Web版 有鄰

420平成14年11月10日発行

非運と豊潤の文学――樋口一葉 – 特集2

松本徹

没後100年を越えますます深く記憶に刻まれた存在に

樋口一葉が没してから100年を越えるが、忘れられるどころか、ますます深く記憶に刻まれた存在となっている。作家がこうなるには、幾つも条件があるが、悲劇的な運命をたどったことが一つのポイントになりそうだ。

作家を目指したのが19歳で、それからわずか5年、24歳と6か月で、一葉ははやばやと生を終えなければならなかったのだ。それも貧苦のただなか、刻苦してようやく世間に認められた途端であった。

いまでは誰もが知っている名作『たけくらべ』は、同人雑誌『文学界』に明治28年(1895)、断続的に発表した後、翌年4月、文芸雑誌『文芸倶楽部』にまとめて再掲載され、多くの人の目に触れた。そして、森鷗外、幸田露伴、斎藤緑雨らの絶賛を受け、ようやく職業作家として立つ道が開けたのだが、すでに喉頭結核に侵されていた。夏には高熱と喉の痛みに苦しみ、執筆も思うにまかせず、8月には絶望との診断を受け、11月23日に永眠したのである。

若くて才能学識ともに豊かな女流作家として、世に姿を現した、まさにその時であっただけに、哀惜の涙を誘う。

事業に失敗し借金を残して病没した父

こうした非運は、彼女の出生前からつきまとっていたと言ってよいかもしれない。

明治5年(1872)に東京で生まれたが、父は、山梨の農民の子でありながら、刻苦勉励の末、旗本の株を買い取り、江戸で職を得たが、維新となり、武士階級は消滅、東京府の役人に変わっていたのである。ただし、この父親の役人暮らしは、平安な日々を一家にもたらした。そして、娘の夏子(一葉)は和歌を学び、明治19年8月からは、中嶋歌子の塾萩の舎に通うようになっていた。

しかし、明治20年に父は退職、事業に乗り出したが失敗、22年7月に借金を残して病没した。それからというもの、貧乏に苦しまなくてはならなくなったのである。それも亡父の意向で戸主となっていたから、責任を負う立場にあった。そこへもって来て、婚約が解消される成り行きにもなった。

こうして貧乏の淵へ落ち込んだのだが、このことが、じつは彼女をして作家への道を歩ませることになった。

文筆で稼ぐことを考え通俗作を書いていた半井桃水に師事

萩の舎の先輩で、4歳年上の三宅花圃が明治21年に『藪の鴬』を刊行、人気を呼んだのを見て、自分も文筆で稼ぐことを考えたのである。文筆で稼ぐなど容易なことでなく、今日でも空想じみた考えに思われるが、当時は、女が金を稼ぐ法として、水商売にでも入らない限り、裁縫や洗い張りなど手内職しかなく、報酬も微々たるものであった。一葉は、そうした仕事をし、中嶋歌子の代講などを勤めて僅かな金を得ながら、それ以上の収入を求めて、書き出したのである。文学表現の欲求からではなかった。

もっとも彼女はすでに歌を詠んでおり、文学表現と無縁なところにいたわけではなかった。しかし、なによりも生活上の必要が先行した。このことが、多分、若いのにかかわらず、いきなり大人の目で、高い完成度の作品を書くのを可能にしたのではないか。大人の読者を相手に、売り物になる作品を書かなくてはならなかったのである。

だから、東京朝日新聞の小説記者として通俗作を書いていた半井桃水を師として選ぶことにもなったのであろう。

一葉は、桃水を文学的に尊敬していたわけではなかった。入門から2年後になるが、桃水の作『胡沙吹く風』についてこう書いている。

「もとより文章粗にして、華麗と幽棲とをかき給へり」と。筆を採れば、古典の教養に根差して、文章に心血を注がずにおれない一葉には、その欠点が見え過ぎるほど見えていたのだ。そのつづき、「又みづからも文に勉むる所なく、ひたすら趣向意匠をのみ尊び給ふと見えたり」。

文学的向上心のない、読者受けを狙っただけの、職人的な仕事ぶりを、遠慮なく指摘しているのだ。しかし、それでいながら、主人公が生動し、読者を引きつける力を持っていることは認めている。成熟した読みだと言っていい。

もっともここには一葉の特別な感情が働いていたかもしれない。心優しく、面倒見のよい美男の桃水に、彼女はひかれ、好意を寄せたのだ。桃水こそ、一葉にとって唯一の、胸とどろかせた男であった。

しかし、この師弟関係は、萩の舎であらぬ噂になったため、1年数か月で解消しなければならなかった。が、桃水の創刊した『武蔵野』に、彼女の最初のまとまった小説『闇桜』が掲載され、まがりなりにも小説の書き手として第一歩を印する、懇切な手助けを受けた。

