Web版 有鄰

450平成17年5月10日発行

中村彰彦と『落花は枝に還らずとも』 – 人と作品

幕末の会津藩士・秋月悌次郎の生涯を描く

中村彰彦
中村彰彦

「日本一の学生」と呼ばれた武士

幕末動乱の京都に「日本一の学生」と呼ばれた武士がいた。会津藩士・秋月悌次郎(胤永)。会津きっての秀才で、長岡藩の河井継之助や、薩長の藩士と交際し、会津藩の滅亡に立ち会った人物である。

「幕末の会津史に必ず出てくる文官です。江戸時代の武士は、武官と文官に大別され、武官の活躍は、戦闘場面などを盛り込めるので書きやすいが、文官の秋月は、派手な動きが少なくて書きにくい人物でした。これまで様々な形で会津を書いた上で、ようやく書くことができました」

幕府に忠誠を尽くし、粗衣粗食に甘んじても超然と生きることを奨励する、初代藩主・保科正之以来の気風の中で育った秋月は、19歳で江戸に遊学。弘化3年(1846年)から10年間、昌平坂学問所で学び、舎長を務めて、「日本一の学生」と呼ばれた。

優秀だが、欲のないまっすぐな気性のためしばしば他人から嫉妬され、藩内の権力争いに巻き込まれる。秋月を公用方に抜擢した家老の横山主税が死去すると東蝦夷地斜里に突如左遷される。蝦夷で無聊を託つ間に、薩摩と会津の友好関係が悪化、京都に呼び戻されて関係修復に奔走するが、すでに遅く、慶応3年(1867年)に大政奉還が行われ、会津藩は滅亡していく。

「長く厳しい冬の間、屋内で考えて暮らしている東北人は、どうも理念的なところがある。一方、薩摩や長州など西国は、強い日差しの下、魚や夏みかんなどの食材に恵まれ、現実的です。特に、そのころの薩長は、薩英戦争などの失敗をふんで外交に長け、ケンカ慣れしていた。会津藩は、藩主・松平容保自身が策を好まない性格で、外交力の欠如から薩長に体よくあしらわれ、ついに朝敵の汚名を着せられることになった」

読んでいて面白いのは、秋月を軸に描かれる幕末の社会構造が、会社間の敵対的買収、組織内の権力抗争など、現在の日本社会の構造と大いにオーバーラップする点だ。

長らく、「白虎隊悲話」など、会津藩は一丸となって官軍と戦ったと語られがちだったが、深刻な内部分裂があったことは、家近良樹編『稽徴録』(思文閣出版)などの新資料で明らかになっている。そんな新しい知見を生かし、リアルな人間史を、原稿用紙1,200枚の大作として描いた。

『落花は枝に還らずとも』のタイトルは、高須松平家に身柄を預けられた秋月が、「今日の落花は来年咲く種とやら」—だから心配するなと老いた母お伊野に書き送った手紙の一文に由来する。

会津という枝から一度は地に落ちた秋月は、明治13年、明治政府から出仕を命じられ、第一高等中学校などで漢学、倫理を教え、優れた教育者となる。明治33年に死去、死を知った政府は、彼を従五位に叙した。

賊徒として討たれた会津人の心を思い続けた姿

「秋月は、様々な政変に巻き込まれたが、飲み込まれることはなかった。教科書では、明治に改元された1868年に、線を引いて時代を画すが、状況に流されずに自分の色を塗り替えなかった人物に寄り添うと、歴史を違った形でみることができます。ひたすら誠実に学び、賊徒として討たれた会津人の心を思い続けた姿は、敬服に値する。骨格の正しい、背筋の伸びた生き方をした人物を知ると、こちらも姿勢を正して生きられるような気がしますね」

昭和24年、宇都宮市生まれ。東北大学卒業後、出版社勤務を経て、作家になった。会津の武官の代表格、佐川官兵衛を主役にした『鬼官兵衛烈風録』(平成3年)、平成6年に直木賞を受けた「二つの山河」、『名君の碑−保科正之の生涯』(平成10年)など、会津を書き続けてきた。今後、最後の藩主・松平容保を書いて、以後は会津に限定せずに仕事の幅を広げたいという。

「洋の東西を問わず、人間は権力に腐敗するし、易きにつこうとする。また、日本人には、物事を二元論で考えてしまう傾向があります。大和朝廷の者かまつろわぬ民か、源氏か平家か、南朝か北朝かなどです。しかし、人間も歴史も、本来は二元論でくくれないものだと思う。すべて二元論で考える人間論の構造をそろそろ超えるべき時代だと思いますね」

“文官の最たる秋月を書くのに、やや固い語り口にならざるを得なかった”とあとがきで書くが、文章に揺らぎがなく、むしろ、重厚さで一気に読ませる。昨年暮れに刊行、着実に重版している。

(青木千恵)

落下は枝に還らずとも・表紙

落下は枝に還らずとも
中村彰彦/中央公論新社/各1,700円+税

※「有鄰」450号本紙では5ページに掲載されています。

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