Web版 有鄰

425平成15年4月10日発行

開高健・文章の人 – 特集2

菊谷匡祐

茅ヶ崎市に開高健記念館がオープン

茅ヶ崎市開高健記念館(茅ヶ崎市東海岸南)

茅ヶ崎市開高健記念館(茅ヶ崎市東海岸南)
🄫戸澤裕司

この4月4日、茅ヶ崎市に開高健記念館がオープン――とのニュースを目にし・耳にした方もあるでしょう。

作家・開高健が逝って14年、娘・道子さんが亡くなって8年、夫人で詩人の牧羊子さんが世を去って2年、住人を失った開高邸は縁者によって茅ヶ崎市に寄贈されたのですが、市の依頼を受けて開高健記念会が運営にたずさわるものです。

折も折、集英社が新設した「開高健ノンフィクション賞」の第1回目の結果が、この秋には発表されます。

これを契機に開高健の作品が読まれ、再評価されることを、彼が作家として世に登場したとき以来の愛読者として、わたしは心から願っています。

作家の好き嫌いは、人によって呆れるほど違うようです。わたし個人のことをいえば、同時代に作品を読んできたなかで好きな作家は石川淳、坂口安吾、武田泰淳、長谷川四郎にこの開高健などですが、いずれも――安吾の『堕落論』を例外として――多くの読者に迎えられたとは必ずしも呼べない作家ばかりで、作品にふれたこともないという人だっているに違いありません。作家と読者の相性は、じつに個別的なものなのです。

「何をどう書くか」を自身に課しつづけた作家

開高健にかぎって、わたしが好きなわけを述べてみましょうか。彼は昭和32年の夏に「新日本文学」に載った『パニック』によって注目され、その秋に「文學界」に発表した『裸の王様』によって芥川賞を受賞し、一気に文壇の階段を駆けあがりました。当時わたしはさる大学で学生新聞の学芸欄を担当していたのですが、『パニック』を読んで感心し、原稿を依頼に赴きました。

ついでながら、彼はそのころ壽屋(後のサントリー)の宣伝部でコピーライターを務める一方、トリスバーで配られるPR誌「洋酒天国」の編集長でもあったので、わたしが出向いて行ったのは壽屋の東京支店です。会ってみると彼は「文學界」に3作書くことになっているとかで、いまは学生新聞に原稿を寄せている物理的・心理的余裕がない、借りにしといてくれと言って、断られました。

開高健(右)と筆者 昭和34年

開高健(右)と筆者 昭和34年
🄫桐山隆明

このあたりの経緯については、昨年『開高健のいる風景』という本に書いて上梓しましたので詳しくはふれませんが、これがきっかけで生涯にわたって親しくしてもらうことになりました。

ですが、わたしは『パニック』に感心し、『裸の王様』にも才気を感じたものの、それで愛読者になったわけではありません。虜になったのは、その1年後、カフカの断片をもとに彼が『流亡記』を書いたときからです。わたしも小説を書きたいとずっと思っていましたが、この叙事詩にも似た名品を読んで衝撃を受け、開高健の鑑賞者にまわる決心をしました。

文学は、何をおいても文章です。その点、『流亡記』は冒頭から見事でした。彼はこう書き出しています。

「町は小さくて古かった。旅行者たちは、黄土の平野のなかのひとつの点、または地平線上のかすかな土の芽としてそれを眺めた。あたりのゆるやかな丘の頂点にたつと指を輪にまるめたなかへすっぽり入ってしまうほど、それは小さかった。」

日本の文学は、自然主義と左翼文学によって「どう書くか」と「何を書くか」に二極分裂してきました。「何をどう書くか」を忘れてしまったのです。が、開高健は生涯、「何をどう書くか」を自身に課しつづけた作家でした。

どう書くかとは、すべてを文章にする――文章にすべく努めることです。ですから彼にとっては「筆舌に尽くしがたい」「言語を絶する」「形容をこえた」というような慣用句は無縁で、筆舌に尽くしがたいこと、言語を絶すること、形容をこえたことを、いかに文章に定着させるかに全力を注ぎました。

『流亡記』の書きだしはいかにも平易な文章ですが、彼の文章の特徴は、厖大な語彙、めくるめくばかりに多彩な比喩を駆使して、豊饒な文体に置き換えたところにあります。フレーズがフレーズを生み、それが重層的に構築されていく。さながらベートーヴェンのポリフォニックな音楽を聴いているかのようです。

本人が流麗なモーツァルトをこよなく愛していたことを考えると、いささか不思議な気がしないでもないのですが、ともかく鋭敏な感性と強靭な知性が結びついた文体こそが開高健なのです。例えば、北海道の根釧原野で幻の魚イトウを初めて釣ったときのことを書いて、彼はこう記しています。

