Web版 有鄰

579令和4年3月10日発行

ピーターラビット誕生 – 2面

河野芳英

《『ピーターラビットのおはなし』挿絵原画》 ビアトリクス・ポター 1902年 ウォーン・アーカイブ/フレデリック・ウォーン社 🄫Frederick Warne & Co.Ltd, 2017

《『ピーターラビットのおはなし』挿絵原画》
ビアトリクス・ポター 1902年
ウォーン・アーカイブ/フレデリック・ウォーン社
©Frederick Warne & Co.Ltd, 2017

出版120周年の展覧会

2022年は絵本『ピーターラビットのおはなし』が出版されてから120周年を迎える年である。版権元は記念版を出版し、早川書房は芥川賞作家の川上未映子の新訳を上梓する。また賛否はあろうが様々な種類のピーターラビット™の記念グッズが販売されるだろう。この周年の年、3月26日から6月19日まで東京・世田谷美術館で開催される「出版120周年:ピーターラビット™展」は出色である。(その後、大阪・あべのハルカス美術館〈7月2日から9月4日〉、静岡市美術館〈9月15日から11月6日〉を巡回)この企画展は2016年から2017年にかけて日本各地を巡回した「ビアトリクス・ポター™生誕150周年:ピーターラビット™展」に続く大仕掛けなもの。イギリス、アメリカから展示品を借り受けて『ピーターラビットのおはなし』出版の経緯や現在に至るまでの歩みを振り返る「盛大なバースデイパーティをテーマ」として開催される。作品の原点である直筆の《ノエル少年への絵手紙》と、『ピーターラビットのおはなし』の挿絵として使われた彩色画全点が展示されるのは日本では初めてのこと。その他にも、「ピーターラビット」以前に描かれた本邦初公開のウサギのスケッチやカード、習作のイラストレーション、私家版や草稿本、出版社とのやり取りの書簡、作家自身の発案による関連アイテムに至るまで約170点が展示される。展示の最後には英国・湖水地方にあるテーマパークの「ザ・ワールド・オブ・ビアトリクス・ポター・アトラクション」が制作した、高さ180センチの特大バースデイケーキも展示されることになっている。ぜひお運びあれ!
™ & © FW & Co.,2022

題名の意味とは

さて、この紙面では『ピーターラビットのおはなし』の題名について、そしてこの絵本の出版の経過を語ることにしよう。

ビアトリクス・ポター 1892年

ビアトリクス・ポター 1892年
ヴィクトリア&アルバート博物館
Courtesy of the Victoria and Albert Museum

ロンドン生まれの絵本作家ビアトリクス・ポター™(1866―1943)は第一作目の絵本『ピーターラビットのおはなし』(1902年)を皮切りに「ピーターラビット・シリーズ」と総称される24冊(英語版では23冊)の絵本を産み出した。シリーズのほとんどすべての題名は、主人公の動物の名前が含まれている。『ピーターラビットのおはなし』(The Tale of Peter Rabbit )は最初、自費出版されたが、このタイトルは当時ベストセラーになっていたヘレン・バンナーマンの『ちびくろさんぼのおはなし』(The Story of Little Black Sambo, 1899)を意識して命名したものである。題名に主人公の名前を用いたのは、子供向けの絵本というのが大きな理由であろうが、バンナーマンが「おはなし」に「Story」を使っているのに対して、ビアトリクスは「Tale」とした。この「Tale」(おはなし)は、絵本に登場するウサギやネズミといった動物が持つ愛らしい「tail」(尻尾)と掛け言葉になっている。The Tale of Peter Rabbitは『ピーターラビットのおはなし』であると同時に「ピーターラビットの(可愛い)尻尾」という意味を含んでいるのである。冒頭の挿絵には、モミの木の根元に頭を隠して、尻尾をこちらに向けているピーターが描かれている。

刊行までの経緯

1893年9月4日、ポター家の人びとは自宅のあるロンドンを出て、スコットランドのイーストウッド・ハウスという別荘でバカンスを楽しんでいた。陽の当たる芝生に座り、27歳のビアトリクスは昔の家庭教師の息子ノエル・ムーア(5歳)に「何て書いていいのか分からないので、4ひきの小さなウサギのお話しをしましょう。名前はフロプシー、モプシー、カトンテール、そしてピーターといいました」と始まる絵手紙を書いた。やんちゃなピーターが母親の言いつけを守らず、マグレガーさんの畑に入って野菜を食べ、追いかけられ、捕まりそうになり、しかし何とか棲み家に戻ることができたという物語。ノエルはそのとき小児麻痺で病床にいたので、見舞いの気持ちを込めて絵手紙を送ったのである。ベッドでカモミールの煎じ薬を飲まされているピーターを描写したとき、ビアトリクスは療養しているノエルへの励ましのメッセージをしたためたと解釈することができよう。

その後、周囲の勧めもあり、ビアトリクスはその「4ひきの小さなウサギ」の絵手紙をもとにして、草稿本を制作して絵本の形での出版を計画する。だが無名の女性作家の作品を引き受けてくれるようなところはない。記録によると、少なくとも6つの出版社から断られたという。ビアトリクスの人生は、決してあきらめない人生だった。出版社が刊行してくれないのならば、自分の貯金で出版すればいい! こうして1901年12月、ビアトリクスは『ピーターラビットのおはなし』を自費出版する。口絵だけがカラーで挿絵はすべて白黒の線描画の絵本だった。

しかし、ここで運命の女神はビアトリクスに微笑む。自費出版の『ピーターラビットのおはなし』が刊行された日、ロンドンの出版社フレデリック・ウォーン社が「すべての挿絵に色をつける」という条件で出版を申し出たのである。ウォーン社は、それまでウォルター・クレイン、ケイト・グリーナウェイ、ランドルフ・コールデコットといった錚々たる挿絵画家の作品を数多く扱ってきた出版社であった。当時、大御所でもあった挿絵画家レズリー・ブルックの好意的な意見も追い風になった。こうして1902年10月、水色のジャケットを着た『ピーターラビットのおはなし』が書店に並ぶ。発売後すぐに増刷され、版を重ね、36歳のビアトリクスは一躍、ベストセラー絵本作家となる。そしてその後も次々に珠玉の絵本を世に送り続けたのである。

自然保護活動家として

最後に大急ぎでひと言。ビアトリクスは湖水地方の風光明媚な自然景観を守るため、絵本の印税やキャラクター・ビジネスでの収入で土地や農場などを次々と購入し続けた。最終的にウィンダミア湖、エスウェイト湖、コニストン湖周辺の土地や農場など、総面積で4300エーカー(東京ドーム約360個分)を買い占めた。後世の人びとに掛け替えのない美しい自然を残すためだった。彼女は遺言によって、そのほとんどすべてをナショナル・トラストに寄贈した。2017年、英国・湖水地方はその自然の美しさが評価され、世界文化遺産に登録された。もし120年前に『ピーターラビットのおはなし』が出版されていなかったら……。

河野芳英(かわの よしひで)

1959年東京都生まれ。大東文化大学教授。「出版120周年:ピーターラビット™展」監修者。
著書『ピーターラビットの世界へ』 河出書房新社 2,640円(税込)他。

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