Web版 有鄰

446平成17年1月1日発行

広くて暖かだった縄文の海 – 特集2

松島義章

※図・写真は神奈川県立生命の星・地球博物館提供

貝塚と貝化石から縄文時代の海岸線を復元

縄文時代は貝塚の時代とも言われ、東京湾沿岸の台地には多くの貝塚遺跡が分布していることで知られる。それらの貝塚を地図上にプロットしてみると、現在の海岸線から遠く離れた内陸まで分布していることが分かった。

この貝塚の分布状況から、当時の海岸線を推定してみると、縄文時代には海が陸地のかなり奥まで入り込み、各地に複雑な海岸線をもつ入江がつくられていたことになる。

1926年に東木龍七氏は関東地方における貝塚の分布からみた縄文の陸と海の分布図を最初に明らかにした。それには東京湾を例にとって読み取ると、現在の海岸線からおよそ50〜60キロメートルも奥まで入った栃木県藤岡まで貝塚の分布していることが示され、現在と際立って異なる海岸線の存在していたことが明らかにされた。

この海は貝塚の形成された年代によって、およそ6500〜5500年前の縄文時代早期末〜前期前半となることが考古学の方面から指摘されている。

そこでこのおよそ6500〜5500年前の海岸線を、神奈川県内の各地の沖積低地の地下に埋もれている貝化石と、低地周辺の台地に分布する貝塚の貝によって復元したのが下図である。図に描かれた縄文の海は、現在の臨海低地のかなり奥まで海が侵入していたことになる。

多摩川低地は15キロ上流まで海

多摩川低地では、河口からおよそ15キロメートル上流の川崎市宮内と千年を結ぶ線付近までが海に、鶴見川低地では河口からおよそ18キロメートル上流の横浜市鴨居町付近まで侵入して古鶴見湾となっていた。横浜港に流れ込む帷子川ではおよそ4キロメートル上流の横浜市和田町付近に達する古帷子湾が、大岡川ではおよそ7キロメートル上流の横浜市港南付近まで海水が侵入して古大岡湾の入江となっていた。

6000年前の縄文海進最盛期の海岸線

6000年前の縄文海進最盛期の海岸線

著しい溺れ谷(陸上の地形が地盤の沈降運動や海面の上昇によって海面下に沈んでつくられた入り江)の湾は三浦半島沿岸に見られる。横浜南部金沢八景の古平潟湾をはじめ、特に横須賀市久里浜の古平作湾と藤沢片瀬川の支流柏尾川低地に形成された古大船湾が顕著である。

東京湾の入口に位置する古平作湾は、久里浜港から6キロメートル上流の横須賀市衣笠付近まで海が入っていた。一方、古大船湾は江ノ島の北に河口をもつ片瀬川の支流柏尾川沿にできた内湾で、現在の片瀬川河口からおよそ16キロメートルも上流の横浜市柏尾町付近まで、海水が侵入して誕生した幅が狭く細長い複雑な海岸線をもつ入江となっていた。

台地の裾まで海が広がっていた相模川低地

相模湾沿岸最大の相模川低地では、縄文の海が低地と台地や丘陵の境となる位置まで入っていた。すなわち、藤沢から茅ヶ崎さらに寒川にかけては、現在の海岸線からおよそ3〜6キロメートル奥の相模原台地の南縁に、相模川本流域では寒川町倉見と伊勢原市沼目を結ぶ線付近までが海となり、伊勢原台地でもおよそ8キロメートル入った台地南西縁に、大磯丘陵では東縁に海岸線が位置するまで広がった奥相模湾となっていた。

地震による隆起で古中村湾が潟になり西岸に羽根尾貝塚が

古中村湾(6500年前)から古中村潟(5500年前)へ

古中村湾(6500年前)から古中村潟(5500年前)へ
①感潮域群集(ヤマトシジミ) ②干潟群集 ③内湾砂底群集 ④内湾泥底群集 ⑤内湾岩礁性群集

大磯丘陵には小規模な溺れ谷の古中村湾がつくられていた。この古中村湾は、相模湾沿岸では最も早い、およそ9000年前にできはじめ、およそ7500年前には、古中村湾の原形ができた。その後、およそ6500年前にかけて内湾は現在の海岸線から5キロメートルも奥まで広がる入江へ発展した。

ところが、およそ6300年前に巨大噴火した南九州の鬼界カルデラの火山灰“鬼界アカホヤテフラ”が降灰する以前、すなわち6500〜6300年前の時期に突然起きた相模湾湾奥を震源とする巨大地震によって、大磯丘陵が大きく隆起した。その結果、それまでの古中村湾から海水が引き、汽水湖の古中村潟が突如誕生した。

古中村潟にはこれまでの古中村湾にすんでいたアサリ、ハマグリ、シオヤガイ、マガキなどの貝に替わって、河口や海水の影響を受ける汽水域にすむヤマトシジミが潟の全体にすみつくことになった。

