Web版 有鄰

575令和3年7月10日発行

一木けいと『9月9日9時9分』 – 人と作品

タイから帰国子女が恋をし、成長していく青春小説

一木けい
一木けい
撮影/浅野 剛

日本とタイを舞台に、高校生の目線で成長と再生を描く

一目見て心惹かれた先輩は、好きになってはいけない人だった。タイ・バンコク在住の著者が、高校生の恋と成長を描いた青春小説である。

「タイの小説をと依頼されて、初めは大人の女性がタイを旅をする話を構想しましたが、物語に乗せたいテーマを感じながらでないと書けないんですね。離婚など大人の事情で誰かと会えなくなるさみしさや、DV(家庭内暴力)など、書きたいことがたくさんあったので、高校生がそういった問題を乗り越えていく話にしようと考えました」

幼少期をバンコクで過ごした高校1年生の漣は、帰国して1年半経っても日本の生活になじめずにいた。ある日、学校の渡り廊下で出会った先輩に一目ぼれをする。彼は朋温といい、漣の姉の元夫、修一の弟だった。朋温とつきあい始めた漣は、家族に嘘をつくようになる。

「他社で重い小説を書いていたのもあって、つらいばかりではない、きゅんとするような青春のきらめきを描きたい気持ちがありました。恋愛はこの物語に必要な素材だったと思います。朋温との距離が縮まるほど、大好きな姉を苦しめてしまう。主人公がいちばん苦しむ設定を考え、飛び込ませてしまいました。姉は修一のDVで傷を抱え、修一は大したことはしていないと思っている。帰国後の漣が遭う嫌な目も、姉が受けたDVも、『認知の歪み』という点でつながっている。認知の歪みによる言動への違和感を描き込もうと思いました。ラストに関しては、後味は決めていましたが、後半はどんどん変わっていき、最後は書いてみてこうなった形です」

心理や場面が精細に描かれて、悩み、成長する切なさが確かに伝わってくる。タイの風景もあざやかだ。

「若い読者に手にとっていただくためにも、文章を削りすぎて意味が分からなくならないよう気をつけました。西暦を設定したため起こる出来事は明らかでしたが、細かい部分は手探りでしたね。タイで国王が崩御した翌日、カフェで外を眺めていたら、街の空気が一変していたんです。悲しみが肌で感じられたあの空気感を描き残したいと思っていました。この小説は、タイのいいところに着目してたくさん描き込んだ作品です」

バンコク在住ならではの表現。いろんな年代を描いてみたい

1979年、福岡県生まれ。東京都立大学卒。2016年「西国疾走少女」で第15回「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞。同作を収録した『1ミリの後悔もない、はずがない』でデビュー。

「本は両親が好きで家にたくさんあり、母に読んでもらったり、絵本や児童書を定期購読するうちに好きになりました。小学生の頃は学校の隣の図書館に入り浸っていました。高校時代に山田詠美さんの小説を好きになり、多くの作家の小説を読んできました。すべての本から影響を受けていると思います。30代のはじめ、父や友人が亡くなり人生が混乱して、気持ちを治療する、立ち向かうようにして小説を書き始めました。ネット経由で2012年にR-18文学賞に応募したら最終選考に残り、毎年応募して4回目で受賞しました」

今回の小説は、挑戦の連続だった。

「これまでの本を読んでくださっていた方から、自分とすごく遠いところにあるものを書いたね、挑戦をしたねと言われました。素直で明るい、愛されて育った主人公を描くのは初めてでしたし、連載も挑戦でした。漣よりもむしろ、同級生の米陀さんの方が気持ちが分かり、描きやすい人でしたね。進むにつれて存在感が増してきたのが曜子で、こんな子がそばにいたらいいなと思って描き込みました。書きたいテーマが私の中にいくつかあるんですけど、一方で今誰かに書かれたがっている物語もあるはずだと意識して取り組んだ小説です。連載の途中からコロナ禍で取材や帰国が難しくなりましたが、この物語にとっての最善はなんだろうと多くの方から意見を伺っては取り入れました。たくさんの方に助けられて完成した作品です。

バンコクにいると、日本ならタクシーのドアは『閉まる』ですが、『閉める』とつい書いちゃったりしますね。日本語、タイ語、英語を日常で使っていて、いつも“どう言えば伝わるのかな”と考えているので、小説を書く上で表現の幅が広がったと思います。今回、高校生を描いたので、次は大学生とか、いろんな年代の物語を描いてみたい。ダークな面にも切り込んでいきたいと考えています」

(青木千恵)

『9月9日9時9分』・表紙

9月9日9時9分
一木けい/小学館/1,980円(税込)

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