Web版 有鄰

569令和2年7月10日発行

水族館文化
そのルーツ、魅力、未来 – 1面

溝井裕一

「魚をみること」がもつ意味

20世紀後半から現在にかけては、まさに「水族館の時代」と呼ぶことができる。屋内にひろがる、広くて蒼い世界。それは都市生活に疲れた人びとにとっての癒しとなる。イルカやシャチのショーが、水族館人気を後押ししてきたこともまちがいない。そのいっぽうで、これら生きものたちの「展示」にたいする批判は年々強まっている。

水族館の、どんなところにひとは惹かれるのか。そして、何が批判を呼ぶのか。本稿では、水族館の歴史をふりかえりながら、これらの問題に迫ることにしよう。あわせて、水族館の未来像についても考えてみたい。

そもそも、「魚をみること」にはどんな意味があるだろう。自然のなかで彼らを観察するのは難しい。光を乱反射する水面のせいで、はっきりその輪郭がとらえられないのだ。しかも、彼らの巧みなカムフラージュや、水のコンディションのせいで、まるきり観察できないこともしょっちゅうだ。

しかし、水の澄んだプールや透明な容器のなかに魚を入れたら、じっくりとその姿をみることができよう。そうして私たちははじめて、自然の障害を克服したと感ずる。

「みること」は「理解すること」、さらには「支配する」ことにつながる。それに、彼らを横からみたり、下からみあげることができたら、彼らのいる世界に身を置いているかのような「没入感」を味わうこともできる。これらは、水族館文化を考えるうえで重要なポイントだ。

水族飼育のむかし

スペルロンガ(イタリア)にある養魚池跡。紀元前1世紀ごろのものとされる。

スペルロンガ(イタリア)にある養魚池跡。紀元前1世紀ごろのものとされる。
筆者撮影

水族飼育のルーツはとても古い。たとえば古代メソポタミア、エジプト、ローマ、中国などには養魚池(フィッシュポンド)が存在し、食用・観察用に魚が飼われていた。

とくに印象的なのは、古代ローマの養魚池である。海辺につくられたものはとくに規模が大きく、潮の干満を利用して水をとりいれ、循環させることによって、魚の健康を維持した。養魚池のなかは水がおだやかなので、スズキやボラの仲間が泳いでいるのを、かなりはっきりとみることができる。裕福なローマ人は、こうして魚たちを観察し、海を眺めながらその味に舌鼓をうったのだ。

ローマ人の養魚池は、陸だけでなく海をも飼いならしたいという、彼らのあくなき征服欲をあらわしたものであった。その後、中世から近世にかけて、ヨーロッパの君主もこの伝統をまね、魚を飼った。養魚池の形状も、四角いシンプルなものから、いくつも池をつないで魚を繁殖させるものまで、さまざまであった。

「アクアリウム」の誕生

このようにヨーロッパでは、魚を飼うことじたいは古くから続いていたし、またアジアから金魚文化も入ってきた。それに13世紀以降、水生生物の姿や生態を科学的に研究しようという者もあらわれた。印刷術が発明されると、博物誌のなかに魚のイラストが入れられるようになったが、やはり標本や図版ではなく、彼らを安定した環境で飼い、生きたまま観察するのが望ましい。

これを解決したのが、イギリスの化学技師ロバート・ウォリントン(1807~67)だった。すなわち、水生動物と水生植物をいっしょにすれば、互いに二酸化炭素と酸素を供給しあうので、長生きさせられることを科学的に示したのだ。しかも、モノアラガイを入れれば、濁りのもととなる緑色藻類をとりのぞいてくれることがわかった。

もうひとりの英国人フィリップ・ゴス(1810~88)が、こうして生まれた新システムを「アクアリウム」(=水の器)と命名した。彼は1853年にロンドン動物園内につくられた「フィッシュハウス」、すなわち世界初の公開型アクアリウム(=水族館)のオープンにもかかわっている。

この施設は、机のうえに置かれたガラス製の水槽と、壁にそって配置された水槽からなるシンプルな内容のものだった。だが、魚たちをただみるだけでなく、彼らのいる水界に入ってゆく気分を味わいたいという欲求も高まってきた。

これにこたえて出現したのが、「没入型展示」を目玉とする水族館だった。主にフランスとドイツで流行したが、重要なポイントは、「いま自分が人工的な空間にいる」という感覚を忘れさせることだった。館内を青い光で満たしたり、壁や柱といった人工物を海底の岩に似せることが考案された。壁だけでなく天井もガラス張りにすることによって、いっそうの没入感を得られるようにしたものもあった。水族館は、水生生物を「みる」だけでなく、水界を「体験する」場へと変貌していったのである。水族館文化は、アメリカや日本にもわたり、たちまち人気を博した。なお、上野動物園に日本初の水族館がつくられたのは1882年である。

