Web版 有鄰

573令和3年3月10日発行

有鄰らいぶらりい

じい散歩』 藤野千夜:著/双葉社:刊/1,600円+税

長寿の家系とはいえ、本書の主人公、新平は、これほど長生きするとは思っていなかった。50代の頃、〈人生はあと十数年、せいぜい二十年ほどと思っていた〉。

物語は、新平が88歳の頃から始まる。山間の町で9人兄弟の長男として生まれた新平は、命からがら戦争から戻り、同郷の交際相手、英子を頼って昭和24年に上京、結婚。30年に「明石建設」を創業した。平成になって仕事をやめ、年金と家賃収入で暮らす。50歳前後になる息子3人は、みな独身。引きこもりの長男と借金を抱える三男は同居している。

新平の趣味は、近所を散歩して建物を見て回り、昔ながらの喫茶店でコーヒーを味わうこと。あとは「事務所」での官能写真整理だ。朝起きて体操をし、ヘルシーな朝食をとると、東京・椎名町の自宅を出て歩き出す。新平は健啖家で健脚だ。1歳下の妻、英子が、散歩先での新平の浮気を疑って――。

新平の日常と秘密が、物語を通してつまびらかにされていく。老いと向き合って生きる姿を、シリアスとユーモアを交えて描く。〈せっせと歩き、みしみし、きいきいと床が鳴るのを聞き、ようやく出口についたとホッとする。それはまるで人生のようじゃないか〉。温かさが胸にしみる、優れた家族小説だ。

十年後の恋』 辻 仁成:著/集英社:刊/1,700円+税

日本人の両親を持ち、フランスで生まれたマリエ・サワダは、2人の娘を育てるシングルマザーだ。離婚して10年、映画製作会社でキャリアを重ね、40歳を目前にしてプロデューサーに就任した。パリの古いホテルのバーで、投資グループを主宰するアンリ・フィリップと出会い、恋に落ちる。仕事と子育てに明け暮れてきたマリエにとり、10年ぶりの恋だった。

マリエより20歳ほど年上のアンリは、亡命ロシア人だった祖母のストーリーの原案を温めていた。マリエが出版社に仲介して小説化することになる。母と娘たちにも話し、製作する映画の撮影も順調に進む。アンリは小説を書き上げ、マリエはクリスマス・イブを撮影現場で過ごし、多忙だが幸福な2人は結婚を意識し始める。わずか2ヵ月先に、予想外の事態が待ち受けていると知るよしもなかった。2020年、新型コロナウイルス感染症がフランスでも拡大する。

〈人って嘘をつくし、豹変するし、自分のことばかりだし〉。離婚後、人を信じることを避けてきたマリエが再び恋に落ち、思いもよらぬ事態に遭遇する。フランス在住の著者が、運命に翻弄される人の姿を手練の筆致で描いた長編小説。マリエの下した決断について、読者はどんな感想を抱くだろうか?

我、過てり』 仁木英之:著/角川春樹事務所:刊/1,600円+税

『我、過てり』・表紙

『我、過てり』
角川春樹事務所:刊

信濃の名門、村上氏の当主・村上義清は、天文17年(1548)に上田原の戦いで撃退して以降、戦国の雄、武田信玄に連勝した武将だ。ところが幾度退けても、武田軍がまたもや攻めてくる。四方に助力を求めたが、応ずる者がいつの間にかいなくなっていた(「天敵」)

東北最大の実力者、伊達家に生まれた政宗はいわば竜の子だ。しかし、竜の子でもままならないことがある。天正15年(1587)、遠い地でのし上がり、今や天下人となった豊臣秀吉から書状が届いたのだ。〈奥羽のことは奥羽の者で始末をつけよう〉と命じた政宗は……(「独眼竜点睛を欠く」)

剣術師範の名目で小早川家に仕えていた父が、讒言により殺害された。放浪して名を上げ、岩見重太郎は仇を討つ。「お前は天下一の匹夫」と言われながら。白日の下で力をふるおうと、大坂に向かう(「土竜の剣」)

立花宗茂を主人公にした「撓まず屈せず」を加えた、歴史短編4話から成る書き下ろし連作集。戦国時代を生きた4人の男は、どこでどう選択を誤り、挽回したのか。暗がりを歩いた男にふいに光が差す、「土竜の剣」の巧さに唸る。失敗しても生きる姿にすがすがしさがある。独自の着眼により、戦国を照らす光と闇を描いた歴史小説。

スクリーンが待っている』 西川美和:著/小学館:刊/1,700円+税

5本の長編映画を原案から作り上げてきた映画監督(著者)が、他者の書いた小説を「映画にしてみたいな」と思った。2015年、作家の佐木隆三氏が亡くなった。昭和の終わりに書かれ、絶版になっていた佐木氏の『身分帳』を取り寄せて読んだ著者は、「こんな面白いものが世の中に埋もれているのは、災難だ」と思った。映画にしたら、人に知られる機会になるかもしれないと、初めての「小説の映画化」に着手する。

どこからどう手をつけていいかわからないままに2017年2月、北海道旭川市に行く。『身分帳』の物語が始まる場所だ。小説の主人公は生活保護を受ける40代半ばの男である。「近過去」の再現は難しい。だから小説の中で起こることの一つ一つを、30年前とどう違うか、しらみつぶしに検証していくことにした――。

原作との出会い、取材、俳優陣の魅力、コロナ禍による出来事などが独特のタッチで記され、今年2月公開の最新監督作『すばらしき世界』に挑んだ5年間の軌跡が“読める”エッセイ集。映画作りの過程のほか、『ディア・ドクター』(09年)で老境のたたずまいが印象的だった女優・八千草薫さんのこと、日常、短編小説など、著者の魅力が詰まった1冊だ。

(C・A)

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