Web版 有鄰

587令和5年7月10日発行

有鄰らいぶらりい

墨のゆらめき』 三浦しをん:著/新潮社:刊/1,760円(税込)

都内の「三日月ホテル」に勤める続力は、水無瀬源市氏の「お別れの会」に向けて準備を進めていた。招待状の宛名書きを依頼するため「遠田書道教室」を訪ね、和洋折衷の古い一軒家で書道を教える遠田薫と出会う。

先代の遠田康春は少し前に死去し、遠田薫は一軒家で猫と暮らしていた。作務衣に健康サンダルの遠田は30代半ばの美青年で、力は劣等感を覚えながらも、彼の型破りな指導法や、子どもたちとの生き生きとしたやり取りに魅入られる。遠田は自由自在にいろんな筆致を描き分けることができた。仕事を頼むと、期日通りに一通の書き損じもなく、見事な文字の宛名書きを仕上げてきた。

「お別れの会」が成功裏に終わった11月、遠田に呼ばれ、力は再び住宅街の一軒家を訪ねる。「また来いや」と言う薫を、どこかさびしい人だと思う。〈まわりとは決定的にちがう部分を隠しながら、「ふつう」を演じなければならないとしたら、それはどんなにつらくさびしいことだろう〉。それから書道教室にちょくちょく足を運ぶようになるのだが――。

書と真剣に向き合う遠田と、実直なホテルマンの力。書道や漢詩のディテールを交え、二人の交流をあざやかに描いた長編小説。物語の終盤の展開に胸打たれる。

コメンテーター』 奥田英朗:著/文藝春秋:刊/1,760円(税込)

民放の3局が午後のワイドショーを放映する中、中央テレビの『グッタイム』は視聴率で負けっ放しだ。新型コロナウイルスの感染拡大で、テレワーク中の現役世代をテレビに惹きつけられないか。視聴率しか頭にないプロデューサーの宮下に凄まれ、人目を惹くコメンテーターを探す畑山圭介は伝手をたどり、伊良部総合病院の精神科医、伊良部一郎を訪ねる。しかし伊良部は、宮下にリクエストされた“美人精神科医”とは違うタイプだ。乗り気の伊良部をやむなく出演させると、意外にも視聴率が上がり続けて――(表題作)

県道を走ると煽り運転に遭い、犬の散歩に出かけるとスケートボートに興じてゴミを散らかす若者がいる。絶えず憤りを覚えながら怒れず、ストレスを抱えた会社員、福本克己は、会社が提携する伊良部総合病院に行く(「ラジオ体操第2」)

そのほか、仕事になじめずに2年で退社後、株ブームの中で大儲けをした青年が伊良部と出会う「うっかり億万長者」など、計5編を収録。『イン・ザ・プール』『空中ブランコ』『町長選挙』に続く、精神科医・伊良部シリーズの17年ぶり最新作。時が流れ、視聴率や株価や仕事で人々が一喜一憂していても、飄々と我が道を行く伊良部の姿が楽しい。

絵師金蔵 赤色浄土』 藤原緋沙子:著/祥伝社:刊/1,925円(税込)

弘化1年(1844)、土佐国高知城下で画塾を開いていた金蔵は、狩野探幽の贋作を描いた罪で投獄される。半月ほど前に頼まれて探幽の絵の模写はしたが、落款は押していない。土佐藩の画局支配だった池添楊斎が急死し、愛弟子で重用された金蔵を追い落とそうとする者の罠なのか? 贋作と裁断されたら斬首になる。追い詰められた金蔵は、牢で旧友の桑島辰之助を思い出す。15年前の節分の夜、18歳の金蔵は、辰之助と熱い志を誓い合った。

幕末の土佐藩で、髪結い職人の子として生まれた金蔵は、物心ついた頃から父の専蔵と折り合いが悪かった。店の外で絵を描き、鷹の絵が豪商仁尾順蔵の目に留まり、16歳で池添楊斎のもとに入門して狩野派の絵を学ぶ。江戸に出て駿河台狩野の画塾で学び、3年で修業を終えて『林洞意美高』の名を得、天保3年(1832)暮れに土佐に凱旋する。土佐藩画師の一員となって画塾を開き、順風満帆と思われたが、仁尾順蔵が亡くなり、池添楊斎が急死して、親友の辰之助が獄中で憤死してしまう――。

恩人と旧友の死、冤罪による投獄、弟子の武市半平太の切腹、大地震……。幕末動乱期を生き、「絵金」と親しまれた絵師の生涯を描いた長編小説。著者の作家生活20周年記念作品である。

オール・ノット』 柚木麻子:著/講談社:刊/1,815円(税込)

『オール・ノット』・表紙

『オール・ノット』
講談社:刊

貸与型の奨学金で大学に通う真央は、バイト先のスーパーマーケットで試食販売の「おばさん」と出会う。彼女の名は山戸四葉といい、親しくなった真央は、大学2年生の冬、ホテルのインターンに合格する。一緒に喜んでくれた四葉さんは、真央を家に招いて合格祝いのパーティーをしてくれた。古いアパートでふるまわれるご馳走や、華やかな感じの昔の写真に目を丸くした真央に、「これが私の全財産」と言って四葉さんは宝石箱を見せる。真珠のネックレスは、粒が離れないようにつなぐオール・ノットの技法で作られたものだった。将来の不安を呟く真央に、「これはあなたの失敗のために使って。失敗は誰だって、していいものなの」と言って、四葉さんは宝石箱をくれた。

それからコロナ禍になってインターンは中止になり、試食販売はなくなり、オンラインの授業と就職活動で打ちひしがれて、真央は四葉さんと離れてしまう。社会人になった真央は横浜に行き、四葉さんの旧友と会う。苦学する真央に全財産を差し出したのは、栄華を誇った山戸家の生き残りだった――。

一つ一つの粒を結び、途切れないように支えるものとは何か。少し先の未来も舞台にした巧みなストーリーで、人と人のつながりを問いかける長編小説。

(C・A)

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