Web版 有鄰

574令和3年5月10日発行

21世紀の小松左京 – 1面

上田早夕里

偉大という言葉だけでは表現しきれない「ミスターSF」

小松左京について語るには、人間とSFへの情熱が必要である。

この偉大なSF作家は、小説だけでも膨大な数の作品を残し、ショートショート・短編・中編・長編と、どのような長さであっても傑作を生み出した。若い頃には漫画も描いていた。SF創作に関する考察や世界中を飛び回って得た知見を、評論や随筆として書き綴った。学問を深く真摯に学び、専門家と討論し、多数の研究者やクリエイターと対談や鼎談を行った。ラジオやTVにもたびたび出演した。大阪万国博覧会と国際花と緑の博覧会という、ふたつの大きなプロジェクトにも関わった。若い頃はラジオ番組の構成作家として働いた。TVドラマの制作も手がけた。映画を作った。著作を自ら脚色して、狂言用の台本を作った。SF系新人賞の選考委員を何度も務めた。その他、数え切れないほど様々な出来事に関与した。阪神淡路大震災発生の際には、いちはやく取材とリポートに乗り出し、東日本大震災発生直後には病床からコメントを出し、その年の7月26日に亡くなっている。

身近で、その活躍ぶりを見ていた方々から、何度もお話を聞かせて頂く機会があったが、いずれも、にわかには信じがたいエピソードばかりだった。炎の如く燃え盛る情熱に突き動かされ、この作家は、普通の人間が成し遂げられる量や質を遙かに超えた活動を続けた。このような作家と、現実の場で、ほんのわずかにせよ接点を持ったことは、私にとって人生における奇跡のひとつである。

もし、将来、小松左京の評伝が書かれる機会があるならば、その際には、個々の作品への批評だけでなく、すべての活動の意味を読み解き、時代の空気も加味したうえで、正確な結論を導き出すべきだろう。このような批評手順について考えるとき、非常に恐ろしい話だが、「小松左京を分析できるのは、小松左京自身だけ」という言葉すら、うっすらと脳裏をよぎるのである。

私(1960年代半ば生まれ)と同世代のSF系クリエイターにとって、小松左京は、偉大という言葉だけでは表現しきれない。SFという道を行く先達であると同時に、同業者として目の前に立ちふさがる厚くて高い壁だった。10歳前後で日本SF第一世代の諸作品と遭遇し、生涯忘れえぬ感動を覚えた方が私の世代には多く、そこを出発点として、分野を問わず、SF系クリエイターになった方が目立つ。勿論、作品に対する好みは人によって違う。最も好きな作家も人によって異なる。だが、それぞれの好き嫌いは別として、高く評価するにしても真正面から反発するにしても、「ミスターSF」とまで呼ばれた小松左京を避けて通ることはできなかった。

科学と文学が結びついて新しい何かが生まれる

『日本沈没 上』・表紙

『日本沈没 上』ハルキ文庫

私が最初に出会った小松作品は、映画とTVドラマの『日本沈没』である。やはり10歳頃だ。自分たちが暮らしている日本列島が海の底へ沈む――という衝撃的な物語と、そこへ至るまでの過程で、人間がどう生き、どう闘うのかという展開は、小学生だった私の心にも深く突き刺さった。何よりも魅力的だったのは、これが科学知識をベースに語られた物語であったことだ。「小松作品の中から好きなものを選んで下さい」と言われれば、他にも挙げられるタイトルはたくさんあるが、『日本沈没』が特に印象的なのは、理系の目で日本列島を見る視点に加えて、文系の目で日本という国の本質を露わにしてゆく――このSF作品としてのバランスのよさが、見事に決まっているからである。そのいっぽうで、谷甲州との合作である『日本沈没・第二部』が出たあとも、まだ物語が終わりきっていないような気がした。そこまでの広さと深さを感じたのだ。

SF作品は、「科学に詳しくなければ理解できないのではないか」とか「内容が難しくて楽しめないのではないか」と心配されることが多い。確かに、世の中にはそのような作品もあるのだが、小松作品には、そうではないものも多い。むしろ、小松作品を読むことで、「科学とは、こんなに面白い学問だったのか」と、しばしば目を開かされたものだ。科学と文学が結びついて新しい何かが生まれる瞬間を、私は小松作品に限らず、新しいSFと出会うたびに、いまでも感じている。時代や作家性を超えた、このジャンルの大きな魅力だろう。

小松左京自身が、理系出身ではなく、京都大学出身の文学士であったのは大変興味深い。文学の素養の上に、理学や工学の知識をベースにした大輪の花を咲かせた作家なのである。SF作家の中には、文系と理系の双方の知識を、車の両輪の如く操って作品を書ける方が多いが、小松左京はその代表格だった。人間の性質や指向を、最終学歴によって文系と理系に分けてしまう無意味さを、作品によって示した人だった。

