Web版 有鄰

451平成17年6月10日発行

西木正明と『孫文の女』 – 人と作品

歴史の裏舞台で働いた女たちを描く短編集

西木正明
西木正明

女性を主人公にしたシリーズの第1弾

表題作「孫文の女」など4編を収める短編集。

冒頭の「アイアイの眼」は、日露戦争最中の1904年(明治37年)12月から翌年3月、アフリカ・マダガスカル島に逗留したロシア・バルチック艦隊の機密情報を、島で働いていた日本人娼婦のイトが入手、軍部に伝える物語だ。日露戦争終結からちょうど100年経つが、1905年5月の日本海海戦で、日本がバルチック艦隊を破った大勝利の影に、遠いアフリカに流れていた日本人女性の働きがあったとは……。

「なぜ、かくもあっけなくバルチック艦隊が敗れたのか、今ひとつ釈然としない思いが僕にはありました。貿易商について東南アジアに出た日本人女性が、マダガスカルにまで流れていた事実を知った瞬間、話ができた。イトが情報を伝える“赤坂”は実在の人物で、日本の軍人がマダガスカルで情報を集めていた物語の基本構造は、本当のことですね」

4つの短編は、明治から昭和初期にかけ、歴史の裏舞台で働いた女たちを主役にしている。1873年(明治6年)、イギリスの博物学者トーマス・ブラキストンが、使用人殺害容疑で起訴された事件を、ブラキストンの愛妾・三浦ソノの視点から描いた「ブラキストン殺人事件」、九州に生まれ、満州に流れて女馬賊になった山本菊を描いた「オーロラ宮異聞」、中国の革命家、孫文(1866年−1925年)が滞日中に愛した2人の日本人女性を描いた「孫文の女」。西木さんは、歴史の裏舞台の人物を書き続けてきたが、この短編集は、女性ばかりを主人公にしたシリーズの第1弾なのだそうだ。

「女性を書くのは長らく苦手でしたが、考え方が変わってきました。歴史という大きな流れの中で、自分の能力を最大限に生かして対処することにおいて男も女も違いはないと考えるようになったんです。男性を主人公に書いてきたように、女性の視点で歴史を見てみたくなり、ただ運命に流されるばかりでなかった人を選んで書き始めた。彼女たちに共感して書くことが鉄則です。彼女たちと思いを同じくして、暴き立てたり貶めたりする捉え方でなく書こうと努めれば、話は汚くならないし、彼女たちが生きた時代の息づかいを伝えることができるだろうと」

故郷喪失者に共感して物語を

昭和15年、秋田県生まれ。早稲田大学中退。出版社勤務を経て、55年、『オホーツク諜報船』で日本ノンフィクション賞新人賞。63年、「凍れる瞳」「端島の女」で直木賞。平成7年に『夢幻の山旅』で新田次郎文学賞、12年に『夢顔さんによろしく』で柴田錬三郎賞を受けている。

「凍れる瞳」で日本のプロ野球で活躍した投手スタルヒン、『夢顔さんによろしく』でシベリアで死んだ近衛文隆を描き、今回の短編集で、アフリカや満州に流れた日本人女性を主役にしたように「故郷喪失者」に対する共感があるという。

「僕は世界中を歩いて、ものすごい数の故郷喪失者に遭遇しているんです。話してみると、僕みたいに故郷をしっかりと持っている人間にはない感覚が彼らにはある。望郷の念というのは執着の一種ですが、あきらめと執着がない交ぜになった感覚を、彼らは持っているんです。あきらめと執着がせめぎ合う、どうにもならない虚しさを飼い慣らして生きている人々で、どこか明るくて、人生そのものを笑いとばしている。明るさと虚しさは表裏一体だと思いますね。興味を覚え、こちらも力が湧いてきます。そんな人々に共感して物語をつくれれば、作家としてそれ以上のことは望まないと考えている」

大学で探検部に所属、世界中を旅してきた。「徘徊老人ですよ」と冗談めかしていうが、“徘徊”のスケールは大きく、歩いてきたアフリカや中国の空気が、今回の短編集に生きている。

「アフリカの取材で、日本人女性が100年も前にアフリカに流れていた事実を耳にして驚き、『アイアイの眼』が生まれました。あちこち歩いていると、遠い過去に存在した日本人の影に出会うことがある。その影というのがすごく好きで、書き起こしてみたい衝動に駆られます。点々と散らばった史実を押さえ、それを繋ぐ空間は想像力で補うしかないので、登場人物の話すクセ、目の動き、ちょっとしたことに対する反応の仕方など、史料に書かれていないところをどう補って小説にするかを考えます。最近は、『何を書くか』より、『どう書くか』に気をつけていますね」

(青木千恵)

『孫文の女』・表紙

孫文の女
西木正明/文藝春秋/1,800円+税

※「有鄰」451号本紙では5ページに掲載されています。

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