Web版 有鄰

425平成15年4月10日発行

有鄰らいぶらりい

一寸さきはヤミがいい』 山本夏彦:著/新潮社:刊/1,600円+税

「死ぬの大好き」(新潮社)で、「生きてる人と死んだ人」(文春文庫)を区別せず、「百年分を一時間で」(文春新書)「かいつまんで言う」(中公文庫)名人。世間では、「つかぬことを言う」(同上)「毒言毒語」(同上)の人と思われた著者の最後の本。

このように著者はタイトルの名人でもあった。この本でも、「人は禽獣に及ばず」「蒸気機関に目がくらみ」「人は考えない葦である」「祖国とは国語だ」などの名文句が章題になっている。著者に倣って言えば、分かる人は瞬時に分かる、分からない人は百万言を費やしても分からないのだから、くわしい説明ははぶく。

「蒸気機関に目がくらみ」は威儀を正した旧幕時代の遣米使節が、米国の新聞などから「貴人」と称えられた一方、使節に従った福沢諭吉などは汽車などに驚愕、以来、富国強兵などの文明開化が始まったという話。

アポロ11号が初めて月に降り立ったときも「何用あって月世界へ」(ネスコ)“月は眺めるものである”と言った著者である。別の章にある<五・一五、二・二六の青年将校たちは、まじめと正義の権化だった>という文からは、「汚職は国を滅ぼさないが、正義は国を滅ぼす」という名文句が浮かんでくる。

五郎治殿御始末』 浅田次郎:著/中央公論新社:刊/1,500円+税

代々桑名藩の家中だった岩井家は、維新に際し、祖父が佐幕の桑名に残り、父が勤皇の尾張藩に伍し、一族で戦った。そして父は戦死、祖父は恭順の意を表した桑名藩で、残務整理を命じられる。廃藩置県後、祖父が命じられたのは旧藩主のクビ切り(馘首)だった。

祖父の名を五郎治という。御役御免となった五郎治は、孫の半之助を呼んで、父に離別されて尾張に住んでいる母のもとへ行けと言い渡す。五郎治は旧敵の尾張へ手をついて謝罪し、孫半之助の将来を託すつもりなのだ。幼いながら、それを半之助はがえんじない。そうした中で、2人は熱田神宮へ向かう。

船酔いして反吐を出す半之助の吐瀉を両掌に受けて看護する五郎治。祖父の覚悟を知った半之助は、運命を共にしたいと強く訴えるのだ。月光の中、芒の野に分け入った2人。祖父が孫の喉元に切っ先を当てた。その時――。

「わしはおまえの年頃に、いちど死に損なった」と曾祖父が<私>に洩らしたことがあるというこの秘話をもとに、1篇の物語を創作したものだが、肉親の情愛の深さが、激動の時代を背景にして描かれ心にしみる。現下のリストラと重ね合わせ親近感もわく。他5篇。

第三の時効』 横山秀夫:著/集英社:刊/1,700円+税

いまや警察ミステリーの第一人者と定評の新鋭の作品集で、収録されている6篇どれも面白さ満点。表題作は、タクシードライバーの妻が幼なじみの電気店店主に家で暴行されているところへ、突然夫が帰宅し、もみ合いの末、夫が刺殺されるという事件が端緒。犯人は逃亡、それから、15年逃げきって、時効が成立寸前となる。犯人はこの間に1週間だけ海外に逃亡していた。したがって、その間は除外される。本当の時効は1週間後だ。犯人はそれを承知して沈黙を守っている。そしてその時効もついに成立――。

だが“第三の時効”が待ちかまえていた。それを知っているのは、公安上がりの冷酷無比な班長だけ。エッと驚く意外なドンデン返しがあざやかだ。

巻頭の「沈黙のアリバイ」は現金輸送車を襲った犯人の追及がモチーフ。2人組の片割れがつかまり、全面自供。ところが裁判ですべてをひるがえし、自分にはアリバイがあると主張した。弁護士にも話していなかったアリバイという。事件当時、自分はある女と一緒にいたというのだ。逃亡中のもう一人の犯人の愛人で、東南アジア系のホステスだ。それは事実か――。刑事気質の描写もうまい。

しょっぱいドライブ』 大道珠貴:著/文藝春秋:刊/1,238円+税

このほど芥川賞を受賞した作品。語り手である30代前半の女のわたしと、通称九十九さんと呼ばれる60代の老人とのアンニュイな関係を描いている。

九十九さんはお人好しの金持ちだが、妻子と折り合いが悪く、独り暮らし。わたしの父も兄も、そしてわたしも、九十九さんから金を無心しているが嫌な顔ひとつしない。九十九さんはわたしより背も低く天然パーマで見てくれも悪いが、わたしは一緒にドライブを楽しんだり、セックスをしたりする仲。

もっとも、わたしが初めて性交した相手は九十九さんではない。地元の劇団主宰者でハンサムなスター、遊さんだ。追っかけの挙げ句、2度寝た。九十九さんとは3度目からということになる。

わたしは九十九さんと一緒に暮らすことにする。働かなくて済むから楽であるし、お金は、九十九さんがたくさんくれる。九十九さんは習慣どおり朝起きるが、わたしは寝床からなかなか出ない。そんな家の軒下のスズメバチの巣を、町役場の係員が駆除にくるラストシーンが暗示的だ。新人とはいえない達者な筆さばきで、読ませる。

(S・F)

※「有鄰」425号本紙では5ページに掲載されています。

『書名』や表紙画像は、日本出版販売 ( 株 ) の運営する「Honya Club.com」にリンクしております。
「Honya Club 有隣堂」での会員登録等につきましては、当社ではなく日本出版販売 ( 株 ) が管理しております。
ご利用の際は、Honya Club.com の【利用規約】や【ご利用ガイド】( ともに外部リンク・新しいウインドウで表示 ) を必ずご一読ください。
  • ※ 無断転用を禁じます。
  • ※ 画像の無断転用を禁じます。 画像の著作権は所蔵者・提供者あるいは撮影者にあります。
ページの先頭に戻る

Copyright © Yurindo All rights reserved.