Web版 有鄰

485平成20年4月10日発行

[座談会]

仏像の顔と眼差し
―『週刊日本の仏像』刊行にちなんで― – 1面

浄土宗大本山光明寺法主・宮林昭彦
成城大学学長 三井記念美術館館長・清水眞澄
写真家・金井杜道

左から、清水眞澄氏・宮林昭彦氏・金井杜道氏

左から、清水眞澄氏・宮林昭彦氏・金井杜道氏

はじめに

編集部昨年の5月から『週刊日本の仏像』全50冊(講談社)と、『週刊仏教新発見』全30冊(朝日新聞社)の二つのシリーズの刊行が相次いで始まりました。また、今年1月には『週刊古寺を巡る』全50冊(小学館)が完結するなど、仏教文化や仏教美術への関心の高いことがうかがわれます。

近年、古寺を巡り、仏像に親しみ、その美しさに惹かれる人が増えておりますが、本来、仏像は仏教の教えを具体的に示すもので、どのような意味を込めるかによってさまざまな姿、形で表現されてきました。

本日は、『週刊日本の仏像』の総監修をお務めの清水眞澄先生にご出席いただきました。仏像に接するとき、まず我々の目に入ってくる「顔」をテーマに、仏教学のお立場、仏像を撮影する写真家のお立場のお二方にもさまざまな角度からお話をお願いしたいと思っております。

ご出席いただきました宮林昭彦様は、鎌倉にございます浄土宗大本山光明寺の第112世法主でいらっしゃいます。大正大学教授などを務められた仏教学の大家で、日韓仏教交流協議会会長としてもご活躍です。

金井杜道様は、日本を代表する仏像写真家でいらっしゃいます。京都国立博物館の文化財写真技師として長く活躍され、退官後も、さまざまな種類の資料写真の撮影を手がけておられます。

清水眞澄先生は美術史家で、なかでも中世彫刻史がご専門です。多数のご著書、論文を執筆しておられます。

仏さまの顔は時代や風土を反映

清水今、仏像や仏教に関するシリーズが同時に刊行されておりまして、仏像のわかりやすい見方であるとか、仏教入門などが話題になっています。

『週刊日本の仏像』は、全50冊のうちすでに8割ほど刊行が終わっています。このシリーズは、写真を実物と同じ大きさに延ばしたらどうなるかという原寸大ギャラリーが特色の一つです。

東大寺の大仏さまは目だけで見開き2ページの大きさになってしまいますが、見えにくい部分や表情の細部まで、目の前に仏さまがあるように見ていただけるよう、工夫しました。

私は何10年か仏像の勉強をしておりますが、このシリーズを進めながら、実際に仏像のお顔にどのような意味があるのか、どうやって見たらいいのかという一番初歩のころを思い出しまして、この座談会のお話があったときに、顔を取り上げたら面白いのではないかなと思った次第です。

ペシャワールで見た仏像は西洋的な顔

宮林私の師匠は鎌倉大仏(高徳院)の先々代のご住職の佐藤密雄[みつゆう]さんですが、30年ほど前に、一緒にシルクロードに行ったんです。最初にパキスタン南部のモヘンジョ・ダロへ行きました。インダス文明の源流みたいなところです。そこから、ペシャワール、アフガニスタンのバーミヤンに行ったんです。

そのときに一番印象的だった仏像は、ペシャワールで見た、いわゆるアポロン仏というか、ギリシャ的な仏さまでした。髪はフサフサとして髭をはやしている、非常に西洋的な仏さまで、「ああ、これも仏像なのか」と思いましたね。アレクサンダー大王がアフガンのカイバル峠を越えて来る。その影響ですが、日本で我々が見ている仏さまとはまるで違いまして、仏さまの相は時代というか風土というか、当時の文化が影響してできるんだなという思いがしましたね。

バーミヤンでは、顔がそがれた50数メートルもある石仏が2体ありました。一体あれは何だろうと思いました。『大唐西域記』には、玄奘三蔵があそこを通って、僧院などもあってお坊さんが修行をしていたということも書かれている。

その前にインドにも行きまして、ご存じのとおり、お釈迦様の育ったところはインドのブツダガヤで、そこにあるお釈迦様は仏足跡[ぶっそくせき]なんです。お釈迦様が仏像の形に現わされる前ですから、仏足か、菩提樹かで表現されている。お釈迦様の像が初めて造られたのはガンダーラで、1世紀か2世紀ころだそうですね。それから、サーンチーの大仏塔なども見てまいりました。