ごく単純に語り手としても優秀であり、面白おかしいホラ話を書いたり、血が凍るような恐怖譚を書いたり、しっとりとした人情を書く作家でもあった。私は特に怖い話が好きだった。「夜が明けたら」「くだんのはは」「兇暴な口」「影が重なる時」「骨」「沼」等々、ぞくぞくするような見事な短編群だ。いまでも細部まで思い出せる。

「SFこそが文学である」――という言葉を、小松左京は随筆などで、たびたび繰り返している。そうでなければ語りえないもの、到達できない領域があるのだと突き詰めた結果、それは人類の未来を宇宙進出に見出す物語となり、その集大成が『虚無回廊』となるはずであったが、この作品が未完となってしまったこともあり、私の記憶には、やはり、初期から中期にかけてのいくつかの長編と、数々の短編のほうが鮮烈な印象となって刻まれている。『虚無回廊』が完結しなかったのは、本当に残念でならない。小松左京には「『虚無回廊』だけは合作にしたくない、自分の手で完結させる」という気持ちが強くあったようで、だから読者としては、よけいに無念極まりない。

「まだ訪れていない未来」について考える

20世紀生まれの小松左京が残した文章は、その大半が20世紀に書かれたものである。SF作家としての本格的な出発点を、早川書房主催の第1回空想科学小説コンテストで努力賞を獲得した「地には平和」(1963年に「地には平和を」と改題され『宇宙塵』63号に掲載)と見做すなら、この作品の受賞は1961年だから、もう60年前の話になる。

現代社会との接点に常に敏感であり続けた小松左京は、書き手としても20世紀の社会通念と無縁ではいられず、それが各作品に色濃く反映されている。それゆえ、21世紀の価値観で見たとき、いくつかの作品には時代性を考慮すべき要素も含まれているが、それだけの理由で、この膨大な作品群が、今日、退けられてよいはずはない。むしろ、当時はわかりにくかった事柄や、いまこそ見出されるべき諸々が、賛意にせよ反論にせよ、積極的に言及されるべき時期に、いま来ているのではないだろうか。

小松左京について語るとき、ひとつ付け加えておきたい点がある。小松左京は、決して「無謬の人」ではなかった。完全無欠な神の如き存在からはほど遠い、どこまでも「人間的な」作家だった。新人賞の選考で若い才能の将来性について他者と意見が食い違ったり、作品を「第一部・完」のまま、なかなか続きを執筆できなかったり、莫大な費用がかかるSF映画の制作に乗り出してトラブルを抱え込んでしまったり――と、社会的な大成功とは裏腹に、たくさん大変な目にも遭った方だ。

だからこそ、あきらめなかったのだろう。

何があっても、SFへの愛を捨てようとしなかったのだ。

晩年、小松左京は、著作がマルチメディア展開される際、下の世代に活躍の機会を与え、彼らが作品内容を改変することにも、驚くほど寛容だった。改変されても自分の作品の本質は必ず伝わるのだという、絶対的な自信があったのだろう。SFの可能性を、そこまで強く信じていたに違いない。

最後に、小松左京の戦中体験を反映した作品群について、少しだけ触れておく。これらは今後、ますます貴重な時代の証言になると同時に、読解の課題となっていく作品群だと思われる。さきほど名を挙げた「地には平和を」の他に、たとえば、日本国内で突然始まる軍事衝突を描いた「春の軍隊」は、この国が見て見ぬふりをしてきた数々の出来事や、これから起こり得る可能性について、見てきたように記述しており、とても恐ろしい。

『復活の日』・表紙

『復活の日』ハルキ文庫

『復活の日』で描かれたパンデミック、『日本沈没』で描かれた大震災など、実際に体験したときに小松左京の視点に驚かされた事柄は多いが、それは神秘的な予言などではなく、人と社会との在り方を冷静に観察し続けてきた書き手にとって、自然に導き出されてしまう「現実」だったと言えるだろう。

だから読者は、小松左京が想像した「まだ訪れていない未来」について、いまでもときどき、現実に引きつけて考えてみるべきだ。恐ろしい未来を回避する術は、私たちの日常的な思考と行動の中にしかない。小松作品は、いまでも私たちを試している。

現実において、その問いに応えることこそが、小松左京が生涯をかけて取り組んだ仕事への、私たちの、せめてもの返礼ではないだろうか。

上田早夕里
上田早夕里(うえだ さゆり)

1964年兵庫県生まれ。小説家。
著書『華竜の宮』ハヤカワ文庫 上・下各814円(税込)、『ヘーゼルの密書』 光文社 1,980円(税込)、ほか多数。

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