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有鄰

平成16年10月10日  第443号  P3

○座談会 P1   ジャズの街・横浜 (1) (2) (3)
五十嵐明要/澤田駿吾/平岡正明/バーリット・セービン/柴田浩一/松信裕
○特集 P4   明治の棟梁たちの西洋館   増田彰久
○人と作品 P5   玄侑宗久と「リーラ」



座談会

ジャズの街・横浜 (3)
〜「モカンボ・セッション」の時代を語る〜
 



  ◇キャンプから来る進駐軍のミュージシャンと共演
 
ハンプトン・ホース(ピアノ)と松本英彦(テナー・サックス)
ハンプトン・ホース(ピアノ)と
松本英彦(テナー・サックス)
昭和28年
クラブ「マキシム」(東京日本橋)
ちぐさ提供
松信   進駐軍の人たちも来たりしていたんですか。
 
澤田  

米軍の中でハンプトン・ホースという有名なピアニストとか、そういう人たちが厚木のキャンプや横須賀あたりからも横浜に来るから、外国人でも「モカンボ」に遊びに来てくれたりする人もいたんです。 日本人相手だけど、外国人がちらほら入っているという店でした。

横浜というのはやっぱりジャズの雰囲気なんですね。 我々には肌で感じるものがありましたね。
 

松信   聴きに来て、一緒に演奏したりもしたんですね。
 

   着物を着てピアノを弾いていた秋吉敏子
 
松信  

セービンさんは、ハンプトン・ホースのことも書いていらっしゃいますね。
 

セービン  

ハンプトン・ホースは常にキャッシュとヘロインの問題があって、ヘロインが欲しくて東京の基地から横浜に来ていた。 ある晩、伊勢佐木町あたりをうろうろしているときに、彼の話によると、一番格好いい、おしゃれな町の女、売春婦に声をかけられて、「俺は音楽家だ。」というと、「ハーレムクラブ」に連れて行かれた。 そこでは若くて小柄で着物を着た女性がピアノを弾いていた。 この着物の女性が、ニューヨークのビ・バップのアーチストに匹敵するぐらいにものすごくうまかったので、ハンプトン・ホースはとても驚いたというんです。 それは秋吉敏子だったんですね。 後で友だちになった。

澤田さんは、ハンプトンと一緒に演奏しましたか。
 

澤田  

しょっちゅう。 僕は随分お金を貸したよ。 (笑)

レコードも一緒に出しましたけれど、非常に柔和で、ほんわかした人なんです。 物事にこだわらないし、演奏も気取らない。 「ウマさん」と呼ばれていて、「ウマさん、ちょっとやってよ。」と言うと、お客のリクエストで「ビギン・ザ・ビギン」なんかもすぐやってくれるような、きさくな人でした。 それから、守安祥太郎のピアノと丁々発止でやるのが好きだった。
 

五十嵐  

やっぱり影響があったんだろうね。
 

澤田  

守安がピアノを弾いているのをハンプトンが見ていて、ハンプトンがやると守安が見ていて、かわるがわる弾きあう。 お互いにいいところを出していた。
 

セービン  

相性がよかったんですね。
 

澤田  

ハンプトンは、最初会ったときはサージャントくらいの階級だったけれど、何度も問題を起こしては「モカンボ」にMPが来て連れて行っちゃうんですよ。 それで裁判で刑をくらって、1か月ぐらい刑務所に入れられて戻ってくる。 そのたびに降格で、最後には一等兵になっちゃった。
 


