Web版 有鄰

568令和2年5月10日発行

子ども雑誌と付録の魅力 – 1面

野上 暁

『幼稚園』の付録がすごい?

入社して間もないころに企画担当した付録「かいじゅう大パノラマ」と写る筆者(小学館の付録イベント広報用写真より)

入社して間もないころに企画担当した付録「かいじゅう大パノラマ」と写る筆者
小学館の付録イベント広報用写真より
写真提供:筆者

このところ小学館発行の『幼稚園』の付録が話題になっている。2020年4月号の「ワニワニパニック」は、ゲームセンターでおなじみのゲームを再現したものだが、つぎつぎと出たり引っ込んだりするワニをハンマーで叩くと得点がデジタル表示される。作り方も簡単で、本物そっくりのゲームに子どもは夢中になる。1月号の「ぎゅうどんづくりゲーム」は、牛丼の吉野家と提携した、本物サイズのどんぶりと、おたまを使ったゲームで、メーカーとコラボした付録がつぎつぎと話題を呼んでいる。

昨年6月号では、牛角とコラボした「やきにくリバーシ」、7月号では江崎グリコとコラボした「セブンティーンアイスじはんき」。9月号では、セブン‐イレブンにある「セブン銀行ATM」を本物そっくりに紙で再現してみせた。12月号の「ピノガチャ」では、森永乳業のアイスクリーム「pino」そっくりのものがガチャガチャから出てくる。コラボによるコスト削減が、従来では実現できなかったICなども使った豪華な付録を可能にし、テレビCMでもおなじみの商品を再現できるのだから反響は大きい。

筆者が小学館の学年誌で付録を担当していた頃は、「作りにくくて壊れやすい」などと保護者からの苦情が絶えなかったが、どうやらその頃の読者が親になって、これらの付録を子どもとともに、いや子ども以上に楽しんでいるようなのだから隔世の感がある。

付録は明治時代からあった!

子ども雑誌と付録の歴史は、意外に古い。ちなみに、日本の子ども雑誌の誕生は、文明開化とともに始まる。最初期の子ども雑誌は、1877(明治10)年に創刊された『頴才新誌』で、当初はわずか4から8ページの読者投稿が中心の週刊誌だった。表紙は投稿された書画が飾り、本文は二段組みで小さな文字がびっしり詰まっていて、尾崎紅葉、山田美妙、大町桂月、田山花袋らが、少年時代に投稿して文才を競ったという。

その後、小学校の就学率の上昇に呼応して、学校教育を補完強化するための子ども雑誌が次々と創刊される。代表的なものは、1888(明治21)年に創刊された『少年園』で、巻末に「第一号付録」として読者投稿文を載せた「芳園」が収められている。子ども雑誌で最初に登場した「付録」ともいえるが、今日的な意味の付録とは違い、「本文に付属した記録」といった意味合いで使われていた。

『少年園』の成功を追って、翌89年2月には『日本之少年』、7月には『小國民』などが創刊されたが、この2誌も巻末に「付録」として特別記事を掲載していたから、巻末付録はお得感をアピールできて人気だったのだろう。その後登場する、『少年世界』(博文館) や『日本少年』(実業之日本社)などの部数競争が激しくなってくると、巻末とじ込みではなく挟み込みで人気画家の絵や双六などの遊具へと次第にエスカレートしていく。1918(大正7)年に創刊された『赤い鳥』などの童話雑誌をのぞき、大衆的な子ども雑誌に付録は欠かせなくなっていくのだ。

『少年倶楽部』の組み立て付録

子ども雑誌の付録で特筆すべきは、1914(大正3)年11月、大日本雄弁会講談社から創刊された『少年倶楽部』である。創刊当時は、先行する『少年世界』や『日本少年』の足元にも及ばなかったが、昭和に入って、佐藤紅緑の「あゝ玉杯に花うけて」、山中峯太郎の「敵中横断三百里」などの連載読物や、田河水泡の「のらくろ」や島田啓三の「冒険ダン吉」のマンガ連載に、子どもたちの度肝を抜く巨大で精巧な紙製組み立て付録の人気が加わって、まさに破竹の勢いで子ども雑誌界を席巻していく。

1931(昭和6)年4月号の初めての組み立て付録「大飛行艇ドックス号模型」が大人気となる。その後も、長さ82センチもある巨大な「軍艦三笠の大模型」(32年1月号)、高さ84センチの「エンパイアステート・ビルディング大模型」(32年2月号)など、子どもたちの憧れを再現して部数を伸ばし、36年新年号では発行部数75万部とそれまでの子ども雑誌の最高記録を樹立するのだ。

