Web版 有鄰

510平成22年9月10日発行

「禅」 現代をシンプルに生きる – 1面

枡野俊明

現代生活のひずみ

セルリアンタワー東急ホテル ロビーラウンジ 筆者デザイン 竣工2001年 東京都渋谷区 田畑みなお氏撮影

セルリアンタワー東急ホテル
ロビーラウンジ
筆者デザイン 竣工2001年 東京都渋谷区
田畑みなお氏撮影

都会での通勤風景を見渡すと、誰しもがひたすら目的地へ向かうために、急ぎ足で歩いてゆきます。会社への到着が一分一秒と遅れぬようにと、周囲の人々にも全く気にもせず、足早に歩き去ってゆきます。一昔前までは全く考えられなかった光景ではありますが、現代では当たり前の姿となってしまいました。

都市の近代化は、そこに暮らす人々の生活習慣を変え、そこに欧米の価値観も加わり、現代の都市型生活が確立されてきました。都市に暮らす人々もライフスタイルを欧米化させることが、オシャレで最先端を行く暮らしぶりであるかのように思いこんできました。

しかし、このような現代社会を生きている多くの人々は、今、漠然とした不安や空虚感に心が支配され、混迷する社会が一層不安な気持ちを強くさせています。不況の中でいつまで今の会社に勤めていられるのか、明るい未来は来ないのか、などと悩む人が多いのも現実です。

これまで、「物の豊かさ」が自らの生活を豊かにすると確信し、大量生産、大量消費の社会を作り出し、また人に対する評価も成果主義がもてはやされてきました。二十世紀の世界はアメリカを中心とした「物の豊かさ」が幸せの物差しになっていました。しかし、経済至上主義がもたらした石油の利権や金融操作の失敗による世界不況などが、この幸せの価値観を根本から問いただす事になったのです。

その結果、現代社会に暮らす人々は、この大きなひずみに気がつき、「物の豊かさ」は、「生活の豊かさ」とイコールではないと思い始めたのです。何故なら、いくら物が手に入っても心が豊かにならないからです。そして、本当の豊かさは物の豊かさではなく、「心の豊かさ」であると思い始めています。現代社会は、ストレス社会といわれ、成果だけを求められ、その過程は評価されません。その要求にこたえられずに、悩み苦しみ自分自身を見失って、うつ病になってしまう人。更には自ら命を絶ってしまう人が年間三万人もいるという異常な世の中となってしまいました。これが日本の現状です。

例えば、今に生きている私たちと、百年前に生きた人々と、どちらが生活に実感として豊かさを感じていたでしょうか。「物の豊かさ」や「便利さ」が、イコール「生活の豊かさ」であれば、現代人は百倍以上豊かさを実感して生活が出来ている事になりますが、実際はそうではありません。百年前の人々は自然の移り変わりを肌で感じながら生きていました。秋が来れば、身体一杯に秋の景色や清々しい空気、或いは渡り鳥のさえずりから季節を感じ、身体全体で秋を感じ、自然の恵みに感謝し、そして冬支度を行ってきたのです。

しかし、現代ではどうでしょう。現代人の生活には季節との関わりが全くなくなってしまっています。いつどこでもスーパーに行けば季節に関係なくキュウリもトマトも手に入るのです。そこには収穫までつながるプロセスが全く存在していないのです。

私は昔の生活に戻りましょうと言っているのではありません。今の生活の中に少しでも自分が生きていることを実感が持てる生き方、これを取り戻すならば、生活に対する姿勢が大きく変わると言っているのです。

物事の本質を捉え、生活の一つ一つを大切にして生きる。今ここにしっかりと生きている事を実感できる生き方。これこそが禅の考え方であり、生き方です。今、この禅の考え方や、禅そのものが世界中から注目を集めています。それは「物の時代」から「心の時代」への大きな時代の流れの中で、禅の果たす役割が今まで以上に大きくなってきたことを意味しているのです。

心のメタボは執着心から生まれる

人間とは不思議な生き物で、何か一つの「もの」が欲しくなると、寝ても覚めても夢中で欲しい「もの」を手に入れようと努力をします。しかし、一度、手に入れてしまうと、すぐそれよりも更に上等な「もの」が欲しくなってしまう。このように次から次へと、その欲望は限りなく膨らんでゆき、尽きることがありません。そして、心から満足をするということもないのです。これを私は「執着心のスパイラル」と呼んでいます。正に満足することを知らない苦の世界です。一度この渦に巻き込まれてしまいますと、この世界から抜け出すのは大変なことです。覚悟をもって意識と生活を切り替えなければ、この世界から脱出することはできません。

