Web版 有鄰

568令和2年5月10日発行

豊洲のまちづくり – 海辺の創造力

志村秀明

東京都江東区の豊洲というと、一昨年移転してきた豊洲市場や大型ショッピングセンター、タワーマンションを思い浮かべる人が多いだろう。未だ再開発は進行中であり、まだまだ大規模施設ができようとしている。なぜこのように大規模施設が多いかというと、埋立地という比較的新しい土地だからだ。豊洲の中心部は、昭和初期の1932年に埋め立てが完成した。

さて埋立地というと、新しい土地なので歴史や文化はないと思われがちだ。しかし豊洲とその周辺の湾岸地域は、日本の近代化や戦後の復興、発展を支えてきたという歴史がある。

東京に近代的な港を造ろうと、海底に堆積した土砂をすくいだし積み上げて造成された豊洲は、1941年に開港した東京港の一部だった。東京港の歴史を物語るのが、豊洲と有明の間にある全長3キロメートルにも及ぶ東京港旧防波堤だ。樹木がうっそうと生い茂る立ち入り禁止の島で、今では湾岸地域の自然環境と生態系を支える重要な存在にもなっている。

豊洲2丁目にある大規模ショッピングセンターの広場にある船着場は、ここにかつてあった造船所のドライドックの跡だ。多くの船舶がここで建造され、日本の近代化と戦後の復興、発展を支えた。

戦後、東京都心部の復興に必要な電気やガスは、6丁目にあった火力発電所やガス工場が供給した。その名残が、通称・ビッグドラムと呼ばれる地下に巨大な変電所がある円筒形の建物だ。今もこの施設が、発展した東京を支えている。

5丁目には、運河沿いにネットフェンスで囲まれた一角がある。ここは豊洲物揚場という埠頭だったところで、様々な生活物資が陸揚げされた。他にもかつての豊洲には、石炭埠頭や鉄鋼埠頭があり、戦後の復興と発展を支えた。

大量の物資を日本全国へと運ぶために、臨港鉄道という貨物線が整備された。その名残が豊洲と中央区晴海の間にある晴海橋梁だ。線路が残る錆び付いたアーチ橋だが、撤去するにもお金がかかるのでそのままになっている。

4丁目にセブンイレブン豊洲店がある。これが日本における1号店で、この店舗の成功が、コンビニエンスストアという、今や世界各地に進出しているグローバル業態を生み出した。フロンティア精神に富んだ「豊洲人」だからこそ成功できたのだと思う。

豊洲は過去だけではなく、これからも日本の発展を支えていく。豊洲市場は、日本の食文化を下支えしていく。東京で再び開催されるオリンピック・パラリンピックでは、14もの競技会場が湾岸地域に位置するので、豊洲はそれらの玄関口として重要な役割を果たすだろう。

現在の豊洲では、地元の26団体が「豊洲地区運河ルネサンス協議会」を組織して、豊洲運河や東雲運河を拠点として、水辺のまちづくりを推進している。水辺への想いは、人々の精神的生活の一部、つまりこの地域の文化になろうとしている。

本当の創造力とは、歴史や文化を丹念に読み解いた上に宿るものだろう。豊洲のまちづくりでは、「海辺」の創造力が試されているのだと思う。

(芝浦工業大学建築学部教授)

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