Web版 有鄰

591令和6年3月10日発行

柚月裕子と『風に立つ』 – 人と作品

補導委託の引受を申し出た父と、戸惑う息子
盛岡市の南部鉄器工房を舞台にした家族小説

柚月裕子
柚月裕子
©中央公論新社

工房を営む家に、16歳の少年がやってくる

非行少年を預かることになった父と子。盛岡市を舞台にした長編小説である。

「手がけたことのないジャンルで身近な土地を描いてみませんか? と読売新聞から声をかけていただいて、家族小説に初めて挑戦することにしました。問題を起こした少年を預かる補導委託については前から関心があり、小さなお店に迎え入れたらどんな物語になるだろうと構想していました。南部鉄器は岩手の原風景の一つとして私の中にありましたから、お店は工房にしようと決めました」

南部鉄器工房『清嘉』で働く38歳の小原悟は、親方である父の孝雄と二人暮らしだ。孝雄が補導委託の引受を申し出たと知らされ、反対したが、1か月後に16歳の少年、春斗がやってくる。

「今回は家族小説で、家の茶の間と工房がメインですから、人の心の細やかな変化を丁寧に描いていこうと考えました。父と息子って一度ずれると修復が難しいけれど、同性だからこそ分かり合えたときの繋がりも強いと思うんです。かみ合わなかった父子が理解者になる方向に進むといいなと考えていました」

進学校から退学処分を受けた春斗は感情を表さず、小原家に来てからは謎めいた行動を見せる。盛岡市の風景や風物を交えながら、父と子、少年の暮らしが描かれる。

「盛岡は岩手山が美しく見える場所で、山裾を広げて立つ雄大な景色が印象に残っています。岩手の象徴といえば岩手山、北上川が浮かんだので盛岡を舞台にしました。チャグチャグ馬コを取材し、わずかな段差を怖がっていた馬がようやく乗り越えるのを見て、春斗に重ねられるとエピソードが生まれました。新聞連載で水口理恵子さんの挿画にも触発されて、今回は書きながら生まれた展開や場面が多い作品になりました」

寡黙で仕事一筋の孝雄に対し、悟はわだかまりを抱えていた。母の死後、ずっと硬直していた父子の関係が、春斗の訪れで変わり始める。

「家族小説を書くにあたって一つ浮かんだのは、みんな誰かのためを思っているということでした。よかれと思ってやっていることでずれが生じてしまうんです。生きていると、何かと闘わなければいけないときが必ずある。味方がいないと闘えないし、前に進んでいけない。愛されている、あの人は味方だと思える人が一人でもいれば人生は豊かなもので、そんな人と出会えるかどうかが大切だと思います。応援することと味方をすることは違う、どんな結果や立場でも変わらずにいてくれる存在がどれほど大切かを日頃から考えていましたので、物語に自然に入ってきました。続くはずの時間が急に断ち切られて、明日にしようと思っていてできなくなるんだと、私は東日本大震災を経験して知りました。今は本当に貴重で、近い人ほど気恥ずかしかったりするけれど、越えた先で繋がりが持てるのだから、何か迷っている方がいたら勇気を出して向き合っていただきたいなということもこの小説に込めました」

知りたい気持ちを大事にしながら一つ一つ書く

1968年、岩手県出身。2008年、『臨床真理』で第7回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞しデビュー。13年『検事の本懐』で第15回大藪春彦賞、16年『孤狼の血』で第69回日本推理作家協会賞を受賞。

「両親も本が好きで、家にあった童話や寓話を読んでいました。月に一冊だけ買っていいと言われて、長編だとお話を一つしか楽しめないから、落語の小話集や童話集を買ってもらったのを覚えています。学校図書館の郷土の作家コーナーにあった宮沢賢治が大好きで、シャーロック・ホームズにはまってミステリーを読み始めてからは濫読でした。子育てが一段落し、作家や編集者を見てみたくて山形市の小説家・ライター講座に通い始めました。そこで自分の思いを文章にする魅力を知り、書き始めました」

デビューして15年。『盤上の向日葵』は18年の「本屋大賞」で2位になった。

「自分が成熟していかなければ作家としても成熟できないと考えていて、自分がどう変わって、何を書きたくなるのか、わからないから、一生懸命に書いているんだと思うんです。この先に何があるのか知りたい気持ちを大事にしながら、20年を目指して書いていきたいですね。一つ一つ丁寧に作り上げていくのは、人間関係と似ていると思います。丁寧に接していくことで見えてくるものが必ずあると思っています」

(青木千恵)

『風に立つ』・表紙

風に立つ
柚月裕子/中央公論新社/1,980円(税込)

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