今、ここでは「もの」を例に出しお話をしましたが、実は、私たちを縛っているものは、「もの」だけではありません。社会や組織、仕事や家庭、人との付き合い等々数えだせばきりがないほどの物事と関わって生活をしているのです。すると自分でも知らぬうちに、物欲、出世欲、お金などへの執着心に、自分自身がガンジガラメになってしまうのです。この誘惑の中にどっぷりと浸って生活する状態を私は、「心のメタボ」と呼んでいます。

肉体的なメタボには、誰しも異常なまでに気を遣い、食べ物や運動などに大変な時間とお金を掛け努力をしますが、心のメタボには、全く無頓着というか気が付いていないのかもしれません。これでは生活に本当の豊かさを実感できる訳がありません。このような生活も、「禅」を少し学び、生活に取り入れることで、豊かさを感じることが出来るようになります。それが「心の豊かさ」です。

「禅」の思想は「ものに執らわれない」という考えですが、これを現代社会で暮らす新しい物差しとして使うというのが、私の考えです。

「禅」は、もともと達磨大師が中国へ伝えた後、宋、元代に最も盛んになり、日本に伝えられてからは、鎌倉、室町時代に興隆し今日まで脈々と伝えられています。「禅」は「文字や言葉にとらわれることなく、今ここに生きる人間の心そのものを問題にする」のであり、「本来の自己と出会う」ことが禅の目指すところです。つまり、「禅」そのものは全く形を持たず、心の問題を扱う極めて精神的なものです。言葉を換えて言えば、「禅」は極めて精神的な自己を訓練する修行ということができます。

自分を徹底的に見つめ、他人の価値観に左右されず、余計な悩みを抱えないようにし、無駄な「もの」をそぎ落として行く。そして、限りなく「シンプルに生きる」これが「禅の生き方」です。仏様の眼からみれば「この世に存在する物はすべて仏性を持ち、真理そのもので仏様でないものはない」と映ります。この高く深い真理を体得すること、それが「禅」そのものであり、その心を日々の生活の中に生かすことが「禅」の教えです。

「禅の庭」を眺め、自己と出会う

セルリアンタワー東急ホテル 日本庭園「閑坐庭」筆者デザイン 竣工2001年 田畑みなお氏撮影

セルリアンタワー東急ホテル 日本庭園「閑坐庭」
筆者デザイン 竣工2001年 田畑みなお氏撮影

禅寺の住職を務めながら、私は日々、日本庭園を始めとする日本の美意識、価値観が息づいた空間デザインを行っております。日本庭園は「禅」とは切っても切れぬ深い関係にあります。と言いますのも、鎌倉・室町時代の禅僧達は自らが会得した境地を庭園という空間造形芸術として表現していました。

この悩める現代社会であるからこそ、私は、日本庭園が再びその役割を果たす時代が訪れたと考えています。日本庭園は、その美しさが眺める人の心を癒し、何よりも精神性と芸術性の高い空間がその特徴であります。疲れきった心身をゆっくりと休め、美しい庭園を眺め静かな時を過ごす。そして、ひと時であっても日々の煩わしさを忘れ、自分自身の生活や自分自身のあり方について、見つめ直してもらう。その場と時間を提供するのが現代の日本庭園なのです。実は、これが本来の意味での「禅の庭」です。

しっかりと庭を眺めながら自己と対峙する。日ごろ気付かなかった鳥のさえずりや風音、地面に落ちた陰などの美しさに気がつく。この世は自分一人で生きているのではない。多くのものや人々に支えられ生かされていることに気づくことになるでしょう。このような役割を果たす日本庭園こそ、現代に求められているあり方なのです。現代社会ほど「禅の庭」が求められている時代はありません。

私は二十世紀の後半に、都心のホテルの庭園とロビーラウンジをデザインする機会を二回ほど得ました。その頃は今のように荒んだ社会ではありませんでしたが、私はこれまで述べてきたような「心の豊かさ」の大事さに気づく役割を果たす庭園こそ、これからの社会に必要であると確信し、デザインと作庭に取り組んできました。有難いことに、今では両ホテルにとって庭という芸術空間が欠かすことの出来ない重要な役割を果たしているように思えます。合掌

枡野俊明氏
枡野俊明 (ますの しゅんみょう)

1953年横浜生まれ。徳雄山建功寺(横浜市鶴見区)住職・庭園デザイナー。
著書『禅、シンプル生活のすすめ』三笠書房 571円+税、『禅的シンプル仕事術』実業之日本社 1,200円+税、『「手放す」力』新講社 1,200円+税、ほか多数。

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