Web版 有鄰

577令和3年11月10日発行

仏像をめぐる神奈川・横浜・鎌倉 – 1面

山本 勉

運慶に出会う

大日如来像 光得寺蔵

大日如来像
光得寺蔵

横浜に生まれ育ったわたしが仏像にめざめたのは大学2年生。仏像研究者としては遅いほうだろう。1974年秋、東京芸術大学の研修旅行でおとずれた奈良・円成寺でのことである。当時、本堂内に安置されていた運慶作大日如来像を拝して、まぎれもない人体彫刻としてそこにある仏像に感動して、作者運慶のこと、そして仏像のことを勉強したいとすなおに思った。研修旅行の引率教官水野敬三郎助教授(現名誉教授)が気鋭の運慶研究者であることは知っていたが、水野先生の著書や論文をまじめに読み始めたのはそれからだ。

神奈川県文化財図鑑、鎌倉彫刻展、有隣新書

東京に帰ってからは、1年先輩の副島弘道さん(現大正大学名誉教授)に声をかけられ、おもに関東地方のお寺の仏像調査をはじめた。やがて、調査に水野先生に参加していただく機会も生まれた。

その頃(大学3年になっていた1975年の6月だった)、ダイヤモンド地下街の有隣堂で新発売の『神奈川県文化財図鑑 彫刻篇』(神奈川県教育委員会刊)に出会った。勉強を始めてからのバイブルであった『奈良六大寺大観』(岩波書店)と同様の体裁で編集された大型図録に収録された、神奈川県所在の国・県指定の仏像写真に圧倒され、大冊の割には廉価だったから、すぐに購入した。

この年の秋には東京国立博物館で特別展「鎌倉時代の彫刻」という空前絶後の大展覧会が開かれ、各地の鎌倉彫刻が集結した。それより10年ほど前に、横須賀市・浄楽寺毘沙門天像から運慶の名を記した木札が発見されたことによってはじまった「東国の運慶」の評価が、鎌倉時代彫刻史研究にいかに大きな変化をもたらしたかは、眼前にならぶ仏像群から、知識の浅い学生にも実感できた。特別展にあわせて東博は月刊研究誌『MUSEUM』の3号分を特集「鎌倉彫刻研究」にあてている。水野先生の「運慶と工房製作」をはじめとする諸論文が、自分を鎌倉時代彫刻史の研究に招いているように思えた。

年が明けた1976年には有隣堂から「有隣新書」が創刊され、最初の刊行書目のなかに三山進先生(故人。元青山学院大学教授)の『鎌倉と運慶』があった。三山先生は元鎌倉国宝館学芸員で、当時神奈川県下の多くの自治体の文化財審議委員をつとめる専門研究者だったが、一時期推理小説家でもあった人で、その叙述にも、運慶への視点にも、普通の美術史家とは異なる魅力があった。

100躰の仏像を観る

運慶と仏像の歴史を学びたい。その一念だけで大学院に進んだのは1977年。水野敬三郎先生がわたしの指導教官となった。その年の春には伝統ある古美術研究誌『国華』が2号にわたる鎌倉彫刻特輯を組んでいる。

その秋、横浜の神奈川県立博物館(現在の神奈川県立歴史博物館)では「100躰の仏像を観る―神奈川の彫刻―」という特別展が開かれた。神奈川県下全域の、当時知られていた古代・中世の仏像を一堂に会した、これも空前絶後の規模の大展覧会だった。ここでも浄楽寺の運慶作諸像が中核にあった。

県博は当時住んでいた実家からほど近く、何度も通ったが、そのころくりかえしていた調査の流れもあって、展覧会出品中の仏像も調査できるものがあればと、水野先生に相談したところ、展覧会の企画担当の清水眞澄さん(現三井記念美術館長)に紹介してくださった。こちらの希望と県博の事情を勘案して、水野先生や研究室の先輩とともに何体かの仏像の調査が県博で実現した。これがご縁で、清水眞澄さんが担当していた県下の仏像調査にもときおり誘っていただくようになった。

