Web版 有鄰

587令和5年7月10日発行

横浜から全国へ ビールで日本旅 – 海辺の創造力

友清哲

物書きを生業とする傍ら、都内でバーを営んでいる。といっても、シェイカーを振る技術は持ち合わせていないから、店舗はバーテンダーに任せて、自分は専ら企画面などでサポートする形で10年ほどやってきた。

二軒目、三軒目使いが中心のバーでは本来、ビールよりもカクテルやウイスキーが主力商品となる。つまり、「とりあえずビール」を済ませてきた層がメインターゲットだ。

それでもメンテナンスの大変なビアサーバーをわざわざ維持しているのは、延々とビールを飲み続けたいビール党の存在と、昨今のクラフトビールブームに理由がある。

クラフトビールとは、平成6年(1994)の酒税法改正により、ビールの小規模醸造が解禁されたことを受けて生まれた分野である。当初は「地ビール」と呼ばれていたように、この市場に飛びついたのは主にローカルの事業者たちで、ビールを地域の新たな産品にしようと参入が相次いだ。

しかし、高品質のビールを安定的に生産できる事業者は少なく、新興醸造所の多くがほどなく倒産。およそ10年でブームは終焉してしまう。それがこうして不死鳥の如く蘇ったのは、僅かに生き延びた腕の確かな造り手たちの、研鑽の賜物というほかないだろう。現在、小規模醸造所は全国に700近くも存在する。すべての都道府県にその土地で造られたビールがあり、これを旅の目的にするファンも少なくない。

そうした盛り上がりの尻馬に乗ろうと、拙店でも時折、本業で取材した造り手のビールを仕入れることがある。先日も東北のビールを飲んだ客が、「この醸造所に行ってみたい!」と喜ぶ姿を目撃したばかりで、やはりクラフトビールには旅を促し、人の流れを生む力があるのだと確信する。

そもそもビール自体が、約6000年前に古代メソポタミアで誕生して以来、長い年月をかけて世界を“旅”してきた経緯がある。日本に本格的に伝わったのは黒船来航がきっかけで、ペリー提督は船上に招いた幕府の使節団に対し、ビールを振る舞ったことが記録に残されている。

その後、開国の玄関口となった横浜にいくつかの醸造所が誕生し、明治政府が富国強兵政策の一環でこれを産業化。戦後の高度成長期も相まって、ビールは国民的なアルコール飲料として定着した、というわけだ。

横浜で生まれたビール産業が今日、こうして全国で展開されているのは興味深い。一杯目は北海道のビールを、二杯目は関西のビールをと、旅するように楽しめるのも醍醐味だろう。

いまさらシェイカーを振る作法を学ぶつもりはない私だが、クラフトビールを嗜む客に、その造り手や醸造所を取り巻く物語を伝えることならできそうだ。何より、酒は背景を知ればいっそう旨くなるものだから、これは良いサービスかもしれない。

世の地方創生の文脈もあり、ビールはこれからもうひと盛り上がりするに違いない。もっとも、酒場で講釈を垂れる無粋はほどほどにしなければならないが。

(フリーライター&編集者)

『横濱麦酒物語』・表紙

横濱麦酒物語
友清哲/有隣堂/1,100円(税込)

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