Web版 有鄰

486平成20年5月10日発行

海堂尊ワールドを読む – 2面

和田 努

『チーム・バチスタの栄光』で2006年にデビュー

『チーム・バチスタの栄光』・表紙

『チーム・バチスタの栄光』
宝島社

医療を守備範囲にしているジャーナリストとして、海堂尊[かいどうたける]という作家はとても気になる存在であった。2006年、『チーム・バチスタの栄光』でデビュー。以来、長編小説8作、専門書1作、計9作品を上梓している。わずか2年余りでこれだけ密度の高い作品を世に問う筆力は尋常ではない。しかも病理医として勤めながら、なのだから驚嘆である。

私はこれら海堂尊の全作品を、この稿を依頼されたのを機に短期間のうちに一気に読むことになったが、読みはじめたとたんに“海堂尊ワールド”の魅力にとりつかれてしまった。魔力というべきか。滅法面白い。あっという間に全作品を読破していた。

意識的に、発表順に読んだ。この読み方は正解だったと思う。書き手の息遣いと読み手の息遣いが、同期するような気がするからだ。読み進むにつれて、“時制”が重要な鍵になっているような気がする。発表順に読んだと言ったが、作品は時の流れに沿って書かれているわけでない。処女作『チーム・バチスタの栄光』が“現在”を書き、比較的新しい作品『ブラックペアン1988』はタイトルどおり1988年の出来事を描く。海堂作品ではいちばん古い時代を描いている。

『ブラックペアン1988』・表紙

『ブラックペアン1988』
講談社

この時期は、海堂が医師として歩み始めた年。〈そこには現在の医療問題の総[すべ]ての萌芽が見られる。……ある個体を構築するすべての細胞が、たった一組の遺伝子から生成されるように、20年前にばらまかれた医学の遺伝子が現在の医療を形成している〉と書く。

中心静脈栄養輸液(IVH)が臨床の場に登場する場面が描かれる。なるほどこの時代だったのか、と感慨を覚える。がんの告知をする場面も出る。今では殆どのがん患者が告知されるが、この時代は20%くらいしか告知されていなかった。

余談になるが、この作品には医学部の学生がチョイ役で出てくる。手術を見学して出血を見て、外科志望の速水は血しぶきを顔面で受け止め、ぺろりと舌なめずりをする。一方、田口は、出血の修羅場を見て蒼白になり卒倒する……。速水は『ジェネラル・ルージュの凱旋』の颯爽としたヒーロー、東城大学医学部付属病院救急救命センターの速水部長に違いない。田口は、神経内科の万年講師、“愚痴外来”の田口公平、であることはいうまでもない。高階講師は後の(書かれた時期は前だが)高階病院長だ。若き日の初々しい看護師たちも登場する。

生命倫理問題に取り組む最新刊『ジーン・ワルツ』

『ジーン・ワルツ』・表紙

『ジーン・ワルツ』
新潮社

『ジーン・ワルツ』は、現時点で最新刊。体外受精、代理母出産など、生殖補助医療という生命倫理的な問題に取り組む。ヒロインは、美貌の産婦人科医、人工授精のエキスパート。彼女は自分の母親を代理母として双子を産んでもらう。双子の一人を自分が引き取り、もう一人を離婚した夫、ゲーム理論の世界的学者、伸一郎に託す。その双子の片割れこそ、桜宮中学の一年生、曾根崎薫。『医学のたまご』の主人公だ。『医学のたまご』は、薫が中学生にして医学部に飛び級し、医学の研究をすることになるという前代未聞のフィクション。そういえば、この横組みのユニークな小説は、2020年の物語だ。

私は、“海堂尊ワールド”という言葉を使ったが、縦横に時空を超えて織りなすフィクションの世界が、じつに緻密に組み立てられていることに感心する。それはジグソーパズルの無数の断片が、最後にぴたりと符合して小宇宙を形成することにも似ている。

海堂作品を発表順に通読したのだが、短期間に多作しているのにもかかわらず、小説作法はますます洗練され、破綻がない。

天性のストーリーテラーというべきか、奇想天外なフィクションを編み出す想像力のすごさ。厚生労働省の窓際役人、白鳥圭輔。彼が通った後はペンペン草も生えないゆえに、“火喰い鳥”という異名をとる強烈なキャラクター。白鳥の唯一の部下、“氷姫”こと姫宮は、桃色眼鏡をかけ、大柄の体をもてあますように、とたとたと動き、へまばかりしでかすが、実はれっきとした医師免許を持つ医系技官。首席で厚生労働省に入省したという秀才。この厚労省コンビの一見どたばた劇に見えるが、推理と論理の切れ味は胸がすく。

海堂作品の面白さをすっかり堪能したが、この世界のすごさは、エンターテインメントだけではない。現職の医師、それも外科医を経て病理医であることの体験が書かせる圧倒的なリアリティである。病理医の冷徹なまなざしを、医療界の問題点、すなわち医療社会病理に向けて作品が書かれていることである。

想像力を駆使しても、どうしても認識できない世界がある。私自身、手術場に入れてもらって間近に手術を見学した経験は多く持っている。外科医が開腹する。腹壁を開けて臓器をまさぐり、臓器を手でふれ、メスの切っ先を患部に向けていく……。その感触はいくら想いをめぐらせても想像を絶する。もちろん、表層を文章で描くことは、医師でなくても可能であろう。しかし、想像上の認識に過ぎない。匂いたつような圧倒的なリアリティは生まれないだろう。

