Web版 有鄰

575令和3年7月10日発行

街の植物の生きる術――スキマがもたらす生態系 – 2面

塚谷裕一

ど根性騒動とスキマの植物の謎

だいぶ前、ど根性大根というものが世間の話題となった時期があった。アスファルトの割れ目に生えて、必死に頑張っている大根というストーリーだった。

なるほど大根は、そのあたりで生えていることをそうそう見ない植物だ。だから大根とアスファルトという取り合わせが話題性を生んだのだろう。ただ、そのあと各地からわれもわれもというように「ど根性ナントカ」というものが多数報じられたように、市街地のアスファルトやコンクリートの割れ目に植物が生えるという現象は、実は日常茶飯事なのだ。そこに生える植物は、たいがいは日本古来の野草か帰化植物だが、花を育てる人が多い町なら、鉢や庭から逃げ出した園芸植物も華を添える。近くに畑があれば、冒頭の大根を含め、野菜だって生えてくる。野鳥や昆虫が、実の成る木やスミレなどのタネを連れてくることも多い。風で種が飛ぶタンポポや松もスキマに生えてくる。気をつけて観察していれば、都心部でさえ100種を超える植物がそうした「スキマ」に生えているのを確認できるだろう。

『スキマの植物図鑑』中公新書

『スキマの植物図鑑』
中公新書

ただ、ど根性騒動を見ている限り、その事実は知られていないようだった。意外である。それ以来私は、スキマに生える植物の姿を記録することを始めた。7年前に出版し、現在も版を重ねる『スキマの植物図鑑』(中公新書)はその結果として生まれたものである。カタカナで「スキマの植物」とする表記法は、本書の原案をまとめる過程で、フリーランス編集者の赤岩なほみさんにご提案いただいた。それからは一貫して「スキマの植物」で通すことにしている。

この本の反響はずいぶんと大きかった。面白かったのは、「今までずっと名前がわからなかったものがやっと分かった」という感想が多かったことだ。スキマに生える植物は上記の通り出自を問わない。日本古来のものもあれば、海外渡来の帰化植物もあり、最新園芸品種もある。一年草もあれば木もある。身近にあるという共通点こそあれ、あとは実にバラエティーに富んでいる。これらを平等に扱った図鑑というのは、実はこれまでなかったのだ。基本的に、日本で出ている植物の図鑑は最初から、日本産か帰化種か、あるいは野生のものか園芸種かで、対象を分けている。スキマに生えることだけを共通項として100種あまりをまとめた結果、普段の暮らしに最も身近な植物の図鑑ができ上がったというわけだ。

もう一つ多かった感想は、「以前にもスキマに花が咲いているのを見たことはあったが、ここまで多いとは気づいていなかった」というものだった。市街地においてもっとも身近な「自然」であるだけに、ふと目にしたことがある人は、多いのである。ただ、その全貌は必ずしも認識されていなかったというわけだ。楽しかったのは、とある著名な植物写真家の方に、「自分も同じアイデアで写真図鑑を考えていたのに、先を越されました」という感想を頂いたことである。学生の頃から図鑑を通してお世話になっていた方からのものだっただけに、これは嬉しかった。またごく最近は、「スキマの植物」という私たちの造語を書名に含む別著者による本も出た。「スキマの植物」がますます一般的に通じる言葉になったら良いなと思っている。

さてそのスキマの植物たちであるが、まだまだわからないことがある。最大の謎はそのレパートリーだ。初版出版からでさえ既に7年経つが、いまだに私自身、かつて見たことのない新顔をスキマ環境に見つけ続けている。スキマは狭い反面、隣によそ者が入ってこないという大きなメリットがある。隣に他の植物が来ないということは、植物にとってもっとも大事な資源、光を独り占めにできるということだ。ということは加えて、光を求めて隣同士、背丈を伸ばし合って競争しなくていいということになる。これは実に恵まれた環境だ。しかも地下の土空間や水分、養分も独り占め。新型コロナウイルスの感染拡大で人間たちも気にするようになった「三密」からも、完全に開放された空間だ。植物も当然、病気にかかるし虫に食べられる。同じ種類の植物が固まって生えていると、そのうち一株でも病気になったり害虫にアタックされ始めれば、その周囲の株はみなその被害を蒙りかねない。しかし単独でスキマに暮らしている限りは、そうした危険も少ない。こうしたメリットから、スキマにはチャンスさえあれば殆どの植物が入ってくることになる。レパートリーの広さは、それゆえに大変広い。

