Web版 有鄰

482平成20年1月1日発行

玉岡かおると『お家さん』 – 人と作品

大正時代、巨大商社の頂点にいた女性の生涯を描く

玉岡かおる氏
玉岡かおる

社員5千人から慕われた鈴木よね

明治時代に神戸で開業、大正期には三井、三菱をしのぐ売り上げを誇った「鈴木商店」。関連会社が50社に及んだ巨大商社の頂点にいたのは、鈴木よねという女性だった。社員5千人から“お家さん”と慕われた鈴木よねの生涯を描いた大作である。

「松方幸次郎をモデルにした『天涯の船』を書いたとき第一次大戦中にヨーロッパで絵画を買う松方に、大金を工面していた鈴木商店の存在を知り、まず興味を持ちました。神戸製鋼所や帝人も傘下にしていた大商社のトップが女性だったと知り、女主人の視点から、鈴木商店を描いてみたいと思いました」

姫路城下で生まれたよねは主筋の次男・惣七に嫁ぐが、次兄夫婦のいざこざが原因で離婚し、明治10年(1877年)25歳で神戸の砂糖商・鈴木岩治郎と再婚する。岩治郎が急死し、42歳で未亡人になったよねは、廃業を勧められながら、番頭・金子直吉の涙を見て店の存続を決める。商才豊かな金子の頑張りで急成長する鈴木商店を支えたのは、“存分にやりなはれ”と社員を信じた、よねの懐の深さだった。

「資料はよねの徳を称えるものばかりで、完全無欠なイメージをひとりの人間像に突き崩すのに時間がかかりました。初稿、2稿を没にし、3稿目でよねに語らせる手法を取り入れると、姫路出身のよねが話す播州弁が、兵庫県三木市で育った私の話し言葉と同じで、すんなり感情に入り込め、言葉はやはり凄いなと思いました。よねは生活の中から哲学や理念をつむぎ出す人でしたから、生活に密着した言葉で書くことで彼女の姿が見えてきました」

土佐(高知)出身の金子は、台湾総督府民政局長の後藤新平と手を結び台湾特産の樟脳の販売権を獲得する。日清・日露戦争、第一次世界大戦などで世界が揺れる中、鈴木商店が政情と市場を読んで成長する物語のスケールは壮大。実在・架空の人物が入り混じり、惣七の遺児の珠喜が恋人を追って台湾に渡る恋のゆくえもあり、物語は進むに従い面白くなっていく。

「鈴木商店にはユニークな人物が大勢いて、書くことを絞り込むのが大変でした。神戸と台湾が樟脳貿易でどれほど近い間柄だったかは、実際に台湾を歩いて知ることができました。戦時下のよねの生活や珠喜の恋愛に絡めて、森鷗外や島崎藤村の詩を入れたのは、当時の匂いを感じてもらいたかったからです。鷗外の詩は戦争の凄まじさを簡潔にはっきりと伝えている。今教科書で習わなくなっている文豪の言葉の力を伝えたい気持ちもありました」

大正7年(1918年)には米騒動に伴う虚報が原因で焼き討ちにあい、昭和の金融恐慌によって、鈴木商店は蹉跌に至る。カリスマ性に陰りが見えた金子に対しよねが下した決断に、日本の近代化を生きた女性の矜持が見られる。

「終結においてもロマンを追求したいと考えました。人としての大儀を取る生き方こそ、目先の利益を優先する今の日本人にない、近代化を成し遂げた人々にあったものだと考えるからです。この時代の日本人は100年先のことを考えて、台湾で樟脳用の材木を切っても植林をしていました。化石燃料を燃やす産業革命で躍進した西洋の文明と違う、自然と調和して生きてきた農耕民族ならではの知恵がありました」

激動の明治・大正を生き抜いた女性たちを書きたい

1956年、兵庫県三木市生まれ。神戸女学院大学文学部卒。87年、『夢食い魚のブルー・グッドバイ』で神戸文学賞。主な著書に『をんな紋』『天涯の船』『タカラジェンヌの太平洋戦争』などがある。テレビのコメンテーターとしても活躍している。

「今、アジアの国々が台頭してくる中、私はこの小説の群像を書くことで、日本人としての誇りを改めて持ち直すことができました。今はおしゃれなイメージが定着している神戸に対する見方も変わりました。かつての神戸は労働者が集う、まさに炎が燃えているような新興の港町でした。私は、西洋文明を受け入れて衝突し、立ち位置を定めようと日本が激しく変化した明治から大正の時代に惹かれます。よねが生涯、堅実な生活を通したのは商売を自分のものと考えず、利益を次の事業にまわして日本をより強い国にすることに役立てたい、大きな視野を持っていたからだと思います。今以上に女性が生きにくかっただろうこの時代を、頑張って生き抜いた女性たちをこれからも書いていきたいと思っています」

(青木千恵)

『お家さん』上・下 表紙

お家さん (上・下)
玉岡かおる/新潮社/各1,600円+税

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