編集部お釈迦様を人間的な姿で表現しないという、それまでの伝統を破って、初めて仏像が造られたのがガンダーラですね。

宮林その後、中国の雲崗へも、朝鮮半島にも行きました。韓国の弥勒菩薩はふっくらしていなくて、細いんですよ。日本の弥勒は韓国から伝承されたのだと思いますけれど、同じ弥勒でも、風土というか、民族の顔というか、そういうものがイメージになって出てくるのかなという感じを持ちました。

如来と菩薩の「慈悲」の相、明王と天部の「忿怒」の相

編集部日本に仏教が入ってくるのが西暦538年で、以後さまざまな顔をした仏像が造られます。どのように考えたらよいですか。

清水仏像の顔には、大きく分けて、慈悲の相と、忿怒[ふんぬ](怒り)の相があります。

ところで、仏像の種類には、ごく一般的に言えば、悟りを開いた如来と、悟りを開くために修行をしている菩薩とがあります。それから、如来と同じ尊格で、慈悲では救えないものを、怒りを持って救うという明王があります。密教的な像ですね。それから、それらをお守りする天部があり、四つに分けられます。

如来とか菩薩は、釈迦如来や阿弥陀如来、あるいは観音菩薩に代表されますが、一般的に言えば、慈悲の優しさを持って救うということなんです。この如来と菩薩のもう一つの面として、威厳を持つということがあります。

仏像は、もともとインドで王侯貴族、王様をモデルにして生まれたものですから、優しさとともに厳しさを持っています。中国では、とくに4世紀の北魏ぐらいになって、王と仏さまを重ねて考えるようになり、威厳がいっそう強調されるようになります。ですから、ただ優しさだけではなく威厳があるというこの両面が如来・菩薩にはあると思います。

怒りのほうの仏さまの場合は、不動明王とか愛染明王が慈悲では救えない者を怒りの表現で救い導く。

もう一つ、天部の中の四天王や十二神将、あるいは門のところにいる仁王像のように怒った顔をしているのは仏法を護るためで、明王の怒りの表現とは意味がちょっと違います。それは仏教的にはどのように考えたらいいのか。あるいは造形の面でどう表現されているのかという話も、お二人の方にうかがえればと思っております。

悟りの立場のお釈迦様は凛とした表情

清水仏像を拝む立場からすると、怒っている表情と、慈悲の表情はどう考えたらよいのでしょうね。

宮林教義的には悟りの宗教と、救いの宗教があるんです。宗派にもその違いがあって、禅は悟りの宗教です。自分自身が修行をして悟りを開く。基本的にはお釈迦様は悟りのお立場ですから、像も非常に凜としている。

ところが、浄土教などは救いの宗教で、阿弥陀様とかお薬師様もそうですけれども、相好[そうごう]を見ていましても、どちらかというと慈悲のお顔ですね。

鎌倉時代になると、仏像の姿はだんだん人間的になって身近に感ずるようになりますが、お釈迦様の像はやはり毅然としていて近づきにくいというところが教えから言ってもあるんです。

私たちは、多少そういう知識を持っているものだから、仏像を拝むとき、理屈を抜きにして、素朴に手を合わせてありがたいという心境になるというより、知識が邪魔になることもあるかもしれない。最初はそういう感じがしましたね。

釈迦の滅後、仏身を法身仏、報身仏、応身仏の三種に分類

宮林教義的には、お釈迦様の滅後において仏身が三種に分類されます。法身[ほっしん]仏、報身[ほうじん]仏、応身[おうじん]仏です。

一は法身仏で、宇宙そのものの根本の法性の仏身で毘盧遮那[びるしゃな]仏といい、密教の大日如来です。東大寺の大仏さまがそうです。

二は報身仏で、誓願を立てて修行の結果の仏身で、阿弥陀如来に代表されます。そもそも仏さまは三世にわたって存在するのですが、すでに前生の菩薩のときに願[がん]を起して修行するのです。阿弥陀如来は、むかし法蔵菩薩のとき四十八の願を立てて修行し、その願を成就して如来となり、衆生済度する仏さまです。

