Web版 有鄰

485平成20年4月10日発行

江上 剛 と『我、弁明せず。』 – 人と作品

“三井の大番頭”と呼ばれた池田成彬の生涯を描く

江上 剛氏
江上 剛

サムライ経営者の姿を甦らせる

明治から大正にかけて“三井の大番頭”と呼ばれ、昭和期に三井財閥トップ、日銀総裁、大蔵兼商工大臣を務めた池田成彬。戦前の政財界をリードした人物だが、現在、その名は殆ど知られていない。

「僕は、毎日新聞03年6月4日付のコラムで彼のことを知りました。企業の経営者から30分ほど話を聞いただけで融資額などを即断、その判断基準は担保ではなく、経営者の人物に対してだった池田を、中山素平・元日本興業銀行会長が『ものすごい人』と言ったという。以来、池田のことが頭から離れず、調べるほど『すごい人』だと分かり、サムライ経営者の姿を蘇らせようと考えました」

物語は昭和初年、三井銀行筆頭常務の池田が、鈴木商店の金子直吉と対峙する場面で“三井の大番頭”と呼ばれた池田成彬の生涯を描いた始まる。池田は融資引き上げを決め、台湾銀行からのコール引き上げも行う。昭和2年の昭和金融恐慌で37行が休業する中、業容を拡げた三井銀行と池田は批判されたが〈自分がぐらつくようなことがあれば、この激動の時代に銀行ごと呑み込まれてしまうに違いない。弁明せず〉と、池田は静かに思う。

「僕も銀行員でしたから、流行や情に引きずられずに判断する難しさを知っています。融資を断る際の苦渋、精神力、筋の通し方など共感しながら書きました。融資先の企業で経営破綻した例が殆どないことは、池田の先見性、合理性が優れていたことを示します。昭和初年の決断場面から物語を始め、彼の生涯を追う形で書いていきました」

慶応3年(1867年)、米沢藩士の長男として生まれた池田成彬は、明治21年に慶応義塾を、28年にハーバード大学を卒業、福沢諭吉が経営する時事新報の記者になる。3週間で退社、三井銀行に入行して頭角を現し、明治から昭和にかけて三井銀行を実質的に主宰する。昭和12年、日銀総裁、13年、第一次近衛内閣の大蔵兼商工大臣に就任。“親英米”として東条英機と対立。第二次大戦後、A級戦犯容疑者に指定、翌年指定解除となるが大磯に隠棲し吉田茂の相談相手になりながら、25年、83歳で死去した。

「米沢の風土と父の教育の影響で、剛毅木訥を旨とする池田は、塾生時代に数百人中一人だけストライキに加わらなかったり、福沢諭吉と対立したり、媚びない一徹者のエピソードに事欠きませんでした。ただ、大勢が亡くなった第二次大戦という事実があり、戦前の人物を書くのは難しい。池田本人も戦後は隠棲して語らず、戦前の人々は忘却の彼方に押しやられるばかりです。城山三郎さんが広田弘毅や浜口雄幸を書き、命懸けで生きた人間像に光を当てましたが、現代にこそ蘇らせたい戦前の人物は少なくないと思います。何しろ現在は、功利で動く人ばかり、不祥事続きの世の中ですから」

池田の三男・豊は、35歳で出征、生きて帰らなかった。池田は3人の息子を欧米に留学させ、豊はケンブリッジ大学を卒業していた。〈伍長でも上等兵でも私は少しの不満はない。立派に働いたというただそのことだけで、はるばるイギリスまで修業に出した、それだけの甲斐は十分あった〉と、池田は言う。

「誰もが辛かった時代を、我慢して生きた人だと思いました。戦後の日本がどうなるか、独特の慧眼で見据えていたのではないでしょうか」

銀行勤務を経て、小説家デビュー

1954年、兵庫県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。97年に第一勧銀総会屋事件に遭遇、広報部次長として混乱収集に尽力した。築地支店長時代の2002年に『非情銀行』で小説家デビュー。翌年退職し、執筆生活に入る。主な著書に『起死回生』『狂宴の果て』『腐蝕の王国』『統治崩壊』『座礁』などがある。

「学生時代に井伏鱒二先生宅に師事し、銀行で人間のいろいろな面を見て、結果的に小説を書いていました。井伏先生は『小説は方三寸に届かないと駄目だ』と、ハートを指して言われました。映画でも歌でも、感動が人の生き方を変え、自信を持って生きる勇気を与えます。どこか時代に裏切られたり、世間から理解されない人がいて、その人が勇気がある人だったら、書いてみたい。ただ事実を列記するだけでは人間が浮き彫りにならない。今回、小説として膨らませながら池田と周りの人々を書くのは正直、しんどかったですが、書きがいがありました。そしてとにかく方三寸にずっしりくるものを書こうと思っています」

(青木千恵)

『我、弁明せず。』・表紙

我、弁明せず。
江上 剛/PHP研究所/1,600円+税

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