Web版 有鄰

579令和4年3月10日発行

有鄰らいぶらりい

ひとりでカラカサさしてゆく
江國香織:著/新潮社:刊/1,760円(税込)

篠田完爾は86歳、重森勉は80歳、宮下知佐子は82歳。1950年代の終わり、美術系の出版社で同僚として出会った三人は、1970年に勉が転職しても、10年前に完爾が秋田に移住してもずっと仲のいい友人同士だった。大晦日に待ち合わせた三人は、ホテルのバーラウンジで昔話に花を咲かせる。

年が明けて元日。新年の挨拶をしに妻の実家を訪ねた勇樹は、〈都内のホテルで老人が三人、猟銃自殺〉というテレビのニュース速報を目にする。その時は、三人のうちの一人が自分の祖母だとは知る由もなかった。子供の頃に家を出た母とは20年以上、作家になった姉とは10年以上会っていなかった勇樹は、突然の祖母の死で母や姉と顔を合わせることになる。

三人はなぜ、大晦日の夜に一緒に命を絶ったのか? 伴侶と死に別れた完爾と知佐子、独身を貫いた勉。それぞれ独りで暮らしていた三人の唐突な死に、残された人々は衝撃を受ける。完爾の子の東洋と翠、孫の葉月、知佐子の娘の朗子、孫の踏子と勇樹、勉の部下だった順一らは、喪失を抱えながら”その後”の日常を生きていく。

老人三人の語らいと残された者の日常を通し、終焉と喪失を描く長編小説。手練の筆致に引き込まれる。

女優』 大鶴義丹:著/集英社:刊/1,870円(税込)

小劇団を主宰する三岳テツロウの母は、星崎紀李子の芸名でテレビや映画、芝居で長年活躍してきた有名女優である。テツロウは小学校のときに、母が有名女優だと知った。入学早々に「ジョユー」のあだ名をつけられたテツロウにとり、母が女優であることは重たい事実だった。

75歳になりながら女優を続ける母は大きな一戸建てに独りで暮らし、51歳のテツロウは結婚して1年になる妻フキコとアパートに住んでいる。小劇団の次の芝居は、フキコの戯曲による娘と母の悲しい物語だ。若い女性とその幻影、母親、男の“4人”が登場し、自我が分裂するほど苦しんだ娘が、最後に母への復讐を果たす。フキコの提案でテツロウが台本を見せると、母は”最後の舞台”として母親役を引き受ける。有名女優の出演に劇団は盛り上がるが、稽古場に現れた母の実力はずば抜けていた。〈母は飽きることなく芝居を食らい尽くす〉。テツロウは、女優である母と初めて舞台で対峙する――。

〈結局彼女がしていることは、己が持っている恐ろしいまでの天賦の才能を、舞台の上で好き勝手に発散しているだけである〉。女優であることを選び続けてきた母への葛藤を、新しい芝居を生み出す過程とともに描く。著者の10年ぶりの長編小説である。

ボタニカ』 朝井まかて:著/祥伝社:刊/1,980円(税込)

『ボタニカ』・表紙

『ボタニカ』
祥伝社:刊

文久2(1862)年、土佐国(高知県)佐川村に生まれた牧野富太郎は、小学校を2年で中退し、野山に分け入っては植物採集と写生に明け暮れた。〈花はなにゆえこうもいろいろな色や形をしちゅうがか、グルグルはなにゆえああも渦巻いちゅうがか、わしは知りたい〉。独学で植物を学んでいた明治14(1881)年、内国勧業博覧会を観に上京した富太郎は、本草学の大家、伊藤圭介と知り合う。〈日本人の手で、日本のフロラ(植物相)を明らかにする〉。大きな目標を立てて明治17年に再上京を果たし、東京大学の植物学教室に出入りを許された。新種発見などの目覚ましい成果を挙げるが、“研究の秘匿性にかかわる”と、教室への出入りを突然禁じられてしまう。

くじけず研究する富太郎だったが、東京で出会ったスエとの間に子供が生まれ、研究で借金は膨れ上がる。子供の死、生家の没落、研究者間の軋轢、妻の病……。困難に遭いながらも、富太郎は数多の学者の情熱を受け継ぐ「最後の本草学者」だった。

〈この胸にはまだ究めたい種(ボタニカ)が、ようけあるき〉。“日本植物学の父”といわれる牧野富太郎(1862-1957)の生涯を活写した長編小説。植物を愛し、研究に生涯を尽くした稀代の学者の人間味が伝わってくる。

六つの村を越えて髭をなびかせる者
西條奈加:著/PHP研究所:刊/1,980円(税込)

出羽国楯岡村(山形県村上市楯岡)の貧しい農家に生まれた元吉は、江戸に出て”音羽先生”こと本多利明の内弟子になる。老中、田沼意次の肝煎で蝦夷地見分隊の派遣が決まり、元吉は最上徳内と改名し、天明5(1785)年、蝦夷地に渡った。

蝦夷地西南の松前に着いた徳内は、屋敷町を抜け出してアイヌの男と出会う。次いで向かったアッケシではアイヌの少年フリゥーエンや長と出会い、アイヌ語や文化を学ぶ。クナシリ、エトロフ、ウルップ島へと見分隊は調査を広げたが、十代将軍・家治の死去と田沼の失脚で2年にわたる調査は打ち切られ、見分隊は江戸に帰参する。

広大な蝦夷地に立って徳内が抱いたのは、純粋な思いだった。アイヌの人々の本当の姿を世に知らしめたい。アイヌ人と和人を結ぶために力を尽くそう。蝦夷地への思いが尽きない徳内は寛政元(1789)年、クナシリ・メナシの乱の発生に際しても蝦夷地に渡る。だが、同行した幕吏、青島俊蔵と共に江戸で捕縛されてしまう――。

9度蝦夷地に渡った江戸中後期の探検家、最上徳内の半生を描いた歴史長編小説。人懐こく温かみのある徳内とアイヌの人々とのやり取り、蝦夷地の光景を、生き生きと描き出している。

(C・A)

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