そして、およそ5700〜5300年前の縄文前期に、羽根尾貝塚が古中村潟の西岸につくられた。羽根尾貝塚の人々は住居の前の潟にすむヤマトシジミ、魚や水鳥など、時に相模湾の沿岸へ行きダンベイキサゴやベンケイガイ、サトウガイなどの貝を多く採取して食料としていた。羽根尾貝塚が存在したおよそ5700〜5300年前のこの時期は、大磯丘陵以外の場所、東京湾沿岸では、海が陸地に最も奥まで侵入していた。

足柄平野は酒匂川と狩川によってつくられた扇状地性の沖積平野である。そのためこの平野面は他の平野と比べて至って急傾斜となっていて、縄文の海はあまり奥まで入っていない。

平野の東端を流れる森戸川沿いでは、およそ3キロメートル奥の小田原市田島付近までが入江となっていた。足柄平野の大部分は海岸からおよそ3キロメートル入った小田原市高田と飯泉を結んだ線付近までが海となっていたらしい。平野の西端にあたる小田原旧市内では、史跡小田原城の内堀がちょうど当時の海岸線となっていた。

このような出入りの激しい複雑な海岸線をもつ入江が各地に形成された原因は、最終氷期最寒冷期以降のおよそ1万5000年前から始まった地球温暖化に伴う海面の急激な上昇によってもたらされた。

その証拠は、臨海低地を埋める沖積層に残されている。ほとんどの海成沖積層は泥質となり、保存の良い貝化石やサンゴ化石が沢山含まれている。それらの化石を調べることにより、地球規模で起こった急激な海面上昇と温暖化の様子を知ることができる。

そこで臨海低地に分布する海成沖積層の貝化石調査は、まず化石の産出状態とその海抜高度、種類の同定(鑑定)、さらに貝殻を使って炭素14年代測定による生息年代を決めるなどをおこない、貝からの情報を読み取る。各地で明らかになった内湾の湾奥から産出する貝化石はハイガイやマガキなどであり、その生息年代は、ほとんどが6500〜5500年前の範囲となっている。この年代は考古学の縄文時代早期末〜前期前半となり、いわゆる縄文海進の最も進んだ時期として知られる。

海進最盛期の海面は4メートル高く、水温は2度C高温

6500年前の古中村湾に堆積した下原層(点線より下)、上は中村川の洪水堆積物。矢印はシオヤガイ(潮間帯の砂泥底にすむ二枚貝)

6500年前の古中村湾に堆積した下原層(点線より下)、上は中村川の洪水堆積物。
矢印はシオヤガイ(潮間帯の砂泥底にすむ二枚貝)

神奈川県内各地で明らかになった沖積層の貝化石産出高度は、大磯丘陵南部と三浦半島南部を除くほとんどの地点で、海抜4メートル前後の高さとなっている。つまり、6500〜5500年前の海面は、現在より4メートル前後も高い位置に達していたことを示し、この時代に海水が陸地へ最も深く侵入して内湾を形成した。

縄文海進最盛期には海面が高いだけではなく海水の温度も現在より高かったことが、貝化石やサンゴ化石が示している。貝塚から出土するハイガイやシオヤガイは現在の南関東沿岸では生息していない絶滅種である。

これらの貝を含めて、相模湾沿岸に形成された古鎌倉湾や古逗子湾、古大船湾、古小田和湾、古諸磯湾などには、タイワンシラトリやカモノアシガキ、チリメンユキガイ、コゲツノブエ、ヒメカニモリなど、現在の紀伊半島以南の暖かい海に生息する貝が分布していた。

これらの熱帯種は黒潮の勢いが強くなったおよそ6500年前に南関東まで北上進出してきた。この時期の南関東沿岸の海水温は、熱帯種やサンゴの分布から推定して現在より2度Cほど高かった。その後、海水温の低下と海面の低下によって、これらの熱帯種は南関東沿岸から消滅していった。

タイワンシラトリは現在の日本列島では全く生息していない珍しい貝である。タイワンシラトリの名前からもわかるように、台湾以南の浅海に生息する典型的な熱帯の貝である。黒潮にのって日本列島へ最初にやってきたのが宮崎平野で、およそ7500年前になる。南関東へは、およそ1000年遅れておよそ6500年前に到達した。そしておよそ4200年前まで生息していた。

神奈川県内では古鎌倉湾から産出している。最初に見つかったのは鶴岡八幡宮境内からで、その後、JR鎌倉駅、鎌倉市役所、鎌倉郵便局、大町などの地下からたくさん産出している。この貝化石を含めて古鎌倉湾を復元すると、湾奥が鎌倉宮付近まで達し、八幡宮境内の石段下では波が打ち寄せるきれいな砂浜の広がる海岸となり、タイワンシラトリを含むシオヤガイ、ヒメカニモリ、コゲツノブエなど熱帯種の生息する暖かく豊かな海が存在した。

松島義章
松島義章 (まつしま よしあき)

1936年長野県生れ。元神奈川県立生命の星・地球博物館学芸部長。放送大学客員教授。専門は古生物学。共著『増補縄文人の時』新泉社 2,500円+税、ほか。

※「有鄰」446号本紙では4ページに掲載されています。

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