていくうちに、もう引き返せないところまで行っているのがわかって、これは腹をくくって、ちゃんと書かなきゃということになったわけです。

空海と白楽天の出会いは、同じ町に住んでいたならオーケー

青木白楽天とのリンクもすごくおもしろいですね。

夢枕いろんな資料を読むと、空海の同時代人として白楽天がいたと大抵書いてあるんです。空海が寄宿していた西明寺というお寺には、白楽天が行っているんです。長安の同じ城内に住んでいて、牡丹を見に行って詩を書いている。それなら白楽天と空海は出会わなきゃまずいんじゃないかということなんです。

西明寺は牡丹の名所で、毎年、牡丹の咲くころには人がいっぱい来るんです。当然、白楽天は何度か行っているだろう。実際に会ったという記録はないので、学問的には2人が会ったとは書けませんけれど、小説としては、同じ町に住んでいたなら、もうオーケーということです。(笑)

青木書き上げたときは、たいへんな達成感があったんでしょうね。

夢枕最初はほとんど10センチぐらい先しか見えずに書いていました。だから書き上がったときは、太鼓が鳴ってラッパが鳴り響きましたね。

やっぱり現地に行ってみたい、行けば必ずいいことがある

青木現地を訪ねての取材もなさったんですね。

夢枕青龍寺に行ったんですが、お寺は跡形もないんです。かなり立派なお寺だったんですが、何にもなくて一面畑でした。麦畑だったかな。今は畑の中に、青龍寺跡の記念堂が建っていて、空海がここに来ていたという碑が建っているんです。あとは、そこから出土した瓦などがちょっと陳列されているだけです。あそこは本格的に掘ったら、多分、空海が書いた碑が出てくると思うんですが……。

青木現地に行かれると、やはり全然違いますか。

夢枕違いますね。

青木当初の資料や取材では足りなくなったりすると、現地に取材に行かれたりするんですか。

夢枕いや、単に好きで行くんですよ。そこに行かないと書けないというのはもちろんありますが、やっぱり行ってみたいんです。行くと必ずいいことがあるし、いいことというのは、もうどんなに変わっていても、それはそれで一つのインパクトですから、必ず心の何かとつながるんです。

跡形もなくても、それはそれで一つの出来事ですから、「えっ、ビルが建ってるの」みたいなことでもいいし、何にもない荒れ地でも、もちろん麦畑でもいい。

楊貴妃が湯浴みしたという華清池などは、すごい観光地になっていて、行くたびに騒々しく、がさつなものがふえて、2度目に行ったときは楊貴妃の像も建っていた。

もともとそこは温泉地で、冬に長安じゅうが引っ越すんですね。玄宗皇帝と楊貴妃が行っちゃうので、長安の政治が全部、今だったら永田町が丸ごと引っ越しちゃうようなものですね。だから全山、宮殿だけではなく、ほとんどの施設があったんです。昔の絵なんかを見ますと、山の中にお堂みたいなのがいっぱい建っていてすごいですね。

空海だけではなくほかのインパクトもあり、楽しい

青木秦の始皇帝陵で発見された兵馬俑らしき妖怪も出てきますね。

夢枕兵馬俑は2度行っているんですが、いつ行っても工事中みたいな、上に屋根をかぶせて、巨大な体育館のような状態にして、周りを回ると見えるんですね。あれは壮観ですね。生で地面がそのまま見えますから、そこで発掘しつつ、その現場がそのまま博物館みたいで。

中国は土地が広いところにああいうことができるからいいですよね。

青木空海の取材で中国に行かれて、それ以外のひらめきも生まれたりしました?

夢枕空海だけじゃなくてほかのインパクトもあったりしますので、楽しいですね。雲南省には恐龍がいっぱい出るところがあるんです。平賀源内が恐龍をつかまえてくる話を書くために恐龍の取材に雲南省に行ったんですが、発掘している上に、恐龍一体につき一つ小屋ができているみたいな感じで、そのまま地面からむき出しになった恐龍を見ることができる。裏の丘にも恐龍の骨がいっぱいある。すごいのは17体ぐらいの恐龍が折り重なるように倒れている一角があって、そこも大きい屋根と壁をつくって、発掘しながら見学もできるようになっているんです。