ところが、37年に日中戦争が始まり、翌年4月に国家総動員法が公布され、10月に「児童読物改善ニ関スル指示要綱」が出されて、子ども雑誌のマンガや付録や挿絵に様々な規制が加わり、「冒険ダン吉」はその翌年、「のらくろ」は41年に連載打ち切りになる。付録も正月号だけに限定され、しかもどんどん貧弱になる。そして太平洋戦争が始まると、子ども雑誌は統廃合され、1922(大正11)年に創刊された小学館の学年別学習雑誌も、『小学一年生』から『小学三年生』までが『良い子の友』、『小学四年生』から『小学六年生』までが『少國民の友』に統合される。

こうして1945年8月15日に敗戦を迎えると、戦前からあった『少年倶楽部』や『少女倶楽部』は、『少年クラブ』『少女クラブ』と誌名変更し、『少年』『少女』(光文社)をはじめ、『冒険活劇文庫』(後の『少年画報』、少年画報社)、『少年少女冒険王』(後の『冒険王』、秋田書店)、『おもしろブック』(集英社)などが創刊され、絵物語やマンガ人気に支えられ急成長し、1950年代の子ども娯楽誌の黄金期を迎えるのだ。

月刊誌黄金時代の付録合戦

各誌は連載マンガの人気で部数を競うとともに、それ以上に付録合戦がすさまじかった。10大付録とか13大付録とか点数の多さを競ったり、アイディア競争も熾烈を極めた。本誌や別冊付録は回し読みができるが、組み立て付録はそれができない。欲しければ買うしかないから売り上げに直結するのだ。

戦前の『少年倶楽部』の付録のように、新奇さや大きさを競うのではなく、高価で実際には買えない電化製品や高級商品、人気玩具を紙素材中心に組み立てるものだった。ゴム動力を使った「自動式扇風機」。まだテレビが普及していない時代に「天然色テレビジョン」とか、「映写機」といったタイトルの幻灯機類も人気を呼んだ。中でも『少年』の付録の人気は抜群で、実際に音が出る「蓄音機」や、フィルムや印画紙や現像液から定着液まで入っていて、焼き付けまでできる「写真機」もあった。

当時の雑誌は国鉄(現在のJR) を使って特別格安料金で配送されていて、そのため重量や付録の材質に様々な制限があった。ますますエスカレートする付録競争をにらみ、割りピンなどの金具類や輪ゴムや塩化ビニールなど付録の材質制限が強化されていく。さらに、テレビの一般家庭への普及にともない、週刊誌ブームが起こり、子ども雑誌も付録つきの月刊誌全盛時代から週刊誌時代に移行していくのだ。

初めての子ども向け週刊漫画誌の『少年サンデー』(小学館)と『少年マガジン』(講談社)は1959年3月17日に同日創刊されるが、『少年マガジン』は別冊付録を付けていた。しかし、業界内での規制で週刊誌に付録はつけないこととなる。その後、週刊誌の隆盛とともに月刊誌は次第に姿を消し、付録があるのは少女誌、学年誌、幼児誌、テレビ雑誌などに限られてくる。

いまだに付録会議の夢を見る

筆者は1980年から『小学一年生』編集長を任されたが、毎月2回、各誌編集長が付録のダミーを持ち寄り社長決裁を得るための付録会議が開かれる。戦前の『少年倶楽部』では、「桜が散ったら新年号」とか、「目に青葉、山ホトトギス新年号」といって、新年号の付録をテーマにした御前会議が4月ごろに開催されたというが、学年誌の場合も同様で、翌年の4月号の付録会議は夏ごろに行われた。組み立て付録は、緻密な設計図にあわせた厚紙の型抜き、細かな備品の帳合やセット組など、それぞれの業者や地方の内職作業センターなどに依頼していたから、企画から発売まで何か月もかかるのだ。

当時ライバル誌だった学研の『学習』と『科学』は、鉄道輸送ではなかったので材質規制がなく、プラスチック製の完成品付録が評判で部数を伸ばしていた。それに対抗して、紙を中心に限られたコストでどれだけ読者をひきつけるかは、まさに真剣勝負。その時々の話題の玩具などをヒントに、人気キャラクターを配して考案するのだが、数か月先の流行がどうなっているかなどわかるはずがないから、まさに危険な賭け。付録の成否が売れ行きに直接影響したから、いまだに付録会議の夢を見るくらい神経を使った。

平面に印刷された紙が立体化していくメタモルフォーセスの不思議は、いつの時代にも、子どもたちにとってたまらない快感でもあった。少女月刊誌の付録には従来から完成品が多いが、昨今の幼児誌やテレビ雑誌で組み立て付録が依然として人気なのは、レディーメイドではない手づくりの愉しみと、創造する喜びが秘められているからなのだろう。単なるおまけ感覚から始まった子ども雑誌の付録も、時代の変化と子どもたちの興味や関心の在り様とともに微妙に変化してきている。『幼稚園』の付録が企業の人気商品とのコラボで話題を呼ぶのも、今日の子どもたちのメディア対応の敏感さを反映しているようだ。

野上 暁 (のがみ あきら)

1943年長野県生まれ。子ども文化評論家。著書『小学館の学年誌と児童書』論創社 1,600円+税ほか多数。

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