三は応身仏で、歴史上この世に出現され、現世を救うお釈迦様で、釈迦牟尼如来の仏身をさします。

このように、とくに大乗仏教では仏さまを観察する変遷がございますね。

本来、仏や如来は、知恵と慈悲を完全にそなえているお方ですので、慈愛に満ち満ちた相好、お顔立ちをしておられますね。

忿怒の相は煩悩を断ち切るための怒り

宮林六凡四聖[ししょう]という言葉があります。六道輪廻[りくどうりんね]といって、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天までの六つはまだ迷いが残っている。天を過ぎて声聞[しょうもん]・縁覚[えんがく]・菩薩・仏の四つが聖なんです。

菩薩はまだ天にいて、愛染明王は、愛欲に迷っている衆生を救うわけですから、忿怒といってもただ怒り狂っているんじゃなくて、人間の心にある煩悩を断ち切る。

お不動さんが、綱を持ったり、剣を持ったりしているのも、煩悩を断ち切るためなんです。断ち切って、救う。お地蔵さんもそうで、菩薩ですから、仏の世界に導く役目なんです。お不動さんは、とくに真言系統は多い。お不動さんを御本尊様にする。

それから仁王さんは、これは逆に、仏さまを守るほうです。しかし、仁王さんでも、閻魔さんでも怖いというよりは非常に親しみのある方であられる。

弥勒は修行して菩薩から如来になる

編集部如来には阿弥陀、薬師、釈迦などが一般的ですけれども、浄土宗の光明寺では、どの仏さまが一番大切なんですか。

宮林阿弥陀如来です。お釈迦様が亡くなってからのお釈迦様を讃える尊称が、「如来」「世尊」「仏」、それから、供養に応じる資格がある「応供[おうぐ]」など、十あるんですが、その一つが「如来」なんです。お釈迦様は真実を説いた。それをダルマと言うんですが、それを「如」という言葉であらわすんです。釈迦牟尼仏、釈迦如来、同義なんですね。

でも、如来は、阿弥陀如来も薬師如来も、その前は菩薩でした。その端的なのは弥勒です。弥勒もまだ下生[げしょう]をする前、衆生を救済するために修行をしているときは菩薩なんです。弥勒仏という言葉で、すでに未来仏としてとらえることがありますね。

編集部弥勒は、菩薩から如来の位になるということですね。

清水非常に長いこと、56億7千万年たつと如来になる。では、仏像をつくるとき、如来と菩薩では表情を変えるのかという問題があるんです。

例えば奈良県の当麻寺[たいまでら]にある白鳳時代の弥勒は弥勒如来なんです。中宮寺に祀られている弥勒は菩薩で、菩薩のときの姿と、如来になってからの姿を、仏像につくるときに意識していたかどうか、興味深いことだなと思うんです。

ご本体のお姿を全部見せていただく

編集部金井先生は、仏像の相の慈悲とか忿怒を意識しながら撮っていらっしゃるんですか。

金井意識せざるを得ないですね。これは怒っているぞとか、非常に優しい顔だなとか、最初にお会いしたときに感じますね。

清水私はお撮りになっている現場にたびたびご一緒していますが、光のちょっとした角度とか強さで表情が違う。ものすごく微妙なんですね。

それをどう判断してシャッターを切るかということだと思うんですが、慈悲のお顔の如来と、怒っている明王などを撮るとき、表情を強調することもあるんですか。

金井それは余りやらないようにしているんです。そうしたくなる気持ちはもともとあるので、カメラマンの皆さんもみんなそれをやる。けれども、このごろはあえてそれをできるだけ抑えて、むしろご本体のお姿を全部見せていただくというような気持ちでいると、逆に自ずから表情をちゃんと見せてくれるようなところがあるような気がしているんです。

清水強調しない写真をお撮りになるわけですか。

金井なるべく強調せずに、むしろ彫刻自身の持っているものを。だから、写真はあくまでも間にあるというつもりでやろうという傾向ですね。1枚の写真で見ようとすると、とてもチャーミングに見えたりするんですけど、その仏像すべてをあらわしているわけではないですからね。

清水奈良の新薬師寺の十二神将は天平時代につくられたもので、本尊の薬師如来を円形に取り囲む形で十二体が配置されています。粘土でつくられた塑像ですが、この十二神将の場合、ハイライトを強くしてというのは昔からよくありますね。