その取材の過程で、晴明の五芒星のルーツも、やっぱり雲南省なんだというのがわかったり、非常におもしろいですね。

実際に行くと、いろんなものが落ちていて、それを拾うことができる。自分で行かないと、それは無理ですね。

『陰陽師』は、女性の『源氏物語』文化と男性のヒーローものがクロス

『陰陽師』シリーズ

『陰陽師』シリーズ
文春文庫

青木『陰陽師』は大変なブームになって、安倍晴明が有名になりましたね。

このシリーズは、安倍晴明という大内裏の陰陽寮に所属する陰陽師が笛の名手の源博雅と力を合わせて、死霊や鬼など、平安の世に起こる不思議な事件、怪かしの数々を解き明かし解決していくというストーリーですね。

夢枕安倍晴明と空海の話は並行して書いてきて、量もほぼ同じぐらいです。安倍晴明が空海と違うのは、源博雅がかなり引っ張っている部分があるんです。

博雅と晴明というのは、ある意味では裏表みたいな関係なんです。これは書いているうちにわかったんですが、源博雅と安倍晴明は実は同じ能力を持っている。それがすごい発見でしたね。ただ、博雅は自分の持っている力に気がついていない。

博雅は、無意識のうちに笛を吹くだけで、鬼が笛をくれたり、天地の精霊が動いたりするんですけど、博雅は無自覚なんです。

たとえば、あるとき源博雅の家にどろぼうが入って、家財道具をみんな持っていっちゃった。ただ一つ、ひちりきという楽器が残っていたので博雅がそれを吹いた。これがまたすばらしい。どろぼうに入られたのに、楽器が残っていたからそれを吹くところがまずすごいし、それを聞いたどろぼうが「俺たちは何てすごい人のものを盗んでしまったんだろう」と盗んだものを返しにくる。博雅は笛を吹くだけで盗人の心を動かす力があったんです。

それから、鬼が盗んだ琵琶の玄象は、僕は安倍晴明が取り戻したと書いたんですが、『今昔物語集』では源博雅なんです。それも闘って取り戻すのではなくて、ただ静かに待っていると鬼が返してくれる。博雅は、羅城門の上で琵琶を弾いている存在に向かって、「それは帝の琵琶の玄象ではありませんか」と言うだけなんです。すると、玄象がひもに縛られてスルスルと門の上からおりてくる。

河合隼雄さんがある対談で「我々の治療行為と『今昔物語』のエピソードは非常に似ている」とおっしゃっているんです。自閉症の子供の心を取り戻すときに闘ってはいけない。じっと待っていると、あるときふいに鬼が返してくれるんだと言うんです。

鬼の心を動かすというところ、しかも、博雅は自分がしたことに無自覚であるというところがすごいんですね。

安倍晴明は、俺がこうすれば鬼は動くという自覚があるんです。2人は同じ能力がありながら、一方は確信犯、一方は無自覚。その構造が『陰陽師』という話を引っ張っていると思うんです。博雅の存在がなければ、安倍晴明の人気はここまでじゃなかったでしょうね。

青木2人の主人公がいるような小説の構造になっているんですね。

夢枕基本的には、すべての話に博雅が出てきて、いつもかたわらにいて驚いたり感心したりしていますから。

伝奇バイオレンスの要素もあり、平安の香りも入っている

青木ブームになった理由というのも、そのあたりにあるんでしょうか。

夢枕ブームになるには2つの力がないと無理で、一つは、作品の持っている何らかの力、それはマイナスの力でもいいんですが、作品にまず何かがないとだめですね。

『陰陽師』でいうと、まず伝奇バイオレンスですね。これは基本的には男性の読みもので、強いヒーローが悪いやつや悪い妖怪たちをやっつけるという話です。これは古くは明治の頃の講談の流れをくんでいると思うんです。それが漫画にも、小説の中にもずっと受け継がれて流れてきた。ヒーローの化け物退治ですね。

もう一つの流れは『源氏物語』なんです。『源氏物語』人気が平安時代から、江戸時代もずっとありましたし、明治のころもあったし、現代も人気は根強いんです。その時代、その時代の女流作家がその都度現代語訳している。それを背景にして、少女漫画と少女小説の中で平安時代が根強い人気を持っていた。女性が支えてきた平安時代、『源氏物語』文化はずっと流れているんです。