水族館と帝国主義

ここで重要なのは、近代水族館は19世紀の産物であることだ。このころ、西洋諸国は世界中に植民地をもっていた。つまりヨーロッパ人は、アフリカやアジアのさまざまな民族を支配下においていたわけだが、動物もその延長上にあった。だから、やはり19世紀に発展した動物園には、西洋諸国の軍事的・政治的・経済的パワーを示すものとして、外来の動物がこれみよがしに展示されていた。

そして、当時最強を誇った大英帝国の首都に、水族館が生まれたことは意味深い。海、とくに海中世界は、長らく人間の征服を拒んできた場所であった。しかし「フィッシュハウス」は、イギリスの力がとうとうそこにまで及んだことをわかりやすく示した。つまり、水生生物を捕獲し、展示する水族館は「(動物や自然にたいする)支配を表象する場」だった。ここにこそ、水族館の存在意義をめぐる論争の発端がある。

第二次大戦後の隆盛

その後、第一次世界大戦、第二次世界大戦が勃発し、ベルリン動物園付属水族館や阪神パーク水族館のように、戦争によって破壊されたり解体されたりした施設もあったとはいえ、戦争が終わると水族館文化そのものは息を吹きかえした。

また第二次大戦前から戦後にかけては、新しい展示法が開発されている。たとえば1938年、フロリダに「マリンスタジオ」がつくられたが、これは巨大水槽のなかに大小さまざまな魚を入れて、海中風景を撮影したり鑑賞したりするためのものだった。また同施設は、戦後、世界に先駆けて調教したイルカにパフォーマンスをさせている。巨大水槽もイルカショーも、その後各国の水族館で模倣されたことはいうまでもない。

また戦闘機に用いられていたアクリル樹脂が、展示の幅を広げた。ガラスよりも頑丈で加工もしやすいので、トンネル型、オーバーハング型、円筒形とさまざまなかたちの水槽をつくることができる。ピーター・シャマイエフ設計のニューイングランド水族館(ボストン、1969)、海遊館(1990)、リスボン・オセアナリウム(1998)などは、こうした新技術とストーリー性のある展示を組みあわせた新タイプの水族館だった。同時に、シーワールド・サンディエゴ(1964)のように、シャチやイルカのショーを目玉とする、海洋型テーマパークも誕生した。

批判に直面する水族館

だがそのかたわらで、新しい流れが生じつつあった。1960~70年代以降、すさまじい乱獲や環境破壊に直面して、しだいに人びとは従来の「自然を支配する」という態度に疑問を感ずるようになったのだ。また人種解放運動や女性解放運動の延長として、「動物解放運動」が拡大した。そのバックボーンを提供したのは、オーストラリアの哲学者ピーター・シンガーで、動物が苦痛を感ずるなら、人間の苦痛と平等にあつかうべきだと唱えた。やがて、人間のために動物を拘束することは、彼らが生まれつきもっている「権利」を侵すことである、とも主張されるようになった。

このプロセスにおいて、「支配を表象する場」として生まれた水族館が批判の対象になるのは必然であった。とくにシャチやイルカを捕獲し、プールに入れて芸をさせることにたいする批判は、21世紀に入るといっそう激化した。シャチがトレーナーを殺すという事件を起こしたアメリカのシーワールドは、ショーの中止に追いこまれたが、これは水族館史上のターニングポイントになるだろう。

「支配を表象する場」から「共生を表象する場」へ

モントレーベイ水族館の「ケルプ・フォレスト水槽」

モントレーベイ水族館の「ケルプ・フォレスト水槽」
筆者撮影

それでは、これからの水族館はどのような場所であるべきなのだろうか。これを考えるときにモデルを提供してくれるのが、モントレーベイ水族館(1984)とアクアマリンふくしま(2000)だ。モントレーベイ水族館は、地元の海に特化し、「ケルプ・フォレスト水槽」を展示して、そのなかで微生物を含むさまざまな生きものが、海藻(ジャイアント・ケルプ)とともに暮らしているさまをみせた。そこには、スター性のある生きものは1匹もいないが、「海底の森」の美しさはみる者を圧倒する。そう、ここで展示されているのは、動植物の「共生」なのだ。

すべての動物は、本来の環境に生きているときにこそ、もっとも美しく輝く。それはごく身近な海にいる生きものにもあてはまる。それぞれの地域の水系が、それぞれ宝石のような美しさをもっているのだ。日本でも、たとえばアクアマリンふくしまは、ショーではなく動植物が暮らす環境そのものをみせることに重点を置いている。興味があれば、ぜひ訪ねていただけたらと思う水族館だ。

未来の水族館は、「共生を表象する場」であるべきだと筆者は思う。そこでは、動物と動物、動物と植物、そしてひとと動物が共生する世界がフィーチャーされる。それはまた、故郷の海にたいする愛着をおのずから生じさせ、さらには異なる価値観をもった人びとが共生する社会のモデルを示すことにもなるのではないだろうか。

溝井裕一
溝井裕一(みぞい ゆういち)

1979年兵庫県生まれ。関西大学文学部教授。文化史学者。著書『水族館の文化史』勉誠出版 2,800円+税ほか。

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