「カッと巨口をひらいたまま息をひきとりつつ肌の色がみるみる変わっていく二尺五寸(75センチ)のイトウに、いいようのない恍惚と哀惜、そしてくっきりそれとわかる畏敬の念をおぼえる。これこそがこの大湿原の核心であり、本質である。蒼古の戦士は眼をまじまじ瞠ったまま静かに死んでいき、顔貌を変えた。」

南ヴェトナム軍に従軍しルポルタージュ『ベトナム戦記』を執筆

それよりも前、彼はヴェトナム戦争に出かけました。南ヴェトナム軍に従軍し、密林でヴェトコンに急襲されて200人中17人が生き残るというような体験もして、ルポルタージュとして『ベトナム戦記』を書く。が、その後、彼はこの戦争がノンフィクションではとらえきれないと考えて『輝ける闇』を書きますが、この「闇」はシリーズとなって、戦後の日本文学の最高峰だとわたしが思っている『夏の闇』につづきます。小説のストーリーを説明するのは意味がないので、是非ご自分で読んでみてください。新潮文庫にあります。

ただし、「闇」シリーズは『花終わる闇』までの3部作のはずでしたが、『夏の闇』が力のすべてを傾注してあまりに完成度も高かったためでしょうか、彼は3部目を結局、書けないままに終わってしまいました。

その『夏の闇』の時期、開高健は茅ヶ崎に小さな仕事場をつくって、杉並の自宅から移り住みます。むろん、妻子から離れてひとりの生活を楽しむつもりでした――が、やがて夫人がやって来る、次いで娘が移って来るで家は増築するを余儀なくされました。勝手な話ですが、男にとって家庭は心の休まるところでありながら、同時に桎梏でもある。開高健がこの後、ひたすら海外への流出を目指したのは、『花終わる闇』がなかなか書けないことも理由だったでしょうが、家庭からの脱出でもあったのです。

闇シリーズの3作目こそ書けなかったものの、彼は非常に質の高い短編を数多く残しました。短編集『ロマネ・コンティ・一九三五年』や『歩く影たち』、それに遺作となった連作の『珠玉』などは、開高健の力量を示して比類ありません。とりわけ『ロマネ……』所載の『玉、砕ける』は、アメリカの出版社ホルト・ラインハートが大学の副読本として編纂した、世界短編名作集とでも呼ぶべきアンソロジーにアジアから唯一、選ばれて掲載されています。

余談ですが、当時プリンストン大学に在学中だった女優のブルック・シールズがこの作品を読み、作者に会ってみたいというので、開高健は仕事にかこつけてニューヨークに出かけ、彼女に会いました。

アマゾン釣り紀行『オーパ!』で何十万もの読者を獲得

その質の高さにもかかわらず、あまりに濃密な文体の重さのせいでか小説があまり多くの読者に恵まれなかった一方で、彼はアマゾン釣り紀行『オーパ!』では何十万もの読者を獲得しました。『オーパ!』に記された釣りを描写する語彙は、たちまち釣り師・釣り好きな少年たちの間に広まって、釣り雑誌には開高健の言葉が氾濫するようになってしまったほどです。

「ふいに強い手でグイと竿さきがひきこまれたかと思うと、次の瞬間、水が炸裂した。一匹の果敢な魚が跳ねた。右に跳ねては潜り、消えては走り、落下しては跳躍した。」

かくして釣り雑誌では、いまだに「水が炸裂し」、魚が「走り」「跳び」まくっています。書いている釣り師たちは自分が使っている言葉が、開高健のものとは知らないかも知れません。が、開高流のレトリックが、雑誌を席巻している。彼は釣り師たちにとって作文の師ともなったのですが、『オーパ!』はまた情景の説明にかけても、修辞の宝庫でもありました。

「六時に夜が明けて、六時に陽が沈む。夜明けの雲は沈痛な壮烈をみたして輝き、夕焼けの雲は燦欄たる壮烈さで炎上する。そそりたつ積乱雲が陽の激情に侵されると宮殿が燃えあがるのを見るようである。」

前にも触れたように、所詮、文体は好みですから、こういう文章が性に合わない人もいるでしょう。が、わたしはベートーヴェンが好きなように開高健の文章が好きなのです。

記念館が開場し、ノンフィクション賞が発表されるのを機に、開高健を読んでみようという人が出てくることを切に……。

菊谷匡祐
菊谷匡祐(きくや きょうすけ)

1935年神奈川県生まれ。著書『開高健のいる風景』 文藝春秋 1,600円+税、
訳書『輝ける嘘』上下 集英社 各2,816円+税、ほか。

※「有鄰」425号本紙では4ページに掲載されています。

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