〈用手的に排除できる小腸と大腸が、癒着性の繊維組織でがっちり固定されている。分厚いマットの中に埋め込まれたような送電線のような、混迷した小世界……〉—手術場面を描いたほんの一節であるが、医学用語を含めて豊穣な語彙と描写力は凡庸ではない。

Aiが拓く新しい医療を主張する学術書『死因不明社会』

『死因不明社会』・表紙

『死因不明社会』
講談社

『死因不明社会−Aiが拓く新しい医療』は小説ではなく、学術書である。学術書といったが、さすがにエンターテインメントを書く作家だけに難しいこともやさしく書くことはお手のものだ。ロジカル・モンスター、白鳥圭輔に時風新報桜宮支社・別宮葉子記者が独占インタビューするという形をとり、フィクションを援用しながら、じつに分かりやすい本になっている。

これまでの医学は、人が死ぬと身体を解剖し、なぜその人が死に至ったかを調べ、そこから得た知見を臨床医学にフィードバックさせてきた。ところが、解剖は年々行われなくなっており、日本の解剖率は先進諸国中最低レベルの2%台で、98%の死者は、厳密な医学詮索を行われないまま死亡診断書が交付されているという。日本は毎年100万人以上の人が亡くなっている。そのほとんどは「死因不明」のまま。

このような無監査状態を放置すれば、医療は崩壊、治安は破壊され「犯罪天国」になると、警告する。解剖が衰退するのも理由はある。解剖は遺族に対して優しい検査ではないからだ。

そこで考えられたのが、死亡時画像病理診断「Ai(オートプシー・イメージングの略号で、エーアイと読む)」だ。Aiは死後、遺体をCTやMRIで画像診断をする。解剖が敬遠される今日、Aiを中核にして死因不明社会に立ち向かうべきであると、病理医・海堂尊は主張する。海堂にとって、Aiを社会制度に組み込むことが、ライフワークであるという。

「Aiで犯罪が解決されるトリックを思いつき、物語を書き上げたのが、『チーム・バチスタの栄光』です」と、海堂はインタビューで答えている。その後の作品にも、Aiは、通奏低音のごとく、さまざまに変奏しながら、フィクションの中に織り込まれている。

医療界の問題点に厳しいまなざしを向ける海堂作品

前述の通り、海堂作品のすごさは、医療界の問題点に厳しいまなざしを向けていることである。たとえばこんな一節。

〈平然と「患者様」と呼べる神経を持つ人たちが世の中の流れを作っているのだから。彼らは最上階に食堂を配置すれば患者に敬意を示したことになると考える。的外れなサービスは、なおざりで過剰さが目にあまる。マニュアル的な敬意の表し方の裏側には隠しきれない軽視が見え隠れする。こうしたからくりに、一般の人々も気づき始めている〉(『チーム・バチスタの栄光』から)

と、院長室より高い階に患者用の食堂をつくることが、患者サービスだと勘違いしている病院経営者を痛烈に皮肉る。

『ジェネラル・ルージュの凱旋』の速水部長の悲願はドクター・ヘリを導入することだ。しかし、医療を市場の原理と営利という観点でしか考えない、経営コンサルタント会社から派遣された事務局長は、速水の宿願をせせら笑うのだ。

『ナイチンゲールの沈黙』・表紙

『ナイチンゲールの沈黙』
宝島社

小児科病棟を舞台にした『ナイチンゲールの沈黙』は、〈小児科医が減少したのは、医療行政が小児科を冷遇し続けた結果だ。煎じ詰めれば「小児科はカネにならない」の一語に尽きる。ある病院が小児科を切り捨てると、残った病院に患者が集中する。そして、スタッフが疲弊していく〉。

現実に、いま小児科医療の危機は切実である。そして産科医療も危機に瀕し、“お産難民”で溢れている。地方だけの話ではない。東京など大都市も例外ではないのだ。

2004年、「福島・大野病院事件」が起きる。帝王切開で妊婦を死亡させたとして、医師法21条に基づく異状死の届出義務違反と業務上過失致死罪に問われた産婦人科医が逮捕・拘留された。福島県警は06年2月18日、逃亡も証拠隠滅の恐れもない産婦人科医を逮捕した。しかも手錠をかけて。この逮捕劇は、医療界に衝撃を与えた。海堂は「警察官僚による人災だ」と断じる。

事件を『ジーン・ワルツ』中に取り込み、産婦人科医のヒロイン、曾根崎理恵に語らせている。

〈あの逮捕劇は効果抜群でした。瀕死状態だった地域医療と産科医療はあの一撃で息の根を止められました。地域医療はたちまち萎縮し、各地で産科医療からの撤退表明が相次ぎました〉と。

エンターテインメントに込められた真摯なメッセージ

わくわくするようなエンターテインメントに込められた真摯なメッセージにも耳を傾けて欲しいと思う。医療の崩壊現象を、医師の側から告発する本がいくつか出版されている。しかしその殆どが、医師を弁護することに終始している。これらと一味違って、今医療で危機に瀕している問題群を前に、もっとも果敢に医療界に、官僚に、海堂作品はメスの切っ先を向けている。

和田 努氏
和田 努 (わだ つとむ)

1936年広島市生れ。医療ジャーナリスト。
著書『医療事故自衛BOOK』 小学館 476円+税、『在宅ケアをしてくれるお医者さんがわかる本 2006年版』 同友館 2,800円+税、『これからの高齢者医療』 同友館 2,000円+税、ほか。

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