  ◇ずば抜けていた守安祥太郎のピアノ
 
柴田   守安祥太郎さんって、そんなにレベルが高かったんですか。
 
澤田  

高いです。 当時、日本人でずば抜けていた。
 

五十嵐  

今聴いても、あれだけエキサイティングなピアニストって、日本にはいないと思う。 びっくりする。

あの人は別に音楽学校を出ているわけじゃないのね。
 

澤田   そう。 子供のときにクラシックはやっていたらしいんだけども、突如ジャズに目覚めて、レッド・ハット・ボイーズに入ってデビューしたんです。
 
守安祥太郎
守安祥太郎
 
五十嵐  

もともと非常に音楽的素養があったことと、それから自分で向こうのジャズを聴いて勉強した。 後で考えると、要するに、ものすごく的確な目と耳を持っていたんでしょうね。
 

澤田  

彼はレコードを聴いて写譜するんですよ。 フルオーケストラで使う細かい五線紙に、虫眼鏡で見るような小さな字で書いて。
 

五十嵐  

音を全部コピーするわけなんです。
 

澤田  

守安祥太郎を、我々がやっていたダブル・ビーツというバンドに招聘したときは、我々の給料をみんな1万円ずつダウンして、それで守安にあげたんですよ。 守安はその当時7万円ぐらいの給料だったので、我々は5万円だったのを4万円ぐらいに下げて、それを彼の給料に上乗せして、それで呼んだわけなんです。
 

柴田  

それはすごい。 一緒にやりたいがために。
 

平岡  

いい話ですね。
 


   小さなオルガンで教えてくれたモダンジャズ
 
澤田  

それで彼が来たおかげで、それまで我々は白人っぽい音楽をやっていたんだけれど、途端に真っ黒けの感じになって、バド・パウエルとか、チャーリー・パーカーとかいうふうな感じになっちゃいましたけどね。
 

柴田  

白人系というのは誰ですか。
 

澤田  

デイブ・ブルーベックとかを追求していたのが、180度転換して、「これは大変なことだ。 これがほんとのジャズだ。」みたいな気持ちになっちゃって、守安祥太郎の影響を受けて、急にいろいろな勉強をした。

彼は僕のうちにしょっちゅう来て泊まって、みんなで酒を飲んだりしていたんだけど、幼稚園の教室に置いてあるような、うちのちっちゃなオルガンを弾いて、ベースラインを滝本達郎に教えるとか、僕には、コードの和音の積み重ねを教えてくれたり、モダンジャズはこうなんだよということを一生懸命に教えてくれたんです。 それで随分勉強になりました。 だから、僕がギター弾きとして人より先んじられたのは、守安祥太郎のおかげなんです。 教えを請うたから。
 

五十嵐明要氏
五十嵐明要氏
 
五十嵐   守安さんは、「貞夫には秋吉敏子さんがついている。 もう一人ターゲットとしてトシ坊(五十嵐氏)を何とかしてあげたいから。」と言ってくれていた。 僕と貞夫と両方を育てようという意欲というか、そういう気持ちがあってやってくれたんです。 すごくありがたかったですね。
 
松信  

秋吉さんは渡辺貞夫と同じグループだったんですね。
 

澤田   それに対抗する意味で、こちらではトシ坊をスターにしてのし上げて、向こうと競い合おうというわけです。 我々は守安さんが来た途端に、売れて仕事がすごくふえましたよ。 どこへ行っても気に入られた。
 
柴田   じゃあ、守安さんが亡くなられたことはショックだったでしょう。
 
五十嵐  

それはショックでしたね。
 

澤田  

彼は20代前半からジャズを始めて、31歳の若さで亡くなってしまったんですよ。
 


   「ジャズ人生で横浜が一番大きなウェートを」
 
松信  

ジャズマンにとって横浜というのはどんな場所なんでしょうか。
 

澤田  
澤田駿吾氏
澤田駿吾氏

僕は自分のジャズ人生の中で、「モカンボ」で演奏しているときが長かったせいも、もちろんありますけれど、横浜が一番大きなウエートを占めているというか、印象に残る時代なんですね。

その前に府中でやっていた時代があって、NCOクラブというところで、守安祥太郎とのつきあいが始まったんですけれどもね。 だけど、東京ではいろんなところで演奏していて、専属として入ったのは横浜の「モカンボ」しかないんですよ。

