Web版 有鄰

568令和2年5月10日発行

山本幸久と『あたしの拳が吼えるんだ』 – 人と作品

小学4年生の少女がボクシングに打ち込む。ハートウォーミング・ストーリー

山本幸久
山本幸久

ボクシングを題材にした母と子の物語

小学4年生の女の子が、ボクシングに打ち込む。心が温かくなる長編小説である。

「女性のボクシングを題材にしたらどうかと前から考えていて、取材を始めたら面白い人たちがたくさんいたんですよね。はじめは母親がボクシングをする設定だったのを娘の方に切り替え、2018年7月から『読売プレミアム』で連載しました」

洋裁の会社に勤める母、陽菜子と二人暮らしの橘風花は、ある日、ボクシングジムのポスターを目にする。横暴な上級生を殴りたいという動機で入会すると楽しくて、のめり込んでいく。

「『GO!GO!アリゲーターズ』で母子家庭を書いて、母と子の話をもう1回やってみようと考えました。学童保育卒業後の行き場としてもジムに通うため、風花を4年生にしました。誰かに復讐したい、やっつけるという動機からだと後ろ向きな話になるんじゃないかと危ぶみましたが、風花はただ純粋にボクシングをして話を引っ張ってくれ、娘がボクシングをする設定に切り替えて逆によかったなと思いましたね」

風花が入会すると、ジムにはさまざまな人がいた。世界王座戦に挑む女子プロボクサーのサクラや、家庭内暴力がひどい夫と離婚し、ボクシングを習う星矢と6歳の娘、未来。ボクシングに打ち込むうちに、風花にも周囲の人々の心にも変化が生まれる。

「新しい世界に触れることで自分が変わり、周りも変わっていくのは自然なことな気がして、僕が書くとそんな流れになるんですよね。ボクシングものなので、サクラにはヴィクトリア、風花にはボクシング一家に生まれた龍子と、ライバルを登場させました。あとから考えたキャラクターも多く、なんとなく出したらだんだん話に絡んでくるのはよくあります」

“天敵”だった上級生にも複雑な事情があった。「雪渡り」「よだかの星」など宮沢賢治の本にも触れて、風花の世界は広がっていく。

「誰かにとっては嫌な奴かもしれないけれど別の人にはいい奴だったり、見方が変わることもある。ボクシングものでも汗臭くならず、マイルドさも交えたくて宮沢賢治を絡めました。ボクシングで『キックキックトントン』とステップを刻むのとリズムが合う感じもして」

結婚を賭けて、ヴィクトリアとの王座戦にのぞむサクラ。風花もいよいよ試合に出場することになる。

「最近は働き方も変わっていますし、男女のこと、職場、ハンディキャップについても、世の中の流れを意識して書くようにしていますね。がむしゃらは時流とそぐわなくて、でも頑張らないと一歩前進できない。さじ加減が難しいですが、流れを踏まえて面白く読めるようにするのは書きどころでもあります。社会問題を出しつつ、露骨なメッセージ性を持たせないようにしています」

近しい世界を、読者にバトンを渡すつもりで

1966年、東京生まれ。中央大学文学部卒業。編集プロダクションなどを経て、2003年に『笑う招き猫』で第16回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。『凸凹デイズ』『ある日、アヒルバス』『店長がいっぱい』『ウチのセンセーは、今日も失踪中』など著書多数。

「ポプラ社の江戸川乱歩シリーズに始まって、ひとりでずっと本を読んでいる感じでしたね。和田誠さんの表紙が好きで星新一さんを読み、小松左京さん、筒井康隆さんの日本SF、眉村卓さんのジュブナイル、小林信彦さん、都筑道夫さん、カート・ヴォネガット、ジョン・アーヴィング、橋本治さん、澁澤龍彦さん。漫画の編集をしてずっと読む方でしたが、妻の勧めで書いた小説が世田谷文学賞を受賞し、次に書いた長編でデビューしました」

生き生きと魅力的な人物たちが織りなす、読者の心に響く物語を描き続けてきた。

「基本的には、自分の知らない世界を書くようにしています。調べることが多くて大変ですけど、知らない世界の方が面白い。どんな世界を書いても、自分のことのように感じてもらいたい。自分に近しい人がなんか頑張っていて、いい方向に物事が進むんじゃないかな、大成功に結びつかなくても決して無駄な日々ではないという小説になります。それは『願い』であって、僕自身もそうありたいと思っているのかもしれない。受け手主義なので、不意に始まって不意に終わるような感じにして、あとは読者にバトンを渡す気持ちです」

(青木千恵)

『あたしの拳が吼えるんだ』・表紙

あたしの拳が吼えるんだ
山本幸久/中央公論新社/1,800円+税

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