Web版 有鄰

574令和3年5月10日発行

特別な場所だった – 海辺の創造力

原田ひ香

これは私の偏見だが、横浜や湘南地域の人間というのは、あまり東京に行かない。特に学生時代は。東横線や東海道線に乗れば、電車一本で20分や30分で着いてしまうのに、行かない。(と、ここからは他県から最近とみに指摘される、横浜の人間の鼻持ちならない、地元自慢が始まるが、有隣堂さんから頼まれたエッセイだし、思う存分自慢するつもりなのでこらえていただきたい)

たぶん、横浜には横浜の独自の文化圏があって、そこで事足りてしまうので、特別、お金や時間をかけて東京まで足を運ぶ必要も理由もないからではないか。

以前、林真理子さんがご自身の人生の食べ物にまつわるエッセイの中で「横浜方面の友達はあまり東京まで来なくて遊べなかった」という趣旨のことを書いていらして、本当にその通り、と膝を叩いた。確かに、そんな一面が横浜の人間にはある。

だから断言は出来ないんだが、自分の学生時代のころ……すでに30年以上も前のことだ……有隣堂のような書店は他になかったんじゃないか、と思うのだ。いや、横浜独自の文化圏を、象徴しているのがまさに有隣堂だった。

私が高校生から大学生の頃(いわゆるバブル経済まっただ中)、横浜の地下街の中に、有隣堂の売り場がぐいぐい増えた、と記憶している。地下街の奥の方に文具を主に扱っている店舗もあったし、何より、文庫本のみを取りそろえた店があった。

あれは夢のような書店だったなあ。

初期の頃は出版社順でなく、作者の名前順に本を並べていたと記憶している。のちに、やはり本の整理が大変だったのか、出版社順になったけれど、本当に画期的だった。

高校生にはお金がなかったし、私は横浜に着くととりあえずあの文庫のみの書店に行って小一時間見てまわり、そのあと、有隣堂の広い売り場を隅から隅までまわる、というようなことをほとんど毎日のようにくり返していた。

そして、あの美しい10色の文庫本カバー。こちらは今も採用されているが、あれがまた、私たちの誇りだった。「東京で別の書店に行って文庫本を買ったら、カバーがつまんなくてびっくりした」というようなことを誇らしげに友達と言い合ったものだ。

時代も良かった。私は自分の読書遍歴を村上春樹さん中心に考えてしまう癖がある。村上さんが、『羊をめぐる冒険』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ノルウェイの森』『ダンス・ダンス・ダンス』と続けざまに出版された頃で、毎日、有隣堂に行くたびに、新しい本が出ているのではないかとドキドキした。

そして、有隣堂伊勢佐木町本店である。横浜駅でなくて、伊勢佐木町に6階建ての素敵な本店があるというのがまさに、横浜の書店であることの真骨頂だと思うのだが、それを語るのはまた別の機会に。

(作家)

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