それと、男性側のヒーローの化け物退治という流れがクロスする。それは間違いないと思います。さらにその背景には、女性誌に占いのページが必ずあるように、女性が支えてきた占い大好きという文化があるんですね。それが安倍晴明でシンクロした。

なぜシンクロできたかというと、安倍晴明が美形だったからということに尽きると思うんです。安倍晴明をきれいに描写して、博雅をまた朴訥ないい男に書いた。伝奇バイオレンスの要素もある。妖怪退治にもかかわらず、美しい平安時代の香りがその中に入っている。

さらに、文章でも美麗な安倍晴明を、岡野玲子さんが視覚的にわかりやすく漫画化してくれた。いろんな要素が重なって安倍晴明の人気が出たと思うんです。

昔から冒険ものが好きで格闘技が好きで漫画が好き

『餓狼伝』・シリーズ

『餓狼伝』
双葉文庫

青木そういう意味で漫画文化はすごいですね。

夢枕漫画文化はやっぱり大きいと思いますね。『餓狼伝』という小説を書いているんですが、これがシリーズものとしてはすごく息が長いんです。『陰陽師』は1話ずつ完結していますが、ずうっと連続して同じ話を書いていると、1巻よりは2巻が売れなくて、2巻よりは3巻が売れなくなるんですよ。必ず次の巻、次の巻で一割ぐらいずつ減ってくるんです。ところが『餓狼伝』はまだ1巻が売れるんです。

青木今、何巻目ですか。

夢枕13巻。別巻1を入れると14巻です。

これは板垣恵介さんが漫画化してくれたからであるとしか言いようがないんです。僕は今までいろんな小説を漫画化していただいていて、『陰陽師』の漫画もいっぱい売れたんですが、小説のほうが大体売れているんです。小説のほうが部数は多い。ただ『餓狼伝』だけは漫画のほうが売れているんです。格闘技ブームというのも後押ししてくれていると思うんですが。

漫画の読者が流れてきて、小説を支えているとしか考えようがないんです。

青木『餓狼伝』は小説のほうも、連打、連打、連打とか表現がとてもおもしろいですね。

夢枕殴った、殴った、殴ったと5行ぐらい書く。

僕、格闘技の場面で白紙にしちゃうんです。意識が途切れるところは2ページぐらい白紙にして、パンチが入ったという描写なしにいきなり意識を飛ばして、時々短い単語だけポロッと入れる。だんだん単語の量が多くなって、倒れているところから意識が戻ってくるように普通の文章になるんです。格闘シーンはいろんな手口で書きました。

頬を殴られたときに、細胞が1個ずつ、ミチミチッとゆっくりつぶれていって血が出てくるまでを、いっぱい枚数を使って書いたりとか。

『餓狼伝』では、多分、世界で一番格闘の描写のバリエーションをふやしたと思います。

『陰陽師』が売れ『神々の山嶺』の濃さで作家として認知される

青木作品ごとの書き分けもすごいですが、ともかく分野が幅広いですね。いろんなものに関心を持たれるのは昔からですか。

夢枕あまり変わってないですね。昔から冒険ものが好きで、格闘技が好きで、漫画が好きで。今もそれをやっているという感じです。

青木山もお好きですね。

夢枕1993年にヒマラヤのベースキャンプまで行ったのを最後に、山歩きは極端に減っていますね。ちょうど『神々の山嶺』を書き始めたころです。

青木『神々の山嶺』は、ネパールのカトマンドゥの裏街で、カメラマンの深町が古いコダックを手に入れる。そのカメラはマロリーがエヴェレストの初登頂に成功したかどうかという、登攀史上最大の謎を解く可能性を秘めていたというところから、ストーリーが展開していきます。

柴田錬三郎賞を受賞されたこの作品に対してはどんな思いがありますか。

夢枕書いているときは夢中であまりわからなかったんですが、書き上げてからもう10年ぐらいたつんですが、今となってみれば、これで作家としての認知があったのかなという気はしています。

『神々の山嶺』・シリーズ

『神々の山嶺』
集英社文庫

最初は伝奇バイオレンスのあたりから認知が始まって、『上弦の月を喰べる獅子』みたいな宮沢賢治ものを書いたり、いろんなことをしていたんですが、『陰陽師』がある程度売れたことと、『神々の山嶺』の濃さで、いわゆる作家として認知されたのかなと思いますね。