金井それは面白いことがあって、おととしの暮れに写真を撮る話があり、お寺からは、2時間ほど自由に撮ってください。ただし、照明光は使わないでくださいということだったんです。それで見ていましたら、昔からある写真と同じような角度に必ず行ってしまう。見る人がその角度を見つけて、「ああ、いいな」という感じで眺めていることが多いんですよ。

ステレオタイプと言ってはおかしいんでしょうけれど、典型というものが、我々鑑賞する側にすごく影響を及ぼしていた。ですから、光の当て方でわざわざ忿怒に近いような様子に撮っているけれど、違う光を当ててみたらもう少し優しいお顔をしていることもあるわけです。十二神将ぐらいになりますと、大体忿怒の形相ですけどね。

清水普通の如来や菩薩さんを撮るときに、お像の魅力を引き出すというか、どういうような意識でお撮りになっているんですか。

金井割と平静に淡々と。昔、美術院の所長をされていた西村公朝先生は、拝む位置からお顔を見るということをよくおっしゃっていた。でも随分後になってからは、そうでもないようなこともおっしゃっていて、さあ、どっちだろうと、どこから拝むのが一番仏さまらしいお顔なのかしらということは、いつも考えるわけです。

礼拝者が床に座って見る角度が正しいのではないかとも言われますが、私は必ずしもそうではなくて、作家である仏師は同じ高さの視線で、仏像を造ったと考えています。お顔を一生懸命見ながら、それをいつも探しているような気がします。

仏の三十二相――超能力を現わす肉髻や百毫など

肉髻・白毫・螺髪・耳璫

肉髻・白毫・螺髪・耳璫

清水仏さまには、人間と違う超能力として三十二の相があるとお経に書かれていて、如来は三十二相を基本にしてつくられているとよく言われます。その中で、仏像のように形になって現わされるものはすごく少なく、頭の上の肉髻[にっけい]相や白毫[びゃくごう]相、指の水掻きのような縵網[まんもう]相などです。そのほかの相は、肩が丸い(肩円好[けんえんこう]相)、舌が大きい(大舌相)、大きな声で話す(梵声[ぼんじょう]相)、食べる物は何でもおいしい(味中得上味[みちゅうとくじょうみ]相)とかで、ほとんどは仏像の形にはなっていない。

ですから、経典に言う三十二相が果してどれだけ仏像に形として反映されているのかというと、意外とそうでもないんじゃないか。

宮林そうでしょうね。その三十二相をさらに細かくして八十種好。三十二相の相と八十種好の好で「相好」と言うんですね。

お釈迦様の仏足跡は足の裏に法輪(千輻輪)があるんです。最初に足の裏が平らである(足下安平立[そくかあんぺいりつ]相)とか、法輪がある(足下二輪[にりん]相)ということが出てくるから、それは残っている。

三十二相のうちお顔に関するものでは、歯は鮮白で40本(四十歯[しじゅうし]相)。人間は32本ですね。歯が隙間なくそろっている(歯斉[しせい]相)。両頬が膨らんでいる師子頬[ししきょう]相は、お釈迦様を象徴するのが獅子、ライオンで、獅子吼[ししく]はお説法する。大舌相は舌が顔を全部覆うと言うけれど、それは舌が大きいというより、長くしゃべる長広舌と言うことでしょう。それから、瞳が紺青色(真青眼相)、睫毛が牛王のようにある(牛眼睫[ぎゅうがんしょう]相)。しかし、これらは仏像でははっきりしない。肉髻相、白毫相が中心ですね。

白毫は眉間に水晶などで白い毛を表現

宮林肉髻相というのは、頭の頂の肉が盛り上がっているところです。それから、白毫相は眉間に石や水晶を入れて象徴しますけれども、大乗仏教の空の哲学をした竜樹が書いたという『大智度論[だいちどろん]』では本当は眉間に一丈五尺(4.5メートル)の白い毛が右に回っていると言う。お化けみたいな話ですね。

そうかと思えば、手が非常に長い(正立手摩膝[しょうりつしゅましつ]相)。これも化け物みたいで、バランスが悪いんです。だから、おっしゃるとおり、三十二相が全部仏像をつくる基本にはなっていないですね。

清水白毫は一丈五尺の長い毛で、雪のように白いと表現されています。実際の仏像では、白い塗料を塗った上に水晶をはめるから白く見えるというのが多い。浄土教では特に白毫を大事にするといいますね。

