Web版 有鄰

567令和2年3月10日発行

横浜・素顔の魅力 – 海辺の創造力

星山健太郎

横浜というとみなとみらいや山手の洋館などおしゃれなまちを想像する人が多い。しかし、そんなキラキラとしたエリアと野毛や南区の下町のような気取らないエリアがすぐ隣り合わせにあるという、狭い地域でごった煮になったような多様性にこそ、横浜の本当の魅力があるのではないかと思う。

2013年に伊勢佐木町で出版社を立ち上げ、同年末より刊行している横浜地域情報誌『はま太郎』では主に後者の方にスポットをあて、港湾やドックで働く労働者が1日の疲れを癒した「市民酒場」についての記事を創刊号より連載してきた。

市民酒場とは、昭和13年に創設された「横濱市民酒場組合」に所属している飲食店のこと。どこにでもありそうな名称だが、横浜独自のものだ。戦争の影響が色濃くなっていくなかで食糧調達などの便宜を図るため横のつながりを強めようという目的で作られ、太平洋戦争の末期には疲弊した市民に酒を配給するための酒場だった時代もある。

「ふぐ」を名物にうたう店が多いのは、戦中戦後、毒魚であったため食糧統制から外れていたふぐを安価に市民に提供していたなごりなのだという。高度経済成長期、三交代制で働く労働者たちのために朝から深夜まで営業していた市民酒場もあったという。創設から80年以上にわたり「まっとうな酒と食事をまっとうな値段で」というモットーは引き継がれ、市民酒場は横浜市民に愛されてきた。

このように横浜の歴史とともに歩んできた市民酒場の連載を続けることは、「酒場」というフィルターを通して横浜というまちを見つめ直すことでもあった。

仕事を終えて行きつけの店の暖簾をくぐり、店主や見知った顔に挨拶しながら生ビールを注文する。よく冷えたビールをグイッと一口やると一瞬にしてオンとオフが切り替わり、最もリラックスした素の自分になれる。よい酒場にはそんな力がある。素顔の横浜の魅力を語るうえでも「市民酒場」というテーマは適していたのかもしれない。

『はま太郎』ではほかに「洋食」「暗渠」「商店街」「町中華」など様々なフィルターを用いて横浜のまちを切り取っている。これらのフィルターを通すことでいつも見慣れた風景がまた新しい意味を持って見えてくるし、一度この視点を手に入れたらほかのまちに行った時に比較の基準にもなってくれるのが面白い。

横浜の地域情報誌を刊行するうえでもう一つ意識しているのは「本」という紙の媒体に情報をしたためること。ネットで簡単に大量の情報が得られるようになったが、そんな時代だからこそ、時間をかけて取材・編集し、吟味されたスローな情報の価値があらためて評価されていくのではないかと考えている。

『はま太郎』が目指すのは賞味期限のない読むツマミだ。何年経っても色褪せない情報で、読んでいてお酒が一段と美味しくなってしまうような内容の本。これからも地元に根ざした出版社として、横浜のまちの素顔の魅力を伝えていきたい。

(株式会社星羊社代表取締役)

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