青木山に登るという、ご自身の趣味も渾然一体となって、ネパールまで行って取材された山岳小説ですが、ここまで書いてしまったら、もう山の話は二度と書けないだろう、これが最初で最後、と、「あとがき」で言われてますね。

夢枕何か、全部書いちゃったという感じがありましたね。そうそうはない感覚でした。山の話はもう出てこないでしょうね。『神々の山嶺』が終わってからは、アウトドアの時間があれば、山じゃなくて、釣りに行くようになっちゃったんです。

行った先、いつでもどこでも書ける

青木「書くことは杖である」とおっしゃられ、今、月産が400字詰で200から300枚書かれるそうですが……。

夢枕そうですね。そのぐらい。300枚いくかいかないかぐらいが平和な量だと思いますね。

青木しかも、鮎釣りとかもされていて。

夢枕どこでも書けばいいんです。鮎釣りに行ったらそこで書いて、格闘技を見に行ったら、行った先で書いて、いつでもどこでも書ける体質になっちゃったので、僕は小説があるから釣りに行くのをやめようというつもりはないですね。釣りに行けば、どうせ夜に釣りはできないわけですから、昼間釣って夜仕事をする。あるいは、午前中は仕事をして、午後2時間だけ釣るとか、それができるんですよ。仲間と行っても、「先に行って釣ってて」と言うことができるんです。

青木手書きですか。

夢枕手書きです。だから歌舞伎座で書いたり、キース・ジャレットのピアノを聞きながらとか、いろんなところで書きましたね。

青木それは締め切りに追われているときですか。

夢枕そうですね。そこまで追い詰められることは最近はほとんどないんですが、電車の中で普通に書けます。車だけは酔っちゃうのでだめなんですけど、東京駅のホームで立って書いたこともありますよ。電車の中で終わらなくて、階段の手すりのところであと何行と書いた。速いですよ。そういうときの原稿ってそんなに悪くないんです。

全部仕事で全部遊んでいるような感じ

青木頭はいつもクリアなんですね。

夢枕追い詰められているときは活性化している。手塚治虫さんがいい例です。あんなにいっぱい書いて、ほとんど水準以上で、忙しいから作品が荒れたということはほとんどない。忙しいからいいものが出てくることは間違いなくありますから、忙しくてよかったなということは多いですね。ただ、そうじゃない人もいるから、自分がどういう体質かというのはくぐらないとわからないですね。忙しくても大丈夫かどうかというのは、体験して初めて言えることだろうと思うんです。

青木出歩かず、机に向かう時間が長ければという方もいらっしゃいますし。

夢枕僕はそれはだめですね。すごく矛盾した中にいるんですけど、もう書くのがいやで、本当はいやじゃないんですけど、常にサボる理由を探しているんです。座って仕事をしなきゃいけないんだけど、まだあれやってない、これやってない、きょうは『少年マガジン』の発売日だから読んでおかなきゃとか、そういうことを全部し終えてしまうと、もうやるしかなくなってやるんです。仕事はいやなんですよ。でも原稿を書くのは好きなんです。矛盾しているようで矛盾していないようで、だから、暇な時間をくれれば、それでもやっぱり書いちゃうと思うんですけど、ただ、量は減ると思いますね。書くのは病気みたいなものだから書くけど、締め切りがあって、誰かが「できましたか」と言ってくれなかったら、量は相当減りますね。仕事じゃないと、こんなにたくさんは書けないですよ。

青木釣りや遊びも必需品という感じですか。

夢枕そうですね。最近は渾然一体となっていますね。昔は死ぬほど遊んで、倒れるまで仕事をするのが目標だったのが、今は区別がつかなくなって、全部仕事で全部遊んでいるような感じにだんだんなってきましたね。

生まれ育った小田原のいいところは東京との絶妙な距離感

編集部ところで、有隣堂は、6月25日に小田原駅ビル5階に「小田原ラスカ店」を開店させていただくことになりました。先生はお生まれになってから、ずっと小田原にお住まいですが、小田原という土地がご自身や作品にどんな影響を与えていると感じていらっしゃいますか。