宮林それは光明を放つ場合ですね。大体仏さまは金色ということで、浄土教関係のお経は光明主義なんです。特に阿弥陀様は、三千世界を光明で照らして摂化するというか、救うということをおっしゃっていて、その光明を放つのが白毫なんですね。単なる毛ではないんです。

清水インドで、神々の額に赤い顔料を点じるのは、額が人間の中枢であるという考え方からきていて、白毫と関係があるようですね。

顔の輪郭が満月のように丸いのは日本的な表現

清水顔の輪郭は、お月様のようとよく言いますが、三十二相の中には顔というのは出てこないんです。日本で経典以外で三十二相に触れるのは、900年代の終わりの、源為憲の『三宝絵』と、源信によって著された『往生要集』が初めてで、この二つが1年違いで著わされます。『三宝絵』には、「面[おもて]ハ円[まど]カナルコト満月ニ同ジ」 「毫[ごう]ハ白キ玉ヲ瑩[みが]ケルニ似タリ」 「眉ハ細キ月ヲ並ベ、歯ハ白キ雪ヲ含ミ、眼ハ青キ蓮[はちす]ニ喩[たと]ヘ」と書かれています。そして『往生要集』は、通常より十相多い四十二相を挙げて、「面輪円満」と表現しています。

顔が丸いというのは、唯一『大般若経』、それから『大智度論』の八十種好に似たようなものがあるんですけれども、余り基本的なところには出てこないんです。

奈良時代以前は白毫が仏さま全体を現わしていて、顔に対する意識は余りなかったんじゃないかと思うんです。それが平安中期、10世紀後半ぐらいになって、仏をイメージするものとして、顔がクローズアップされるようになってくる。

そして、平等院鳳凰堂の阿弥陀如来が「仏の本様[ほんよう]」、つまりお手本になるような形だと言われ、また同じ定朝作の阿弥陀像の顔が「尊容満月の如し」と表現されているんですけれども、それは極めて日本的なものなんですね。

宮林そういえば、丸い顔の仏さまはタイにはあまりないですね。韓国は石仏が多くて、何となくかたい感じがするんですけど、それは非常にいい相好なんです。韓国の仏さまは、女性もそうですけれど、みんなスマートで、丸いお顔の人は余りいないんじゃないか。スタイルのいい人が多い。

清水白毫が、仏さまを見る焦点になっていたものが、平安中期から、浄土教が普及するとともに、顔の輪郭に対する意識が変わってくる。

唐との交易をやめて、国風の文化が育ってきたこともあると思いますが、9世紀の神護寺の薬師如来に見られるような密教的な表現は、平等院の阿弥陀様に象徴されるような、お月様のような円い顔へと、明らかに変化してくるわけです。

阿弥陀の印相は上品上生など九段階に分かれる

鎌倉・光明寺阿弥陀如来像

鎌倉・光明寺阿弥陀如来像

宮林お顔ではありませんが、阿弥陀様の手には印相[いんそう]がありまして、下品下生[げぼんげしょう]から上品上生[じょうぼんじょうしょう]まで九品に分かれています。鎌倉の大仏は上品上生と言って、印相は弥陀定印[じょういん]なんです。それから救いを求める来迎印があります。私がお仕えをしている光明寺の本尊の阿弥陀様は上品中生なんです。

清水仏像の手の形や組み方によって、いろいろな意味が表現されるんですね。

宮林はい。それから仏さまには、立像と坐像がありますが、浄土教では、どっちが本当なんだろうという議論が昔ありまして、信仰的には立像ではないかという説があります。それは根拠がありまして、来迎と言って、仏さまが救うために来迎の印相をして迎えに来ます。上品下生というのは来迎の印相なんです。それから極楽でデンと待っている大仏さまなんかは、そういう形の印相でいろいろあるんです。

信仰的に言えば、仏さまはお立ちになって、足が必ず一歩踏み出しているお姿ですから、浄土教は、来迎じゃないかという説もあるんですけれども、しかしお経の中には、もう一つ現に極楽にあってお説法している姿、ですから、坐像でも立像でも、どちらもありがたい仏さまですけれども、理屈ではそんなようなことが言われるんです。

清水大仏のお話が出たのでちょっと申し上げますと、大仏さまの耳たぶは大きく垂れ下がった環状に表わされていますが、これは古代インドで耳璫[じとう]という豪華なピアスを付けていた風習に由来しているんです。

