Web版 有鄰

591令和6年3月10日発行

107年振りの優勝と日本野球史 – 海辺の創造力

上田 誠

神奈川県代表として出場した、昨年の甲子園大会で、慶應義塾高校が深紅の大優勝旗を神奈川県に持ち帰る事ができました。皆様のご声援に心から感謝申し上げます。

メディアなどで「エンジョイ・ベースボール」という言葉が頻繁に紹介されていました。が、「楽して野球をやる」と誤解されているところがあるようですので、少しご説明させていただきます。

明治5年(1872)、アメリカ人英語教師ホーレス・ウイルソン氏が現在の東京大学(当時第一番中学)に持ち込んだ「ベースボール」は、東京近郊の大学に広がりました。師範学校の卒業生が地元にベースボールを持ち帰り、そののち中等学校で人気のスポーツとなります。

大正4年(1915)には第1回全国中等学校優勝野球大会(甲子園の前身)が始まり、野球はまさに国民的スポーツになったのです。大学野球も東京六大学を中心として盛隆を極めました。

やがて10を超える全国大会が行われるなど、中等学校の野球人気は過熱し、大学のスカウト競争を引き起こしました。

それとともに野球はなぜか「武士道」とリンクして修練・修行と位置付けられ、苦行の中に何かを見出すことが重要であると指導されるようになってきたのです。それでも戦前の野球には、まだ自由があったそうです。

しかし第二次世界大戦が終わり、戦地から復員してきた方々が高校・大学の職に就き、スポーツを教えるようになると、軍隊の理論が落とし込まれるようになり、ますます野球は、ベースボールと違うものになっていきました。上下関係・絶対服従・一糸乱れぬ行動・母校愛のことさらな強調など、パワハラ的な指導が当たり前の世界になっていきました。

昭和初期の慶應義塾大学監督だった腰本寿さんは、日系アメリカ人であったため「スポーツは本来「明るくて、楽しいもの」ではないかと疑問を持ち「エンジョイベースボール」という方向性を野球界に示しました。戦後は故前田祐吉さんという名将が慶應義塾大学で指揮を執り、この理念を大学野球界に広めたのです。

その教えが今も脈々と慶應の野球には流れています。令和5年(2023)は夏の慶應義塾高校に続き、慶應義塾大学も秋の明治神宮野球大会を制して日本一になりました。

大学も上下関係が厳しくなく、「野球界の常識を疑ってみよう」と新しいスタイルを今も模索しています。

こうした流れが、昨夏の慶應義塾高校の日本一に繋がっているのだと思われます。武士道のような修行としての野球は、転機にあるのかもしれません。

野球界は甲子園やプロ野球を含めて、素晴らしい歴史を持っています。しかし子供の野球人口が激減している中、大きな転換期を迎えているのではないかと思います。

「こんな野球があってもいいよね」という選択肢が増えて、子供たちが野球に戻ってきてくれることを願ってやみません。

(前慶應義塾高校野球部監督・香川オリーブガイナーズ球団代表)

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