しかも、そこがまた一番勉強になったような気もしているんです。 ハンプトン・ホースなんかもそうですし、いろんなミュージシャンが来てくれた。 守安祥太郎と、じっくり四つに組んで勉強ができたのも横浜だし、彼は死ぬ間際まで横浜でやっていましたから、やっぱり横浜でやっていた時代というのは僕にとって特別で、大きかったなという気がしますね。
 


  ◇12回目を迎えた「横濱JAZZプロムナード」
 
松信  

柴田さん、「横濱JAZZプロムナード」も今年で12回目ですね。
 

柴田  
横濱JAZZプロムナード 2003
横濱JAZZプロムナード 2003
クイーンズ・パーク

ええ、今年は、10月9日と10日です。 こういうジャズの催しはたくさんあるんですけれど、僕は、規模から言うと横浜のが世界一だと思っているんですよ。

今年は、プロミュージシャンが300人以上出演します。 アマチュアも入れるといつも1,000人は超えていて、去年が70ステージだったんですよ。 今年は、2日間で90ステージです。 常連のジョージ川口さんと世良譲さんが亡くなられたので、少し若返りも図ったりして。

プログラムも工夫して、早い時間から夜まで楽しめるようにしていますから、たくさん来ていただきたいですね。 ただ残念なのは、いつも「神戸ジャズストリート」とスケジュールが重なっちゃってて五十嵐さんをはじめ出ていただけない方もいるんです。
 

澤田  

僕も始まったころ、2回くらいやらせてもらったことがありましたね。 また呼んでくださいよ。
 

柴田  

ぜひ。 若手と一緒に出ていただきたいですね。

この間、中田市長と、JAZZプロムナードをテーマに対談したんですよ。 そしたら市長が、「柴田さん、横浜はジャズだよ。」って言ってくれたんです。 ということで今、追い風なんですよ。

ですから、いろんなところで、横浜とジャズというのをもっと強調してもらいたいんですよ。
 

松信  

有隣堂の本店ギャラリーでも、JAZZプロムナードの開催にあわせて、10月7日から12日まで、「JAZZ Meets Art! ジェレミー・スタイグ&徳持耕一郎のジャズ・アート展」を開催します。 ジャズをモチーフに、音楽と絵画の新しい出会いをつくり出そうというものです。

これから先、ジャズと横浜を結びつけたイベントは、どんなふうに発展していくんでしょうね。
 

柴田  

ゆくゆくは、大きな声で主張しなくても、自然にみんなが、心の中で、ジャズ・イコール・横浜と思っている、という街になってもらいたいなと思っています。

実は、ジャズキャラバンというか、小学校を回って、子供たちにむけてジャズの歴史のレクチャーと演奏をやろうと考えているんです。 小学生にジャズの教育をして、正しい横浜人をつくる(笑)。
 

澤田  

それはすごくいいですよ。 ジャズの歴史やいろいろな話を織りまぜながら、ジャズを聴かせたら、みんな興味を持つんじゃないでしょうか。 底辺を育てないとだめですよね。
 

松信  

ありがとうございました。
 




 
五十嵐明要 (いがらし あきとし)
1932年東京生まれ。
 
澤田駿吾 (さわだ しゅんご)
1930年愛媛県生まれ。
 
平岡正明 (ひらおか まさあき)

1941年東京生まれ。
著書『ウィ・ウォント・マイルス』 河出書房新社 2,940円(5%税込)、
横浜的 (芸能都市創成論) 』 青土社 2,650円(5%税込)、
ほか多数。

 
バーリット・セービン (Burritt Sabin)

1953年ニューヨーク市生まれ。
著書『A Historical Guide to Yokohamaジャンプ詳細 有隣堂 2,625円(5%税込)

 
柴田浩一 (しばた こういち)

1946年横浜生まれ。

 

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