仏像の眼差し――視力を失った鑑真像からも感じられる

鎌倉・円応寺初江王像

鎌倉・円応寺初江王像
鎌倉国宝館提供

清水仏像の眼についていかがでしょうか。

宮林私たちはものを肉眼で見ますが、仏さまは法眼という仏の眼で見る。神通力があって世間を越えて見る。それから世の中の現象は空である。そういう法眼で見る。それが菩薩への境地ということです。

ビルマで見た涅槃像は目がぱっちりあいているんです。我々は寝ていれば涅槃像と思うけれど、これは寝ながら説法をしているんですね。

日本の仏像はほとんど目をつむっているように見える。横から見ると居眠りをしているのではないかと思うぐらいですが、半眼に開いて1メートルぐらい先を見ているんです。

清水目というのは、仏さまにとってすごく大事だと思うんです。開眼供養と言いますが、この儀式は中国では出てこない。7世紀の600年代の終わりに『日本書記』に出てくるのが最初なんです。

つまり、日本で儀式化するわけです。仏像の目に清らかな水をつける開眼の儀式によって、彫刻としての仏像に魂が入って、初めて仏になると言われます。

東大寺大仏の場合は菩提僊那[ぼだいせんな]というインドのお坊さんが開眼供養の導師となり、彼が持つ筆にひもをつけて聖武天皇をはじめ参列者が持ち、結縁をしたということです。

写真の場合にも、目は非常に重要なポイントだと思いますけれども、その点はいかがですか。

金井眼差しの方向というのがあるんじゃないでしょうか。どこを見ていらっしゃるのか。必ずしも拝む人を見ているわけでもないですね。彼方を見ている場合もある。

中宮寺の弥勒は目玉自体がはっきりわかりませんし、そういう仏さまは幾つかありますね。唐招提寺の鑑真さんは視力を失ったお顔ですが、それでも眼差しを感じることができる。とても不思議だなと思いながら、それを意識することはよくありますね。

仏像に表情が出るのはまぶたと口元

清水結局、仏像に表情が出るのは、まぶたと口元ぐらいしかないんです。インドの仏さまは、ぱっちり目が開いているのは王侯貴族の表現だとされますが、瞑想の表現として、まぶたが下がってきます。

日本では、法隆寺の釈迦三尊の目は杏仁形[きょうにんがた]と言われて、ぱっちり開いている。それは王様の表現と考えられます。それで時代が下がると、仏さまの慈悲をあらわす意味で瞑想が出てくるのかなと思うんです。まぶた一つの表現で仏さまの表情や意味が随分変わってくるなと思います。

編集部釈迦如来像は王様の眼ということですね。

清水宇治平等院の阿弥陀さんはいかがですか。

金井まぶたが少しかぶさるような感じで、ぱっちりしていませんね。でも、眼差しはぴりっとしているんです。インドの彫刻は技法が違いますし、民族的な反映かもしれませんが、目玉がまっすぐ向いているという雰囲気はあまりないですね。日本の彫刻は目玉は、前から見て割とまっすぐに向いて見える状態が多い。目玉で表現するよりも、まぶたで表現しているケースが多いのかと思っているんです。

頭の内側からはめ込む玉眼は日本の仏像だけ

清水鎌倉時代になると、目に水晶を入れる玉眼が使われるようになります。中国もインドもエジプトも石ははめるんですが、外側からはめているところが違います。頭の中側からはめ込んでいるのは、日本だけなんです。水晶に裏から瞳をかいて、外から見ると本当の目のように見える。これは仏さまが人に近くなってくる表現だと思うんです。玉眼の入った仏像を撮るときは意識されますか。

金井意識しますね。すぐ光を拾っちゃうんですよ。唯一リアルに表現しているのは玉眼ですから。

清水そうですね。

金井つくりによってはピカッと光が入りますね。これが自然にそろっていれば違和感はないんです。ところが構造的にちょっと壊れていたりすると、片一方がちょっと変な反射をしたりする。こういうときは困りますね。ですから、できるだけそこは強調しないようにしようと、ものすごく意識しますね。

それと、玉眼の取れてしまった像は、しゃれこうべのようで、不気味な感じがしますね。画竜点晴という言葉もあるように、やっぱり、眼によって生命がさずけられるんでしょうね。

