Web版 有鄰

591令和6年3月10日発行

鎌倉を「探検」する – 2面

角幡唯介

『書くことの不純』・表紙

『書くことの不純』
中央公論新社

気まぐれなひと言で鎌倉に住む

都心から鎌倉に引っ越してきたのは娘が3歳の頃だったから、もう7年前になる。なにか縁やゆかりがあったわけではなく、そのとき住んでいた集合住宅を出なければならない事情があり、「鎌倉に住みたい」と妻が気まぐれでいったひと言がはじまりだった。

正直なところ、私は鎌倉という町を訪れたこともなかったし関心もなかった。むしろ、暮らしにゆとりのある人たちが優雅に暮らすスカした町というネガティブな印象があるぐらいで、引っ越すつもりなど毛頭なかったのだ。ただ無下に却下すると妻の機嫌を損ねる。そのため一応かたちだけのつもりで訪問したのだが、ところが来てみるとこれが予想以上に魅力的な町で、なんやかんやがあって結局移り住むことになったのである。

私にとって鎌倉の魅力は手頃な自然に囲まれていることだ。家は鎌倉駅から江ノ島電鉄で4つ目の駅である極楽寺というエリアにある。ここを選んだ理由は、たまたま物件が出ていたという偶然にすぎない。ただ、住んでみると鎌倉で一番居住環境がいいのは極楽寺ではないかとつくづく思うし、妻ともそんな話をよくする。

極楽寺は鎌倉大仏や長谷寺で有名な長谷駅の次の駅である。長谷エリアは海岸近くの低地にあるが、極楽寺は山のうえだ。長谷の隣の坂の下という海岸から昼でも薄暗い登り坂があるのでそれを登ってゆく。坂道の途中には成就院という魂の成仏と関係ありそうな名前の寺があり、道はその先で関門のように狭い切通しになっている。この切通しを越えると風景は突然パッと開け、赤く彩色された通称「赤橋」が、あたかもこの世とあの世をつなぐかのように、江ノ電の軌道のうえに架かっている。この橋をわたったところにあるのが地名の由来となっている極楽寺の寺だ。

鎌倉のチベット・極楽寺

このように、長谷から極楽寺までの道は地形と寺院の配置が俗界から天界へといたる宗教的構図をなしている。地名もそのまんま極楽寺なので、まったくもって鎌倉のチベットと呼ぶにふさわしいエリアなのである。

観光客でごった返す長谷とちがってさほど見るべき場所もなく、わりと閑散としているところもチベットっぽい。

若い頃、チベット奥地にある未踏の大峡谷を単独で探検した。チベット仏教の伝承によると、その峡谷のどこかには、仏教が危機に瀕したときにシェルターの役目をはたす聖地があるとされる。聖地にはテルマとよばれる埋蔵経典があり、発見したら聖者としてあがめられる。峡谷の最奥で謎の大洞穴を発見したとき、私はあれこそ聖地伝説のもとになった場所にちがいないと確信し、内部にテルマが隠されていないか探した。残念ながらテルマは発見できず、聖者としてチベット仏教史に名をのこすことはできなかったものの、そんな私が鎌倉のチベットに住むことになったのも何かの因縁だろう。

自宅はその極楽寺駅から、さらに10分ほど歩いたところにある。谷地を奥へ奥へと進んでいくと、やがて急な登り坂があらわれる。推定標高差20メートルはあろうかというその坂を、息も絶え絶え登攀してようやくたどりつくことができる。家の裏には行政に急傾斜地指定された目も眩むような急崖がそそり立ち、ロープをたよりによじ登ってゆくと、うっそうと木々の生い茂った尾根に出る。鎌倉の低山は俗に、おそらく多少の皮肉交じりで、鎌倉アルプスと呼ばれるが、ここはチベットなのだから私としては鎌倉ヒマラヤと呼びたい。

鎌倉に住んでから近くの山のトレイルを走るのが日課になった。腰痛が悪化した最近は走る距離もすっかり短くなったが、引っ越してきてからしばらくのあいだは、自宅から大仏付近を通過し、源氏山公園を越えて北鎌倉に下り、明月院から建長寺裏の山をたどって鎌倉最高峰である大平山チョモランマまで往復していた。鎌倉ヒマラヤの核心をつらぬく大縦走だ。

