Web版 有鄰

588令和5年9月10日発行

小津安二郎を再発見するために – 1面

伊藤弘了

高まる再評価の機運

映画監督の小津安二郎は1903年12月12日に生まれ、ちょうど還暦の誕生日にあたる1963年12月12日に亡くなった。今年は生誕120年/没後60年のメモリアル・イヤーである。生前に盛名を馳せた大人物であっても、没後は徐々に忘れられていくのが世の常だが、むしろ小津は近年ますますその評価を高めているように思う。

たとえば、5月に開催された第76回カンヌ国際映画祭のクラシック部門には、アルフレッド・ヒッチコックやジャン=リュック・ゴダールといった世界映画史の巨匠たちの作品とともに、小津の『長屋紳士録』(1947年)と『宗方姉妹』(1950年)が選出され、4Kデジタル修復版のワールドプレミア上映が行われた。2013年のベルリン国際映画祭で『東京物語』(1953年)が上映されて以来、小津映画が世界三大映画祭のクラシック部門に選ばれたのはこれが10回目である。

小津が映画史に残る傑作を撮り続けていた1950年代に、日本映画は世界に「発見」された。黒澤明の『羅生門』(1950年)がヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞を獲得したのを皮切りに、溝口健二や衣笠貞之助らの作品が次々と出品され、華々しい受賞歴を重ねた。

一方で、小津映画が海外の映画祭に出されることはほとんどなく、国際的な舞台で脚光を浴びる機会には(黒澤や溝口ほどには)恵まれなかった。長年にわたって小津映画を支えた名カメラマンの厚田雄春の証言によれば、小津は自分の映画がいつか外国人にも理解されると信じていたようである。そして、事態はまさにその通りになった。むしろ、現在の世界的な高評価は、小津自身の予想をはるかに上回るものではないだろうか。

世界一になった小津映画

生誕110年/没後50年の節目を翌年に控えた2012年に、小津映画は世界一の称号を得た。イギリスのBFI(英国映画協会)が発行する映画雑誌『サイト・アンド・サウンド』が10年に一度実施している投票において、小津の『東京物語』が日本映画として初めて1位の座に輝いたのである。投票は批評家部門と映画監督部門にわかれており、『東京物語』は世界の監督たちによる投票で1位に選ばれた(批評家部門では3位だった)。ちなみに、2022年に公開された最新のランキングでは、『東京物語』は両部門の4位につけている。

先ほど小津は「国際的な舞台で脚光を浴びる機会には恵まれなかった」と書いたが、実は『東京物語』は1957年にイギリスで上映されており、翌58年にサザーランド杯を受賞している。これは英国映画協会が同年に設立したばかりの賞で、小津は栄えある第1回の受賞者となった。もっとも、日本で公開されてから数年後のことでもあり、残念ながらそれほど大きなインパクトを与えるには至らなかった。

ただし、『八月の鯨』(1987年)などの作品で日本でも知られるリンゼイ・アンダーソン監督が、このとき小津を絶賛する文章を『サイト・アンド・サウンド』に寄稿しており、その後の国際的な評価に先鞭をつけている。それから半世紀以上を経て、小津は世界一の映画監督として再び『サイト・アンド・サウンド』に帰ってきたのである。

小津の後継者

さて、再び今年のカンヌに話を戻せば、小津の存在感は、映画祭の花形とも言うべきコンペティション部門の作品からも見てとれる。日本からは是枝裕和監督の『怪物』が出品され、クィア・パルム賞とともに脚本賞(脚本は坂元裕二)を受賞したことで話題を集めた。国際映画祭の常連でもある是枝は、国内外の批評家たちからしばしば小津の影響を指摘されてきたが、是枝自身は安易に小津に比されることを苦々しく思っている節がある。

とはいえ『奇跡』(2011年)の不在の娘にわざわざ「紀子」の名前を、そして主人公の祖父に「周吉」の名前を与えているあたりに、是枝の小津への意識が垣間見える。「紀子」は小津の代表作である『晩春』(1949年)、『麦秋』(1951年)、『東京物語』で、いずれも原節子が演じた娘の名前であり、「周吉」は彼女の父親の名前である(この三作は「紀子三部作」と総称されている)。『奇跡』で「周吉」を演じた橋爪功は、のちに『東京物語』に直接的なオマージュを捧げた山田洋次監督の『東京家族』(2013年)に出演し、再び「周吉」を演じている。

あるいは、是枝が鎌倉を主な舞台とする『海街diary』(2015年)を手がけた際には、わざわざ茅ヶ崎館に泊まって脚本を執筆している。茅ヶ崎館は小津が脚本執筆の際の定宿にしていた旅館である。是枝は小津が使用していたのと同じ部屋に泊まっている。是枝も、この作品に関しては「小津っぽい」ところがあるとインタビューで認めており、じっさい、主演の綾瀬はるかの劇中の髪型や衣装には、小津映画における原節子の影がちらついている。(影響の多寡はともかくとして)是枝が小津映画の記憶を引き継ぐ監督であるのは間違いない。

