Web版 有鄰

565令和元年11月10日発行

有鄰らいぶらりい

落日』 湊かなえ:著/角川春樹事務所:刊/1,600円+税

脚本家の甲斐千尋は、映画監督の長谷部香から新作の脚本について相談される。初監督作品が国際映画祭で評価され、女優のような華やかな美貌の香が、なんの接点もなく、有名でもない千尋になぜ接触してきたのか? 面会して香から次回作のテーマを聞き、千尋は意図を理解した。『笹塚町一家殺害事件』。千尋は事件が発生した笹塚町の出身で、香もかつて笹塚町に住んだことがあり、千尋の姉と幼馴染だったのだ。

アイドル志望の女子高生とその両親が死亡した『笹塚町一家殺害事件』は、妹を刺殺し、放火した容疑で引きこもりの兄が逮捕された15年前の事件だ。被害者の立石沙良とも幼馴染だった香は、彼女が殺された理由を掘り下げて映画化したいという。笹塚町出身とはいえ、被害者とも加害者とも接点のなかった千尋は依頼をためらうが、脚本家として羽ばたくチャンスと思い、取材を開始する――。

15年前の事件をたどる中で、今を生きる人それぞれの過去と心に抱く傷、かつてそこにあった思いがあぶり出されていく。〈自分の足を使って、目で確かめて、リアルに追いついて、そこからさらに想像力で追い越す〉。今、表現とは何かという問いにも踏み込む。過去と向き合い、未来を探す人々を描いた、入魂の長編小説。

神とさざなみの密室』 市川憂人:著/新潮社:刊/1,900円+税

『神とさざなみの密室』・表紙

『神とさざなみの密室』
新潮社:刊

政権打倒を標榜する若者団体『コスモス』で活動する女子大生の凛は、気付くと薄暗い部屋にいた。両手首を縛られて吊り下げられ、どこかに監禁されている。最後に覚えている日付は2019年6月16日だ。何かが床に転がっているのに気付いて闇に眼を凝らすと、人の形をしている。すると隣室から物音がして、若い男が現れる。

若い男も叫びを上げて、床に転がる人の形を凝視した。『コスモス』創設者で、凛が敬愛する神崎京一郎の死体……? 隣室から現れた男は、外国人排斥をうたう『AFPU』に所属する大輝だった。川崎で『AFPU』の集会に参加し、秋葉原に流れた大輝も、気付くと薄暗い部屋にいたのだ。政治的立場が全く異なる2人は、なぜ密室に閉じ込められたのか? 反目しながらも、凛と大輝はそれぞれに脱出法を探す――。

著者は1976年、神奈川県生まれ。東京大学卒。2016年に『ジェリーフィッシュは凍らない』で第26回鮎川哲也賞を受賞しデビューした新鋭である。本書は密室と死体という謎を冒頭に置き、政治状況、社会問題、SNSやサブカルチャーなどの事象をふんだんに盛り込んで読者を引き込む本格ミステリー。真相究明とともに、今の社会について考えさせられるスリリングな1冊だ。

定価のない本』 門井慶喜:著/東京創元社:刊/1,700円+税

昭和21年(1946)8月15日、神田神保町で古書店「琴岡玄武堂」を営む庄治は、旧知の古書店主、芳松の死を知らされる。神田猿楽町の倉庫で、柳田國男『蝸牛考』、アリストテレス『ニコマコス倫理学』、百科事典などの洋装本を全身に浴びて圧死したらしい。地震など起きていないのに、なぜ一斉に本が崩落したのか? 庄治は芳松の妻タカを励まし、事後処理を引き受ける。

得意客で高名な文筆家の徳富蘇峰は、芳松の事件を聞いて「事故死ではないね」と庄治に言う。タカの行動に不審な点がある、と蘇峰に指摘されて間もなく、タカが失踪する。手がかりを探す庄治は銃剣を持った男に襲われ、さらにアメリカ兵が現れて、芳松のことを「スパイだった」と言う。謎が謎を呼び、庄治は芳松とタカの出身地である青森に向かった――。

大正12年(1923)に発生した関東大震災をきっかけに、「本の街」へと発展した神田神保町。新刊本と古本の最大の違いは、「定価」の有無だ。敗戦で焦土と化し戦勝国の脅威にさらされる日本で、本を売りたくて古書店主になった男の死をめぐり、同業の庄治がひた走る。街や本の知識を絡めながら、戦後日本に迫る歴史ミステリー。太宰治も登場し、本好きにはたまらない長編作である。

罪と祈り』貫井徳郎:著/実業之日本社:刊/1,700円+税

地域の人々に慕われ、公務に励んで退官した元警察官の濱仲辰司が、遺体となって隅田川で発見された。側頭部には殴られた痕があり、殺人事件と見なされて捜査が始まる。自分の知らない父の一面が、今回の事件を引き起こしたのではないか? 父の立派さに引け目を感じていた息子の亮輔は、父の死の真相を知りたいと強く思う。

一方、辰司に憧れて警察官になり、現在は久松署に所属する芦原賢剛は、管轄内で起きた辰司の事件を担当することになる。父の智士を自殺で亡くした賢剛は、父の親友だった辰司を父親代わりとして育った。父の智士は、地元である東京・浅草が地上げで激しく変貌したバブル期に自殺した。街並みを遮るようにして建つ高層ビルを目にすると、賢剛は父の死を連想して怒りを覚える。そのバブル期に発生し、未解決のままの誘拐事件があった――。

父はなぜ死んだのか。物語は、辰司の死の謎を追う「亮輔と賢剛」、のちに”バブル”と呼ばれる、約30年前を舞台にした「辰司と智士」の、二つの時代を交互に語る形で描かれていく。バブル期へと遡り、時代に翻弄される人々の姿を見つめる。『愚行録』『乱反射』などで知られる著者による、2年ぶりの長編ミステリー。さすがの筆致に引き込まれる。

(C・A)

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