夢枕小田原は、外から来た人たちからは、保守的だと言われる町なんです。いろんな意味でまだ何かが残っている。僕は好きなんです。あんまり変わってほしくないな。好きな場所がいっぱいあるんですよ。変わるならゆっくり変わってほしいなと思っているし、観光客なんかいっぱい来なくてもいいんです。

小田原のいいところは、東京との絶妙な距離感なんですね。東京から見たらぎりぎり箱根の手前で、新幹線が止まる。山手線半周するのと同じ時間で東京へ出ることができる。新幹線で行けば37分で東京に着いちゃうんです。だから、東京で買い物もできる。でも距離は80キロから100キロぐらいあるので、東京がいやだと思ったら、関わらずにいられる。そのとき、そのときの心のあり方で自由に東京とつき合うことができるんです。

25年続いている『キマイラ』は小田原が舞台

完全版 『キマイラ』

完全版 『キマイラ』
朝日ソノラマ

夢枕目の前が相模湾で、平塚あたりを境にずっと水がきれいになってくるんですけど、きれいな海があって、早川と酒匂川という2つの川にはさまれたのが小田原という町なんです。横には箱根、背後には丹沢の山々があって、酒匂川を中心にして足柄平野が広がっている。環境的に海も、山も、川もあって非常にいいんです。都市にも近い。こんな絶妙な場所ってないと思いますね。

しかも、城下町で歴史がある。東京の地名は小田原から行っているのが多いんです。板橋とか荻窪とか。これは太田道灌が江戸に町をつくろうとしたときに、最初にモデルにしたのは小田原だったからだという資料を目にしたことがあります。それで小田原の地名が東京にもある。都市としては小田原のほうが古い。本当は小田原に家康が居を構えたかもしれない。

青木小田原が出てくる作品は?

夢枕30歳ぐらいのときに始めてまだ終わらない『キマイラ』シリーズは、小田原が舞台なんです。小田原高校がモデルの学校にある美少年がいて、その少年の中に実はこの世のものならぬ獣が潜んでいてという話で、延々25年ぐらい、今でもサボらず書いています。

地元が小説の舞台だと、あそこの角がどうでとかわかるから、取材しなくていいんです。でも書き始めて25年たつとさすがに風景が変わって、主人公が塀の上を走るシーンなんかあるんですけど、その塀がもうなくなっちゃったりしています。

中学・高校までは今の100倍読んでいた

青木お若いころの読書量はかなりのものだったんですか。

夢枕今の100倍読んでいたんじゃないかと思うぐらいです。1日2冊ぐらい読んでいましたので、中学、高校まですごかった。大学に行って極端に減りましたね。

青木手当たり次第という感じだったんですか。

夢枕やっぱり趣味の範囲で、世間で言う文学書というのはあまり読んでなかったです。いまだに読み残したものがいっぱいあるんです。

SFは当時手に入るものはほとんど読んだ気がします。

青木例えばどんな本を?

夢枕探偵小説もSFも当初は区別していなくて、ルパンものは一通り、ホームズものも一通り読んで、エラリー・クイーンとか、アガサ・クリスティ、並行してベリャーエフ選集を全部読んで、それから当時幾つかあった少年版のSF全集は大体読んで、その後、中学3年ぐらいで『SFマガジン』というのがあるのを知ってから早川のSFを読み始めて、同時にエドガー・ライス・バーローズ、ターザンを書いた人ですけど、火星シリーズとか、ああいうのをどんどん読んでました。星新一さんなんかも。

青木世阿弥とか、上田秋成が書いたものも、そのころから読まれていたのですか。

夢枕上田秋成は好きでしたね。特に『吉備津の釜』みたいな話とか、『雨月物語』的な話は、ずうっと好きでした。『西遊記』も妖怪の話ですからね。西洋で言えば、ギリシャ、ローマ神話の話は好きですね。

青木一番影響を受けた作品は何でしょう。

夢枕『西遊記』と『火の鳥』でしょうか。あとは宮沢賢治の詩集。

この世のすべての小説のカタルシスが全部ある小説を書いてみたい

青木今後のお仕事の展望を聞かせていただけますか。

夢枕今、『大江戸恐龍伝』を小学館の『本の窓』に連載しています。本になるのはもっと先だと思いますが、先ほど話しました、平賀源内が南の島へ行って恐龍をつかまえてきて、江戸の町で見せ物にする。で、恐龍が逃げ出して大暴れするという、ゴジラの江戸時代版を平賀源内を主人公で書いているんです。