海外の映画監督に与えた影響

カンヌのコンペティション部門には、小津への敬愛を公言しているフィンランドのアキ・カウリスマキ監督と、ドイツのヴィム・ヴェンダース監督の新作も出品された。ヴェンダースの新作『Perfect Days』は渋谷の公共トイレにフォーカスした映画で、主演を務めた役所広司が男優賞を獲得している。役所が演じたトイレ清掃員の名前は『東京物語』の主人公と同じ「平山」である。8月に78歳を迎えるヴェンダースは、依然として小津への興味を失っていないようだ。『Perfect Days』の日本公開は、今年の12月21日に予定されている。

ヴェンダースは今から40年前の1983年に来日し、『東京画』(1985年)という映画を撮っている。当時の東京にカメラを向け、そこに小津映画の痕跡を見出そうとするドキュメンタリー映画である。小津の自宅があり、また小津映画の舞台としてたびたび登場した鎌倉方面にも足を伸ばし、先ほど名前を挙げた厚田雄春から撮影の裏話を聞き、『東京物語』の「平山周吉」を演じた笠智衆とともに北鎌倉・円覚寺にある小津の墓に参っている(小津の墓には墓碑銘として「無」の一字が刻まれている)。

『東京画』のオープニングとエンディングには『東京物語』の映像が引用されており、そこにヴェンダースによるナレーションが重ねられている。オープニングの次の一節は、初めてこの映画を見て以来、強く私の心に残り続けている。「私は彼の映画に世界中のすべての家族を見る/私の父を母を弟をそして私自身を見る/小津の作品は20世紀の人間の真実を伝える」。

普遍的な家族の物語

つとに指摘されているように、小津は繰り返し「家族」を描いてきた。もっと言えば、家族が緩やかに解体し、崩壊へと向かうさまを凝視してきた。たとえば小津が好んで取り上げた「娘の結婚」はその契機となっている。

小津映画は同時代の国内外の批評家たちから「日本的」と評されてきた。日本の家庭生活に材をとり、その機微を掬い取るスタイルだったからである。野田高梧と共同で執筆した極上の脚本はほとんど詩の域に達しており、ちょっとした台詞の一つひとつが繊細なニュアンスを伝えている。それが翻訳によって失われてしまうと考えられたのも無理はない。こうした理由から、小津映画は海外の映画祭には向かないと判断されたのである。

かわりに持て囃されたのが主として黒澤や溝口の「時代劇」だったのは偶然ではないだろう。もちろん、時代劇にも家族は登場するし、現代的な要素は自ずと投影される。とはいえ、まず侍に代表される見た目の新奇さが西洋人のオリエンタリズムを刺激したことは否定できないと思う。その意味では時代劇こそ日本的な映画だったと言える。しかし、今から振り返ってみれば、別の意味で「日本的」だった小津の映画は時代も国境も軽々と越えてしまったのである。

ベラルーシで『東京物語』の構図について説明する著者(中央)

ベラルーシで『東京物語』の構図について説明する著者(中央)
©ART Corporation

このことに関して、最後に私の個人的な経験を記しておきたい。私はコロナ禍が始まる前の2019年4月にベラルーシを訪れ、首都のミンスクで開催された小津映画のレトロスペクティヴ(回顧上映)の解説役を務めたことがある。

最初に上映されたのは『東京物語』だった。上映後に壇上に立った私は、居合わせた観客たちに次のように問いかけた。「小津は日本的な監督だと言われるが、私にはいまいちその実感がない。この映画に描かれていた人々とみなさんには何か違いがあるだろうか」と。ベラルーシの人々は即座に「何の違いもない」という反応を返してくれた。その後、マイクが渡った若い男性観客は「私は両親に対して十分に孝行したとは言えない。この映画を見て両親のことを思い出し、恥ずかしくなった」とコメントしてくれた。小津映画がベラルーシの人々に確かに届いていることを実感して、私も胸が熱くなった。

同時代の人々が「あまりに特殊」だと見なした小津映画は、じっさいには「あまりに普遍的」すぎて、当時はその価値を見定めることが難しかったのではないか。『宗方姉妹』には「ほんとに新しいことは、いつまでたっても古くならないこと」という台詞が出てくる。小津は自身の監督作品を通してそのことを証明しているように思う。メモリアル・イヤーのこの機会に、現代の観客にもぜひ小津映画を「再発見」してほしいと願っている。

伊藤弘了
伊藤弘了(いとう ひろのり)

1988年愛知県生まれ。映画研究者。熊本大学大学院人文社会科学研究部准教授。
著書『仕事と人生に効く教養としての映画』(PHP研究所) 2,255円(税込)ほか。

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