Web版 有鄰

576令和3年9月10日発行

カレーと日本酒 – 海辺の創造力

倉嶋紀和子

「二日酔いになるために呑んでます」。

あたしの酒呑み史の中で黒船来航とも言える、衝撃的な出逢いだった。安西水丸さんだ。イラストレーターとしてはもちろんのこと、稀代の酒呑みとしても名を馳せた方だ。

初めてお逢いしたのは、かつて銀座にあった小料理屋「卯波」。俳人・鈴木真砂女さんが創業されたお店だ。真砂女さん亡き後は、甥っ子さんが後を継がれていた。雑誌「古典酒場」でのインタビュー企画にご登場頂いたのだが、コップ酒片手にニヤリとしながら繰り出されるは、毒舌のオンパレード。そして「酒を呑まない人は信じない」と、のたまわれたのだった。その人柄に魅せられ、以来、仕事でもプライベートでも酒量を多く酌み交わさせて頂いた。

大のカレー好きでもあった水丸さんからは常々、“カレーと日本酒”の組み合わせの素晴らしさも聞かされていた。

“田舎者”(水丸流毒舌の一種。赤坂生まれの水丸さんにとってはどんな人も田舎者になるであろう)であるあたしは、本当に田舎者で、カレーといえば、じゃがいもと人参がごろりと入った家庭的欧風カレーしか知らなかった。どうにもうまく話が噛み合わない。どうやら水丸さんの言うところのカレーは、パキスタンやインドなどのスパイスカレーのようだった。だからと言ってにわかには日本酒と合うなどとは到底思えぬ。そもそもスパイスカレーを食べたことが無いし。そんなあたしの晴れぬ疑念に、重ねるようにおっしゃったのが、「お米に合うものは、日本酒にも合うんです。同じ米からできているのですから」。確かに!そこでようやく味わってみたいと思える境地になったのだった。

「水丸さんカレー部」を結成し、水丸さんが愛した様々なカレー屋さん(西荻窪「ラヒ パンジャービー・キッチン」、麹町「アジャンタ」、渋谷「ネパリコ」など)で、水丸さんご愛飲の日本酒「〆張鶴 純」を鯨飲しながらカレー呑みに耽溺するようになった。冒頭の言葉は、その部活動の時に水丸さんがおっしゃられたもの。真の呑み師を見た、そう思った。そしてあたしの扉は開かれた。

「何に合わせても勝手でしょ。好き嫌いに正直にならなきゃ」。カレーと日本酒を論じる時におっしゃられた水丸さんの言葉。これは、水丸さんの人生にも通底されていたことではないかと、勝手に推察している。そしてこの言葉は、水丸さんの数多の酒語録とともに、あたしの人生の羅針盤ともなっている。

カレーというものは不思議だ。もっとも愛される国民食であり、だからこそ、皆それぞれ、細部にまでこだわりがある。“自分だけのカレー”に拘泥し、一家言もつことを求められていると言ってもいい。しかし一方で、新たな世界への扉をも開いてくれるのだから。

安西水丸という黒船によってあたしにもたらされたカレーと日本酒という文明開化は、あたしの中でさらに開き続いている。

(「古典酒場」創刊編集長)

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