都市部の生態系維持とスキマ

塀のスキマに咲くタチツボスミレ 筆者撮影

塀のスキマに咲くタチツボスミレ
筆者撮影

ただ、よく気をつけていると、不思議なことがある。市街地で、開けた土地とスキマ環境とが隣接しているようなところで観察していると、スキマでしか見かけない種類というものがあるのだ。日本古来の野草にそうしたものが多い。典型的なのはスミレの類だ。たとえば東京大学の本郷キャンパス周辺だと、タチツボスミレが見られるのは本郷キャンパス広しと言えども、ごく限られていて、その個体数の大部分はスキマに生えている。樹下の開けた土地に生えている個体もあるが、少数派だ。関東近郊の雑木林など、本来の自然環境で見ていると、タチツボスミレは必ずしもスキマばかりを好むわけではなく、むしろ開けた土地の、落葉樹の根本などに多く群落をなしている。都市部でも自然環境に近いところなら事情は同じ。例えば本郷キャンパスから歩いて15分程度の距離にある小石川植物園(東京大学大学院理学系研究科附属植物園)でも、タチツボスミレは多く林下の平地に生えている。なぜ市街地ではスキマにばかり生えているのだろう?

一つの仮説は、市街地では開けた土地がタチツボスミレのような小柄の野草にとって過酷だから、という可能性だ。都市部ではほとんどの土地はアスファルトやコンクリートで固められてしまっている。そうでない裸地は、人為的に管理された植え込みか、あるいはビルの跡地のような完全に放棄された土地くらいである。前者の場合は頻繁になされる植栽管理のため、「自然に」生える植物は駆除されてしまう。後者の場合は、草丈の高くなるいわゆる雑草が夏場生い茂ってしまうため、小柄な植物は光を求めての競争から敗退してしまう。残された選択肢は、光を独り占めにできるスキマ環境のみ、という解釈だ。

本当にそうだろうか。これを確かめるには、まずは同一環境の土地で、開けた土地とスキマとで、それぞれ植物の戸籍調べを行なってみる必要がある。これは労力のかかる作業だが、もしこれをやって上の仮説が証明されれば、都市部の生態系の理解にとって重要な話になるだろう。つまりスキマあってこそ、市街地における植物の多様性は保たれている、ということになるからだ。植物が1種類いれば、それだけで他のいろいろな生き物の生活が支えられる。身近な自然を構成する植物の顔ぶれの多様さが、スキマのおかげで維持されているとすれば、それはひいては市街地における昆虫や鳥その他の生き物の多様性の維持にも貢献しているはずである。

ちょっとした思いつきから始めた趣味ごとだが、せっかくなのでこういう仮説を確かめることで、科学の土俵にも上げてみたいと思っている。果たして結果はどう出るだろう?スキマは市街地のオアシスなのだろうか?

塚谷裕一(つかや ひろかず)

1964年神奈川県生まれ。東京大学大学院理学系研究科教授。
著書『スキマの植物図鑑』 中公新書 1,100円(税込)。訳書『植物巡礼』 岩波文庫 1,067円(税込)ほか。

『書名』や表紙画像は、日本出版販売 ( 株 ) の運営する「Honya Club.com」にリンクしております。
「Honya Club 有隣堂」での会員登録等につきましては、当社ではなく日本出版販売 ( 株 ) が管理しております。
ご利用の際は、Honya Club.com の【利用規約】や【ご利用ガイド】( ともに外部リンク・新しいウインドウで表示 ) を必ずご一読ください。
  • ※ 無断転用を禁じます。
  • ※ 画像の無断転用を禁じます。 画像の著作権は所蔵者・提供者あるいは撮影者にあります。
ページの先頭に戻る

Copyright © Yurindo All rights reserved.