これは仕掛けが大変で、おもしろいんですけど、非常に長いんです。普通の本ならとっくに1冊か2冊ぐらい、もう29回ぐらいやっていますから、700枚ぐらい書いているんですけど、まだ源内はエレキテルをつくっている最中。上田秋成とか、江戸時代の人間がいっぱい出てくる。

青木先生の本は仕掛けが多くておもしろいですね。

夢枕長いんです。それでまだ江戸時代初心者なんで、調べたことをすぐ書いちゃってだめなんです(笑)。書かないほうがいいんですけど、できるだけほんとっぽいことをいっぱい並べながら、どこかでいきなり恐龍が出てくると、恐龍もほんとにいたような感じになるなと思って。

喜んでほしい、驚いてもらいたいとずっと思っています

青木読者に伝えたいものはどういうことでしょうか。

夢枕何を伝えたいというトータルなものはあまりないんです。ただ、サービスというのはすごくある。喜んでほしいとか、驚いてもらいたいというのは、一貫してずうっと思っています。でも、何で驚いたり喜んでもらいたいかというのが、その都度、変わるんです。

個々の作品では「ここで遊んでいってください、平賀源内、おもしろいよ」みたいなのがある。でも、今何がブームだからというのはない。僕の中でこれがおもしろいからということだけです。ブームをねらうと絶対外すと思う。

自分の中ではいっぱいアイデアがあるんですけど、40歳ぐらいのときに、死ぬまでに何冊本が書けるかって計算したことがあるんです。手塚治虫が死んだ60歳まで生きたとして20年、年10冊ずつで200冊書ける。それで、頭の中にあるアイデアを割り振っていったら200冊じゃ足りないんですよ。すべて書けることはないんだというのがわかって、そのときからは淡々と頑張っています。どっちみちどこかで多分書けなくなるか、死ぬと思うんですね。

でも、葛飾北斎だって90歳を超えて、もう10年あればみたいなことを言っている。そんなふうに、あと10年あればって100ぐらいで言ってみたいですね。葛飾北斎はちょっと異常な人で、若い人がライバルで、常に新しいものをやろうとしていた。そうありたいと思いますね。

すべての小説が要らなくなってしまう『最終小説』

夢枕あと、もう10年ぐらい『最終小説』というのを書くと言っているんです。それは、この小説が書き上がったら、もうすべての小説が要らなくなってしまう小説のことで、僕は仮に『最終小説』と呼んでいるんですけれど、小説というジャンルが終わってしまうような、史上最強の小説を書きたいなと。この世のすべての小説が持っているカタルシスが全部ある小説を書いてみたいと思っているんです。たとえば三島由紀夫も読まなくていい。夢枕の『最終小説』を読めば、『金閣寺』の感動もあるしみたいな。

大衆小説というジャンルで神のことを完璧に書いたら、そういう小説になるだろうと勝手に定義して、どうすれば書けるか考えていったら、いろんな手口があって、方法論はもう見えたんです。1万何千枚か書けばできるかなと、この10年間ぐらいで割と具体的になってきた。

多分、そんな小説は存在しないと思うんですよ。存在しないんだけれど、そんなふうに鐘を鳴らして、この世に存在しない一番高い山に登るんだと言っているほうが、何か元気があっていいじゃないですか。そういう小説を書く確信犯としての最初の人間になりたいなと思って、『最終小説』というのを言い続けているんです。

本当は今年からやろうと思っていたんですが、今年は別のSFを書くことにして、もう10年ぐらいしたら書こうと思っています。

青木楽しみです。でも、書き始めてしまったらもったいないような気もします。

夢枕そうですね。『最終小説』を書き上げた後で、まだ書くものがある。(笑)

『最終小説』と言っておきながら、注文が来たら、これを書きたいんだとか言い出したりして。『帰ってきた最終小説』(笑)。『最終小説の逆襲』とか。

編集部ありがとうございました。

夢枕 獏(ゆめまくら ばく)

1951年小田原生れ。
著書『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』(全4巻)徳間書店 各1,800円+税、
神々の山嶺』集英社文庫 (上)730円+税・(下)800円+税、ほか多数。

※「有鄰」451号本紙では1~3ページに掲載されています。

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