Web版 有鄰

568令和2年5月10日発行

『丹沢に咲く花』と『高尾山に咲く花』 – 2面

勝山輝男

登山の楽しみが増える植物図鑑

登山やハイキングで名前のわからない花が咲いていると、その場で種名を調べたくなる。丹沢に登る際には丹沢の植物図鑑のように、山を限った植物図鑑が作られていると、1冊だけリュックに忍ばせておけばすみ便利である。有隣堂からは2018年に『丹沢に咲く花』が出版され、丹沢で見られる草本や目立つ花が咲く樹木約400種が写真で紹介された。今年、高尾山や陣馬山(陣場山)など小仏山地の植物を紹介する『高尾山に咲く花』(仮題)が刊行される。『丹沢に咲く花』では1ページに2種ずつ載せたが、『高尾山に咲く花』では主に1ページに3種配置したページを作り、約550種が掲載される。丹沢と高尾山・小仏山地は隣接する山であるが、そこに生育する植物の種類構成(植物相)には違いがある。両図鑑の掲載種の違いから、両山地の植物相の違いを垣間見ることができる。

『丹沢に咲く花』にのみ掲載された植物

『丹沢に咲く花』に掲載された約400種のうち、『高尾山に咲く花』に共通して掲載される植物は約290種ある。『丹沢に咲く花』のみに掲載された植物は約110種、そのうちの約90種は高尾山・小仏山地には分布していない植物である。

丹沢山地の最高峰は蛭ヶ岳の1673メートルで、檜洞丸(1601メートル)、大室山(1588メートル)、丹沢山(1567メートル)、塔ノ岳(1491メートル)、大山(1252メートル)などの峰々が連なり、1000メートル以上の高地も広い面積を占めている。一方、小仏山地は生藤山(990メートル)の東隣の茅丸(1019メートル)と連行峰(1013メートル)がわずかに1000メートルを超えるのみで、陣馬山が標高855メートル、高尾山が599メートルで、全体の面積ははるかに狭く標高も低い。マイヅルソウ、クルマユリ、ミヤママタタビ、ミヤマカラマツ、ダイモンジソウ、シモツケソウ、ナナカマド、ミヤマザクラ、サラサドウダン、トウゴクミツバツツジ、ミヤマムグラ、キンレイカ、ウスユキソウ、キバナウツギ、オオカメノキなど、標高の高いブナ林域に生える植物は高尾山・小仏山地には分布しない。これらの植物は生藤山から笹尾根を北西に登り、奥多摩の三頭山方面まで行けば見ることができる。

フォッサ・マグナ要素の植物については後述するが、富士山、丹沢山地、箱根火山、天城山に分布の中心があり、サガミジョウロウホトトギス、ムカゴネコノメ、ヒトツバショウマ、カナウツギ、イヌヤマハッカ、タテヤマギク、タンザワヒゴタイなど、相模川を越えて高尾山・小仏山地には分布が及んでいないものが多い。

『高尾山に咲く花』にのみ掲載される植物

カタクリの花

カタクリの花
撮影:村川博實

一方、『高尾山に咲く花』にのみ掲載される植物は約260種、そのうち丹沢山地に分布しない植物は約40種である。

カタクリは日本全国に広く分布するが、丹沢や箱根などのフォッサ・マグナ地区の中心地域には分布が欠けている。ヒメニラ、キバナノアマナ、フクジュソウ、アズマイチゲ、ミツバフウロ、ナツハゼ、マキノスミレ、ラショウモンカズラ、サツキヒナノウスツボ、トリアシショウマ、ウシタキソウ、カメバヒキオコシ、タカオヒゴタイなどは丹沢や箱根にはなく、神奈川県では高尾山・小仏山地に分布が限られている。このように、神奈川県側から高尾山・小仏山地を見ると、フォッサ・マグナ地区の中心地域である丹沢や箱根とは異なった植物相が見えてくる。

また、掲載種が約150種増加したこととあわせて、『高尾山に咲く花』では目立つ花が咲く植物のほとんどを網羅することができた。これらの植物の多くは丹沢山地にも分布しているが、『丹沢に咲く花』ではページ数の制限から掲載できなかったと思われる。

フォッサ・マグナ地区と関東陸奥地区

日本の植物区系とフォッサ・マグナ地区(勝山輝男ほか著、『フォッサ・マグナ要素の植物』神奈川県立生命の星・地球博物館 1997 より)

日本の植物区系とフォッサ・マグナ地区
(勝山輝男ほか著、『フォッサ・マグナ要素の植物』神奈川県立生命の星・地球博物館 1997 より)
図版提供:筆者

日本列島は南北に細長く、亜熱帯から寒帯までさまざまな環境を含み、5000種を超える種子植物(花が咲く植物)が生育している。そのうち全国にくまなく分布する種類はごく一部で、多くは偏った地域に分布している。偏った分布をする植物の分布パターンを整理すると、日本の植物相は琉球や小笠原を除いて大きく5つの地区に分けることができる。

フォッサ・マグナ地区は富士、箱根、伊豆、八ヶ岳など、糸魚川-静岡構造線(フォッサ・マグナ)の南側半分を中心とした地域で、前述した植物のほか、ハコネコメツツジ、サンショウバラ、ハコネハナヒリノキ、イワシャジン、イワニンジン、フジアザミなどがある。火山活動で攪乱を受けた地域に新しく分化した種群が多いが、遺存的に生き残ったと考えられる種群もあり、その成立の要因は単純ではない。この地区に特有な植物をフォッサ・マグナ要素植物という。

襲速紀(ソハヤキ)地区は静岡県中部以西の本州太平洋側、四国、九州などを含む地域で、キレンゲショウマ、ヤハズアジサイ、ギンバイソウなどがある。日本の代表的な種群を含む地域で、多くの日本固有種が生育し、古い遺存種が多く見られる地域である。襲速紀は、南九州の古名である熊“襲”、豊予海峡の別名である“速”水瀬戸、“紀”伊の国に由来する。関東陸奥地区は岩手県以南・千葉県以北の太平洋側で、襲速紀地区と連続した太平洋側地域が、フォッサ・マグナ地区の成立により分断されたもので、フォッサ・マグナ地区の成立以前に本地区まで分布を広げたオオモミジガサやタカクマヒキオコシなどの襲速紀地区との共通種がある。

フォッサ・マグナ要素の植物のうち高尾山・小仏山地に分布が及んでいるものは、ランヨウアオイ、マメザクラ、シバヤナギ、ヤマホタルブクロなどに限られる。標高の高い奥多摩まで含めると、ウメウツギ、マツノハマンネングサ、アカバナヒメイワカガミ、コイワザクラ、ハンカイシオガマ、ホソエノアザミ、ハコネギク、コウモリソウ、ハコネランなどのフォッサ・マグナ要素植物が分布する。奥多摩から高尾山・小仏山地はフォッサ・マグナ地区と関東陸奥地区の移行帯といえる。

箱根の植物

丹沢と箱根は植物地区としては同じフォッサ・マグナ地区の中心地域にあたるが、箱根にはカルデラに伴う芦ノ湖や仙石原湿原、大涌谷の硫気荒原など火山に特有な環境があり、丹沢や高尾山・小仏山地とは異なった植物相がある。まだ未定ではあるが、「箱根に咲く花」ができれば神奈川県西部の性質の異なる3つの山地の植物図鑑が揃う。

勝山輝男 (かつやま てるお)

1955年神奈川県生まれ。神奈川県立生命の星・地球博物館名誉館員。専門は植物分類学。神奈川県植物誌調査会代表。

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