清水彫眼という、普通の玉眼でない場合は。

金井そうですね。そういう場合は、適度な陰影をどういうふうにするかということしか考えません。ただ、日本の仏像の場合、時代や作者によると思いますけど、下まぶたが深い場合があります。下まぶたの影が強くなってくるのは困りますね。高野山の来迎図は絵ですけれども、目の下にクマを入れるような、ああいう雰囲気があるものが多いですね。

清水普通お撮りになるのは、上からの光でしょうけれども、寺の明かりは、ふつうはローソクの光を下から灯して拝んでいたわけで、下からの光で、写真も撮ったことはありますか。

金井西村公朝先生があえてそれを撮れということで、撮ったことがありますが、やっぱりちょっと違います。仏像を制作する仏師は明るい光の中で造っていたということもありますから。

平等院阿弥陀如来像――場所で異なる表情

清水拝むような位置から撮るのとそうでないのとでも違うのですか。

金井まったく違いますね。例えば、去年、平等院の定朝作の阿弥陀様の修理が終わって、鳳凰堂に戻られましたけれども、修理施設の中で修理を終えた阿弥陀様本体だけを、グレーのバックペーパーの上にいらっしゃる状態で撮ることができる、千載一遇のチャンスがありました。

すると、私の目の位置は非常に高いところにある。要するにお坐りになっている高さに私がいるわけです。お堂の中だと床から4メートル高いんですね。皆さんはものすごく上を見上げながら拝んでいらっしゃるんですが、同じ位置から撮ると、とんでもなく歪んだ写真になるんです。何だかちょっと違う感じになってくる。

だから、堂内で撮られる写真家の人たちは、脚立の上に乗るような形で、できるだけ高いところから撮ろうとしますね。鳳凰堂の前の池の向かいから眺める角度はかなり高くて、扇型の間からちょうどお顔が見える。

私たち人間の目は非常に性能がいいですから、以前に持っている記憶のイメージを見ている最中に再現しながら補整していくわけです。カメラはそんなに器用じゃないですから、それはできません。ですからバックペーパーの上で撮った阿弥陀様と、堂内で撮った阿弥陀様とでは全然違う表情になってしまう。

ただ、違うもののように撮れるんですけれども、それぞれが非常に立派でいいお顔なんです。これが不思議なんですね。角度の問題だけじゃなく、お堂の中は天蓋や光背、台座があって、荘厳の中に包まれてます。

また近年、発掘調査をふまえて鳳凰堂前の池も復元されまして、その池面に反射して入る光線も、さらにお像を引き立てる効果を発揮しているようです。

宮林修理施設での仏さまと、須弥壇の上の仏さま、確かにありがたさが違うんですね。近くだから目線が合って感動するかと思うと、そうでもない。平等院住職の神居文彰師にも、「おさまるところにおさまるとやっぱりありがたいね」と言ったんです。

しかし、こういう原寸大の写真で見ると、また興味が本当にわいてきますね。

金井そうですね。そういう手がかりになるようなところが写真の機能としてありますからね。

モノクロのほうがノイズのない彫刻像が見える

清水今は、写真はほとんどがカラーですが、モノクロとカラーで、カメラマンとしての思いというのはあるんですか。

金井カラーですと、現状のいろんなアラも出てきてしまうので、ちょっとかわいそうなところがありますね。モノクロですと、彫刻としてのボリュームは、むしろ出しやすいような感じがします。

清水モノクロ写真のよさってありますね。今、カラーがこんなに氾濫しているときに、モノクロ写真で仏像を撮るというのは、金井さんの本もあえてそうされたんだと思うんですが。

金井ええ。カラーにはノイズが多いと、私は思っているんです。ノイズが多いということは、一般の人にとってはむしろわかりやすい面もあるのかもしれません。でも仏像を彫刻として純粋に見ていこうという研究者や、本当に見たい人たちは、やはりモノクロのほうがノイズのない彫刻像を見ることができる。こちらも、そういうふうに説明できるような気がするんです。

清水金井さんの『仏像と写真』という本を拝見していても、主張がすごくありますね。

金井ですけど、これは余り強いライティングじゃないんです。むしろ彫刻自体が主張してくれているんじゃないかという気がするんですね。

最初の作業はどういうお顔や目なのか感じ取ること

清水美術史をやっていますと、ものも見なければいけないし、きちっと知らなければいけないので行って見るわけですけど、写真を撮っている人が一番よく見ているかもしれないですね。

