Web版 有鄰

583令和4年11月10日発行

私の駄菓子屋物語 – 1面

廣嶋玲子

『ふしぎ駄菓子屋銭天堂』シリーズ

『ふしぎ駄菓子屋銭天堂』シリーズ

私は横浜の磯子区生まれ。磯子小学校に通い、浜マーケットの草餅と三角コロッケを愛し、小川ベーカリーというパン屋の常連(初めてのお使いミッションも、ここでこなしました)でした。関内にある有隣堂にもよく通い、絵本を買ってもらった後に、地下1階にあるレストランでお子様ランチを食べるのが楽しみでした(赤い車の形のプレートに、あれこれ料理が載せてあって、とてもすてきなお子様ランチだったのです)。

記憶に残る我が母校・磯子小学校のプール

我が母校、磯子小学校はかなり古い学校でして、なんと私の祖母も通っていたとのこと。祖母は今でも校歌を覚えていて、歌うことができます。

かくいう私も、「かもめ飛び交う青い海~」と、そらんじることができます。小さなころの記憶力は、なかなかどうして、たいしたものです。現在の私は、昨日の夕食の献立すら、すっと頭に浮かばぬことが多いというのに。だから、仕事の予定は全部カレンダーに書きこむようにしています。忘れたら、とんでもないことになりますから。ああ、今、小学生時代の記憶力があれば、どんなにいいか。

まあ、それはさておき、磯子小学校には特に記憶に残っていることがあります。

それは、小学校のプールです。

暑い夏の日、クーラーも扇風機もない教室に押しこめられた暑がりの私にとって、水泳の授業は最高の楽しみの一つでした。ところが、磯子小学校のプールは、なぜか、体育館の下に作られてあって、プールの三分の二が日が当たらない設計になっているのです。そのせいで水温が上がりにくく、何度も水泳の授業が中止になりました。もう、腹が立って腹が立って……。服の下に水着を着こんで登校した日などは、特に「むっきー!」とわめいていました。でも、泳ぐのがきらいな友だちは、水泳が中止になると喜んでいて、子ども心に「ああ、いろいろな考え方があるんだな」と、思ったものです。

銭天堂のモデル小学校近くの小さな駄菓子屋

『ふしぎ駄菓子屋銭天堂 18』

『ふしぎ駄菓子屋銭天堂 18』
作:廣嶋玲子 絵:jyajya 偕成社刊

そして、磯子小学校の近くには小さな、本当に小さな駄菓子屋さんがありました。名前は知らず、「学校のとこの駄菓子屋に集合ね」と言えば、子どもたち同士で通じるお店。その狭い店内は、魔法のような魅力があふれていました。

天井までの棚にぎっちりならべられた駄菓子たち。奥から顔をのぞかせ、こちらをじっと見ているおかみさん。

そう。私の「ふしぎ駄菓子屋銭天堂」のイメージは、まさにこの駄菓子屋さんがモデルになっていると言えましょう。

登下校の通り道だったので、私はいつもこの駄菓子屋を横目で見ながら家に帰っていました。色とりどりの駄菓子を好きなだけ買ってみたいと思い、店先にならんでいるガチャガチャ(カプセルトイ)に、ものすごく憧れました。

けれど、我が家は母がなかなかきびしくて、あまり駄菓子屋での買い物は許されていませんでした。今から思えば、まあ、わからなくもありません。駄菓子はなにやらあやしげなものが多かったし、今のガチャガチャとちがい、当時のガチャガチャの景品はかなり粗悪なものばかりでしたから。

しょっぱい記憶が多い私の駄菓子屋での思い出

それでも! 

それでも「ほしい! 食べたい!」と思わせる魔力が、駄菓子屋からは、あふれてくるのです。

特に好きだった駄菓子は、ミルクせんべいです。うすくて、ほんのり甘いミルクせんべいに、青や紫色の水あめをとろりとのせ、そこにもう1枚、ミルクせんべいを重ねて食べる。パリパリ、ねっとりと、2つの食感が楽しめて大好きでした。100枚くらい食べたいと、本気で思っていたものです。

糸巻きサイズの小さな容器に入っているコーラ味のラムネもとても好きでした。1粒ずつ大事に食べても、すぐになくなってしまうので、お茶筒くらいの容器に入れて売ってくれないものかと思っていました。