貧乏によって人生の道筋を狂わされた女たちの姿を描く

生活はいよいよ困窮し、明治26年夏に、吉原の門前町の下谷龍泉寺町(現在は台東区)に移転、駄菓子なども置く荒物屋を開いた。やがて『たけくらべ』の舞台となるところである。

その店もすぐに立ち行かなくなり、翌年5月に、丸山福山町(現在は文京区)へ移ったが、怪しげな女を置いた銘酒屋が立ち並ぶ路地の一角で、客を引く女たちの声が絶え間なく聞こえた。

一葉は、ここで貧乏の淵に落ち込んだ女たちの行き着く果てを目の前にしたと言ってよかろう。隣の銘酒屋の女をモデルにした『にごりえ』のお力が、7歳の時、なけなしの金で米を買いに行かされ、帰り道足をすべらせ、どぶに米を落とした時の絶望を、こう語る。「あの時近所に川なり池なりあらうなら私は定めし身を投げて仕舞ひましたろ、(略)私は其頃から気が狂つたのでござんす」。

社会保障制度などない当時の貧乏は、凄まじいものであったのだ。そして、一葉一家もそこで足掻きながら、貧乏によって人生の道筋を狂わされた女たちの姿を、描いたのである。

その一葉の肖像写真が、平成16年に切り替わる5千円札に用いられるのは、皮肉と言わなくてはなるまい。いま触れたお力を始め、『大つごもり』のお峰も、『十三夜』のお関も、『わかれ道』のお京も、貧乏ゆえに、人生を狂わされた女である。しかし、それゆえにその女の魅力、健気さが、夕顔のように匂う。

『たけくらべ』にもいろいろな解釈が

『たけくらべ』の美登利にしても、また、その彼女の背後にいる姉や母にしても、同様だろう。

この名作の終わり近く、美登利が廓内の姉の許から帰ってくると、これまでのお転婆ぶりが一変、恥ずかしげに顔を赤らめ、打ち沈んだ様子となり、出立する信如とはかばかしく別れを告げることもできずに終わる……。そうして余韻を残すが、理由を作者が語っていないため、いろんな解釈が行われている。

一つは初潮説で、ながらく有力であったが、佐多稲子が異論を唱えて初会説を出し、論争になり話題を呼んだ。この後、初潮と廓の女になることの意味を知らされたためとする意見も出された。

美しい少女の春の目覚めと社会の残酷さとが鋭く交差するところだけに、いろいろ説がだされるのも当然で、いずれが妥当か、考えながら読む必要があるだろう。

筆者自身、読み直してみて、いずれの説にもやや飽き足らぬ思いをした。初潮にしては恥じらう様子が激し過ぎるし、初会とすれば、やや物足りない。が、初潮と廓の女の意味を自覚するだけでもなさそうである。もしかしたら、このあたりに一葉自身の若さなり未経験が、はしなくも顔をだしたと見てよいのかもしれない。

もしも一葉が男女の関係をもったとしたら、相手は桃水ということになりそうだ――現にそう断じている人がいる――が、その桃水が、初めて訪ねて来た時の一葉の様子をこう記している。着物の縞柄も色合いも年寄りめいて、髪も濃くない地毛ばかりで銀杏返しに小さく結い、簪など飾りをつけず、大層寂しく見えた。色艶のよくない顔で愛嬌をつくり、明晰な言葉遣いながら、慇懃で、座布団を勧めたが、敷くことはなく、2時間対座した桃水のほうが閉口した。

ところが翌年(明治25年)2月の雪の朝、桃水が目覚めると、玄関に数時間前から一葉が座り込んでいたという。

恐ろしく肩肘張ったところのある、内向的な、しかし、時にはとんでもない大胆な行動に出る、そういうところがあったようである。

古典の素養を入れながら、苦しい日々を生きる人の肉声を

こうした一葉だが、その残した仕事で最も肝心な点は、古典の素養を溶かし込みながら、苦しい日々を生きる人の肉声が聞こえる日本語を書いたことだろう。雅俗折衷体という形式ではあるが、じつにのびやかで、かつ、豊かな含みを持ち、読む者のこころを潤す文章である。

今日のような情報優先で、文章がどんどんと痩せ、貧しくなっているいまこそ、顧みるべきだろう。その意味で、紙幣の上であれ、彼女の顔を見る機会が増えるのは悪くないと思う。

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松本 徹(まつもと とおる)

昭和8年北海道生まれ。文芸評論家、武蔵野女子大教授。著書『三島由紀夫の最期』 文藝春秋 1,429円+税、『師直の恋』 邑書林 2,000円+税、編著『三島由紀夫論集』1・2・3 勉誠出版 各4,500円+税、ほか多数。

※「有鄰」420号本紙では4ページに掲載されています。

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