鎌倉の海で楽しむシーカヤック

もちろん鎌倉の自然といえば山よりも海であり、海岸では年がら年中、サーファーたちが波乗りを楽しんでいる。私の家の前の持ち主もサーファーだったし、向かいの人もサーファー、隣のおばさんの息子もサーファー、娘の幼稚園のお父さん、お母さんもサーファーばかりだ。サーフィンをしない私にとっては四面楚歌のような環境だが、シーカヤックには乗るので海にはよく出かける。じつは鎌倉に引っ越してきた大きな理由のひとつに、いつでもカヤックに乗って腕を磨けることがあった。

当時は旅行に適した折り畳み式のフォールディングカヤックしかなくて、出かける前にいちいち組み立てた。そのうちリジッド式のカヤックを購入し、近所での練習用に愛用するようになった。

通販で買った安物の小型カートにのせてヒマラヤの麓の家を出発、極楽寺から切通しの坂を海まで下る。家から海まで15分ほどだ。もちろん帰りは標高差50メートルほどある坂を一気に登らないといけない。カヤックといえども全長4メートルほどあり、そこそこ大きな物体だ。これを引っ張りながら家まで坂道を登るさまは、何か途方もない重労働をしているように見えるらしく、当初は「いやーすごいですね。さすが北極で橇を引いているだけありますね」と近所の人から驚かれた。でもきちんと中心をカートに乗せればじつはさほど重くはない。

サーファー天国の鎌倉においてカヤッカーは少数派だ。坂の下からカヤックを漕ぎだすのは自分以外に見たことがなく、ほかにはサップやウインドサーフィンがいるだけだ。稲村ガ崎から由比ガ浜、材木座までの海はビーチがつづき、地形的に単調で、あまり魅力がないからだろう。カヤッカーは海岸が入り組んだ逗子や葉山に多い。

私もいつも坂の下から江ノ島や逗子、葉山エリアまで往復する。当初は稲村ケ崎を越えて七里ガ浜の海岸から江ノ島をぐるっと周回してもどる“西回りコース”が多かった。やがて由比ガ浜の沖合を直進し、葉山の海岸にある菜島という島まで往復する“東回りコース”が中心になった。菜島まで往復10数キロ、家からの移動含めて2時間半で帰宅できるため、普段漕ぐにはちょうどいい距離感である。

沖合を進むコースは風景的には単調だが、潮の流れはなかなか複雑で、とくに小坪港を越えて逗子の沖合に出ると風がつよまり、波やうねりが複雑になる。日帰りで荷物もなく船体が軽いので、風と潮がぶつかりあって細かな波がたつと舟は不安定になり翻弄される。

安定させるにはトルクが必要で、カヤックの場合、トルクを生み出すのはひとえにパドリングの技術である。コンディションが悪いほど転覆しないために集中力が高まり(もちろん白波がたつような状況では危険なので出艇しない)、その覚醒状態がじつは面白かったりする。岸沿いを忠実にたどったほうが海も平穏で安全ではあるが、それよりもちょっと悪い沖合コースのほうが訓練にもなるし、腕が磨かれる。いつかまた北極の海をカヤックで漕ぐのは私の夢のひとつである。

居住環境として恵まれた鎌倉

こじんまりとした自然ではあるが、周囲を山、森、海にかこまれた鎌倉は居住環境としては恵まれている。都心に住んでいたころは毎週山に通わなければ欲求不満がたまったが、ここでは日々の生活でかなり解消されるため、山に行く回数はめっきり減った。

一昨年生まれた二人目の子供が歩けるようになってからは、家から極楽寺駅までの短い距離がちょうどいい散歩コースになった。赤橋のたもとに導地蔵という雰囲気のいいお堂があり、夕方、上の娘と三人で軒下に腰かけてみかんを食べる。それが最近はちょっとした楽しみになっている。

角幡唯介(かくはた ゆうすけ)

1976年北海道生まれ。作家、探検家、極地旅行家。
最新刊『書くことの不純』中央公論新社 1760円(税込)。『そこにある山』中公文庫 902円(税込)他著書多数。

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