それから、骸骨の形をしたグミも、私の心をつかんだお菓子でした。これもコーラ味でした。

もうおわかりですね。はい、私、コーラが大好きなのです。執筆のお供は、主にカフェオレやミルクティーですが、執筆に行きづまったときや、締め切りが迫っているときなどは、「エンジン全開させなくては! エネルギー補充!」と、タンブラーになみなみとコーラをいれて、がぶがぶと飲み干します。そうすると、プラシーボ効果かもしれませんが、かなり執筆がはかどるのです。

そうそう。駄菓子屋で売っていたものと言えば、おもちゃのことも忘れられません。

その駄菓子屋には、色とりどりのお菓子だけでなく、メンコやきらきらしたシール、水風船セットなどのちょっとしたおもちゃも置いてありました。それらにどれほど心をときめかせたことか。

当時、「おにぎり消しゴム」というガチャガチャの景品が人気でした。名前のとおり、おにぎりの形をした消しゴムで、2つに割れて、中の具(これも消しゴム)が取りだせるようになっていました。私はこれがほしくてたまりませんでした。で、さんざん母におねだりして、ようやく「1回だけならいいわよ」と、お許しをもらったのです。

もらった100円玉を握りしめ、私は駄菓子屋に走りました。狙いは、「いくら」でした。友だちが「いくらのおにぎり消しゴム」を持っていて、透きとおったいくらの具が、とても特別に見えたのです。そういうわけで、胸をわくわくさせ、神さまに「どうかいくらが出ますように」とお願いして、ガチャガチャのレバーをまわしました。

出てきたものは……「鮭」でした。

はい、私はこういうくじ運が大変に悪いのです。今でもときどき、ガチャガチャをやりますが、ほしいものが手に入ることはまずありません。ひどいときは、同じ品(もちろん、ほしくないやつ)が3回連続で出てきたこともあります。あれはさすがに心が折れました。

とにかく、ほしくもない「鮭」をゲットした私。でも、がっかりした顔は見せず、「いいのが出た!」と、喜んで見せました。理由はもちろん、母対策です。「ほら、ガチャガチャなんて、ほしいものが出てくることはめったにないのよ。もう二度とやっちゃだめよ」と言われないために、必死だったわけです。

「ねるねるねるね」もそうでした。「ねればねるほど、色が変わって! うまい!」と、テレビのコマーシャルで魔女のおばあさんが宣伝していたお菓子。色変わりするお菓子なんて、子どもの私にとってはまさに魔法そのもの。顔をしかめる母にねだりまくって、一度買ってもらいました。

結果は……。確かに、色が変わるのはおもしろかったのですが、味はちょっと好みではなくて。

それでも、「どう?」と、聞いてくる母に、私はにっこりして「とてもおいしいよ!」と言いました。「ねるねるねるね」は口に合わなかったけれど、次にほしいお菓子はおいしいかもしれない。そのとき、「またそんなのをほしがって。『ねるねるねるね』のことを忘れたの? だめですよ」と言われないようにするために、ここはきっちりと演技しておかなければと思ったわけです。我ながら、あざといというか、涙ぐましいというか。

とまあ、私の駄菓子屋での思い出は、なかなかしょっぱい記憶が多いのです。だからこそと言うべきか、当時の子どもたちと同じように、私も心から思っていました。「いつか、駄菓子屋さんで好きなだけお菓子やくじを買いたい。ガチャガチャを思いきりやりたい」と。その夢はいまだに果たされていません。というのも、今では駄菓子屋自体をとんと見かけなくなっているからです。

あれから何十年も経ったので、私が知っていた磯子の町なみも変わりました。浜マーケットは火災に見舞われ、全焼してしまいましたし、小川ベーカリーも閉店してしまいました。なにより、あの小さな駄菓子屋はもうありません。子どもたちの心をとりこにしていた不思議な空間がなくなったことを、心から寂しく思います。

でも、変化は、悪いことばかりとは言えないでしょう。一度は焼け落ちたものの、浜マーケットでは、今でも草餅や三角コロッケを買えます。小川ベーカリーのあった場所には、今は「磯子物語」というパン屋さんがあり、生食パンがおいしいです。

だから、思うのです。ある日、町のどこかで昔ながらの駄菓子屋がひょっこりと復活するのではないかと。

そうなることを願ってやみません。

廣嶋玲子似顔絵
廣嶋玲子(ひろしま れいこ)

1981年横浜市生まれ。作家。2005年、『水妖の森』でジュニア冒険小説大賞受賞。著書『ふしぎ駄菓子屋銭天堂』シリーズ 偕成社 各990円(税込)等多数。

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