金井私が一生懸命見ているのは、構造的なことが主になってきますけれど、まずはどういうお顔なのか、どういう目をされているのかとか、その辺を感じ取ることが最初の作業になりますね。

動かないものですから、シャッターは誰が押してもいいやと思っているんですけど、やはりしつらえていくのが肝心なことで、どう見せていこうかと。

清水ちょっと微妙なところがなかなか決まらないということがあるんでしょうね。

最新の技術で復元想像図も紹介

『週刊日本の仏像』(講談社)

『週刊日本の仏像』(講談社)

編集部『週刊日本の仏像』のシリーズには、「よくわかる仏像の見方」というページがあって、清水先生が毎号執筆していらっしゃいますが、たいへん面白い内容ですね。

清水今日、お話ししたようなことも書いていますが、基礎編、応用編、尊像編に分けて、いろいろな角度から仏像を紹介しています。

東は岩手の中尊寺から、四国・九州まで、やはり奈良・京都が中心になりますが、いくつか新しい発見もあって、監修をしている我々も楽しませてもらっています。

それと、仏像がつくられた当時はどんな姿だったんだろうということで、最新の研究とコンピュータの技術を使って復元想像図を紹介しています。また、仏さまは本来は信仰の対象ですから、そのお寺のご住職さまのお話しも載せながら、総合的に理解できるよう配慮しています。

編集部私はこの本で、仏像はほとんどが一重瞼だというのを初めて知りました。

廃寺になっても信者が守った仏さま

鎌倉大仏 高徳院阿弥陀如来像

鎌倉大仏
高徳院阿弥陀如来像

清水最後に、記憶に残る仏さまを紹介していただけませんか。

宮林巡行と言いまして、11月に10日ほど長野の各寺を回ったんです。昨年はちょうど松本市美術館で「松本平の神仏」という展覧会がありました。長野県では明治に松本が廃仏毀釈に遭いまして、180カ寺あるうちの70%ぐらいは破壊されたんです。しかし、信者の人が仏さまを守って、神様もあるんですけど、その中から100体が展示されていた。それからもう一つは、江戸時代の円空仏、弾誓上人のものなどが少し添えてありました。国宝なんか出なくても、地方には案外いい仏さまが生きているんですね。

清水私は残念ながら行けなかったんです。宣伝が十分ではなくて、知っている人も少なかったようですね。

宮林廃寺になって、それを末寺のほうで守ったり、在家の信者が置いてあったりしたものを出品された。しかしそういう視線で見るせいか、ああいう廃仏が激しい中で、その仏さまが守ったのか、生きている仏さまは見るほうも余計感激するんですよ。

清水金井さん、印象に残る仏さまはありますか。

金井博物館で仕事を始めたころに京都の清涼寺釈迦堂の釈迦立像を撮ったのが非常に印象に残っていますね。

清水ただ、形としてはそれほど変化のある像じゃないですね。

金井それだけに、逆に淡々としていい姿だと思うんです。形として変化がないような仏像がだんだん好きになってきたのはその辺からです。ですから阿弥陀さんなんかもお姿を見ると、左右対称でシンプルですね。シンプルな中ですごくいいお顔をされている姿がね。

清水私は卒業論文が実は鎌倉大仏でして、今も論文を書いたりしているので、やはり思い入れもあります。10年ぐらい前に思っていた顔や形とまた違って、こんなだったのかなということが思いつくので、私としては鎌倉大仏を挙げておきたいと思います。

金井私が生まれて初めて見た仏像は、鎌倉の大仏なんです。多分、4歳か5歳ぐらいのころです。

清水鎌倉大仏は、建長4年(1252年)に鋳造が始められ、数年前に建立750年を迎えたわけですが、それ以前に木像の大仏がつくられていたことや、またあれだけの像をつくるための資金を集めた勧進上人のこと、製作にあたっての鋳物師のことや鋳造技術の問題など、さまざまな謎に包まれていることもありますので……。

編集部ありがとうございました。

宮林昭彦 (みやばやし しょうげん)

1932年長野県生れ。
著書『授戒−仏心を育てる』 青史出版 1,500円+税、ほか。

清水眞澄 (しみず まずみ)

1932年横浜生れ。
著書『仏像と人の歴史発見』 里文出版 2,300円+税、ほか。

金井杜道 (かない もりお)

1946年東京生れ。
著書『仏像と写真』 京都国立博物館 1,111円+税、ほか。

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