Web版 有鄰

579令和4年3月10日発行

佐野広実と『誰かがこの町で』 – 人と作品

郊外の高級住宅街で、19年前に何が起きたのか?
失踪した家族の行方を追う、長編サスペンス

佐野広実
佐野広実

架空の町を舞台に、「同調圧力」を描く

郊外の瀟洒な住宅街で、19年前に何があったのか。架空の町を舞台にした、長編サスペンス小説である。

「出歩いては気になることがあるんですよね。例えば数年前、分別ゴミのルールを守らずに捨てた人の住所と名前がさらされているのをゴミ捨て場で見て、やりすぎだなあと思ったり。そんなところから、ローカルルールによってねじ曲がった方向に進んでしまう題材が浮かびました」

主人公の真崎雄一は、横浜にある岩田喜久子法律事務所で働いている。ある日、都内の養護施設で育った望月麻希が、19年前に失踪した家族を探して法律事務所を訪れる。真崎は調査のため、与久那町の鳩羽地区に向かう。

「フォークナー『八月の光』のような社会の因習というものは、近代的な町でも起きうるんじゃないかと、郊外の架空の町を考えました。心に傷を負う主人公がいろいろ暴いていくスタイルです」

物語は、真崎の視点と、鳩羽地区に住む木本千春の視点とで描かれる。小学生の一人息子を誘拐殺人事件で亡くした千春は、息子の思い出が残る町に住み続けた。

「外部と内部から町の様子を見られるように、二つの視線を交互にしました。ほのめかして従わせる、同調圧力や忖度という目に見えないものをどう描くかに手こずりましたね。トップが何気なく決めたことが、変な方向に暴走するのは珍しくない。何か事件があり、仮にその真相に気づいた人がいたとしても、木本夫人のように、疑問を感じながら物を言えずにいる人は結構いるんじゃないか。共同体は悪い方向に進むと、昔の五人組のように互いを縛る監視社会になってしまう」

「安全安心な町作り」を標榜する鳩羽地区には、暗黙のルールがいくつもある。忖度と利権が絡み合う町に、真崎と麻希が入り込んでいく。

「高度経済成長のあと、物事の優先順位がいつしか変わり、何よりも優先されるべき人間性が無視され、踏みにじられている。今の社会は資本主義に振り回されている気がします。そんな風潮は、鳩羽地区のような町でも起きていたのではないか。真崎や木本夫人のように平穏な日常生活から外れてしまった人の方が、ものを考える機会は多いと思う。外れていなくても小説を読んで考えてもらえたらいいなと、いろんな社会問題を込めました。隠蔽やいじめといった問題が全くなくなることはないとしても、社会へのカウンターになる小説を書く意識はありました」

生まれ育った横浜は、海も畑もあって面白い

1961年、横浜市生まれ。99年、「島村匠」として『芳年冥府彷徨』で第6回松本清張賞を受賞。2020年、『わたしが消える』で第66回江戸川乱歩賞受賞。本作が受賞第一作となる。

「小学4年生の頃に乱歩の『黒蜥蜴』を読み、小説を書いてみたいと思いました。中学時代は文芸部に入り、本格的に小説に取り組んだのは20代からで、まとまった休みに書けるかなと教職に就きました。20代の頃は武田泰淳、井上光晴、高橋和巳などの近現代文学を読み、エンターテインメントを書き始めた30代の頃は、生島治郎さんなど横浜ゆかりの方の作品も読みまくりました」

次作は女性問題を題材に、江の島が舞台になる。横浜が舞台の作品も準備中だ。

「松本清張賞を受けたあと、小説が売れなくても書いていこうか、いやそれもまずいと乱歩賞に応募したら、二次予選まで通ったんです。実力的にダメではないんだと筆名を変えて応募し、受賞しました。およそ20年経ってしまいましたが、『9・11』からの激動を小説家として過ごさなかったから、小説にする下心を持たずに冷静に世の中を見ていられたところはあります。転々として一つところに属してこなかったので、何かに属している方が安心だという発想がよくわからないんです。属さないと生きていけない状態だと、無理でも従わなくてはならないことがあると思う。しがらみを吹っ切っていけるように、いろんな人がこれから考えていかなくてはならないんじゃないか。

生まれ育った横浜は、海もあるし、少し奥に入ると畑も残っている面白い町です。伊勢佐木町のあたりは子供の頃からうろうろしていましたから、今回も法律事務所の界隈にしました。知っているところは描きやすい。だから今回、架空の町を作って描くのは大変でしたね。社会派や幻想的な小説、文体で読んでもらうもの、いろいろ書いていきたいと考えています」

(青木千恵)

『誰かがこの町で』・表紙

誰かがこの町で
佐野広実/講談社/1,925円(税込)

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