Web版 有鄰

569令和2年7月10日発行

千早茜と『透明な夜の香り』 – 人と作品

天才調香師に頼る人々の秘密とは
香りがテーマのミステリアスな物語

千早茜
千早茜
撮影/山口真由子

香りに関わる人間模様を、嗅覚の天才とともに描く

天才調香師が営む、秘密のサロン。「香り」をテーマにした長編小説である。

「もともと香りの本が好きで、編集者と打ち合わせをする中で『香りをテーマにしたエンタメ小説を』と依頼されました。エンタメとはなんだろうから始めて(笑)、天才ってエンタメっぽい要素かなと。人と違う感覚や能力を持ちながら、報われない天才がたくさんいると思います。視力と違って嗅覚は数値化できない、謎の多い能力ですから、嗅覚の天才を描いてみようと思いました」

元書店員の若宮一香は、古い洋館で家事手伝いのバイトを始める。そこでは調香師の小川朔が、完全紹介制の香りのサロンを開いていた。天才調香師・朔のもとに、さまざまな人々がやってくる。

「1章ごとにゲストがいて秘密が解かれる、ドラマのような構成の長編小説にしてみました。一香と朔はおとなしいので、新城や源さんといった動きのある人物を添えて作っていきました。一見しただけでは分からない予想外の本心が物語とともにあらわになる、毎回どんでん返しの手法を意識しましたね」

8章で構成され、亡き夫の香りを求める女性や、匂いを手がかりに行方不明の女性を探す事件などが舞い込む。人が嘘を吐くときの匂いまで感じ取る朔によって、秘密が解き明かされていく。

「天才の見る世界を天才の一人称で描くのは難しいので、一般的な感覚の一香を主人公にして朔の行動を目にするかたちにしました。香水といった良い匂いのものだけでなく、生身の人間の匂いも入れたいと思いました。生ものであるがゆえの匂いは人生と結びつくし、登場人物の人生が物語と深く関わります。また嗅覚の鋭い朔にとって、世界は複雑なものじゃないかと思います。朔はまだ未熟な部分があり、人と関わることを避けがちですが、様々な依頼人の秘密に触れてだんだん成長していきます」

秘密が解かれ、物語が進むうちに、一香と朔の過去も明らかになっていく。

「前半は一香と朔の関係が淡いのでゲストの秘密に集中できましたが、後半になるにつれて、二人の関係とゲストの話との塩梅が難しくなりましたね。人間だから過去や悩みがあって、基本的に人は孤独で、分からない部分がたくさんあると思うんです。どんなに仲が良くても、寄り添えない部分があったりする。分からない部分を直して解消するのでなく、人として尊重しながら、分からないままそばにいる方法を私は考えていますね。不安定な人が変わっていく起承転結を意識しました。主人公の成長、事件やどんでん返しなど、エンタメって案外制約があるものなんだなと思いました」

一瞬では見えない世界
人間の底知れなさ、不思議さを文章にする

1979年、北海道生まれ。2008年『魚神』で小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。翌年、同作で泉鏡花文学賞を受賞。13年『あとかた』で島清恋愛文学賞を受賞。同年に『あとかた』、14年に『男ともだち』で直木賞候補となる。『わるい食べもの』『神様の暇つぶし』『さんかく』などがある。

「母が国語の先生で初めは読み聞かせから、本は常にそばにあるものでした。小学校の頃はアフリカにいて、日本から祖母が本を月に5冊送ってくれていました。母の注文だったので優良な本が多かったです(笑)。毎月5冊しか配給されないほど日本に本が少ないなら自分で書かなきゃと思って、小説家になりたいと日記に書きました。当時のアフリカは治安が悪くて子どもは外出ができず、本を読むと違う世界に行けるのでとっても楽しかったですね。帰国すると本がたくさんあって、中学生の頃は江戸川乱歩や夢野久作などを読みました。母が与えてくれた本はワクワクする感じでしたが、自分で選ぶ本のドキドキ感にはまりました」

大学で、映画を製作する友人に依頼されたのを機に、物語を書き始めた。一度だけ応募して、落選したら諦めようと小説すばる新人賞に長編を送り、デビュー。今は初の時代小説を連載中だ。

「受賞後はいろんな小説に挑戦させていただいて、間口が広がったと思います。小説を書いていると時間が濃いですね。目の前のものが鮮やかになる。一瞬一瞬で物事を判断しない方がいいと、小説を書いていると思います。一瞬だけでは見えない世界がある。人間の底知れなさ、不思議さを文章にすることで、私は自分のコントロールをしているんだと思います」

(青木千恵)

『透明な夜の香り』・表紙

透明な夜の香り
千早茜/集英社/1,500円+税

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