中世彫刻史研究

仏像調査は楽しかったが、大学院での自分の運慶研究には大きな壁を感じていた。伊豆・願成就院や浄楽寺の運慶作品など東国の運慶に関して何かを考えたいと思ったが、どうにも手も足も出ない。やや苦しまぎれだったが、たまたま出会った史料を糸口にして、当時まだ研究がなされていない鎌倉時代中・後期の仏師研究を自分の課題とすることになった。運慶からは少し離れたが、この研究には意外に手ごたえがあった。

3年間籍をおいた修士課程の最後の頃に、芸大の保存修復技術研究室・水野研究室が合同で鎌倉市寿福寺の中世の脱活乾漆像の遺品「籠釈迦」を調査する機会があったが、その報告の一部を書かせていただいたのは、わたしが中世後期まで視野に入れた研究をしていたからだろう。この報告がわたしの公刊された最初の論文になった。

修士論文をまとめて博士後期課程に進んだ。仏像調査を続けられる仕事につけるかもしれない。夢に近づけたような気がした。

運慶にふたたび、三たび出会う

博士に進んで1年後、1981年に思いがけず東京国立博物館の研究員に採用された。当初の業務は仏像とは関係がなかったが、自分の研究では、水野先生たちと銘記や納入品で鎌倉時代の製作年代がわかる彫刻作品の集成を本格的に開始して、全国各地で調査の機会はあった。また、その頃東博に上司として赴任した田中義恭さん(元茨城大学教授)のおともで奈良市彫刻調査に参加するなどのこともあったが、鎌倉周辺や東国の仏像というテーマからはやや遠ざかったような気もしていた。

しかし、その後1986年に、ふとした縁で、わたしは東国の運慶作品に出会う。当時まだ大学生だった大澤慶子さん(現文星芸術大学准教授)の慫慂で調査した栃木県足利市・光得寺大日如来像である。銘記や史料で確認できるわけではないが、諸条件から運慶作品と考えた。東博の紀要に長編の論文を書き、やがて単著『大日如来像』(至文堂、1997年)にもつながる。あんなに遠かった運慶にも、そして鎌倉を中心とする東国の仏像にも、やっと近づけた。

東博には24年在籍したが、退職を決めていた2003年、わたしはもう一度運慶に出会う。ある個人からお手紙をいただいて、1体の大日如来像を調査したのだが、その像は光得寺像と同じ足利にあった像と思われ、作者はやはり運慶だと考えた。東博勤務最後の年、2004年に展示で公開し、論文も書いた。この像が米国のオークションに出品、高額で落札され、社会的な話題を巻き起こすことになるのは2008年、わたしが清泉女子大の教員に転じて4年目の春である。像は真如苑真澄寺の所蔵となり、現在は東京・半蔵門ミュージアムに安置されている。

横浜の仏像

もともと仏像調査を続けていたくて研究の道に進んだものだから、調査の機会がないと、どうも落ち着かない。そんなわけで自治体の文化財審議会の彫刻担当に、という声がかかると割合気軽にひきうけてきた。神奈川県の委員が一番早かったと思うが、県下ではそのあと鎌倉市・横浜市・伊勢原市・海老名市・川崎市でも委員をおおせつかっている。

とくにほぼ毎年度、指定をしている鎌倉市と横浜市では多くの調査の機会があり、ありがたかった。鎌倉が仏像史の重要な地域であることはいうまでもないが、横浜市では指定のほかにも横浜市文化財総合調査が続いており、かならずしも注目されていなかった市域にも、古仏がかなりあることを知った。

横浜市歴史博物館は、その調査成果をもとにして、2021年の1月から3月まで市内の仏像の特別展を企画し、わたしはその監修を依頼された。2020年春に大学を退職して1年たたないうちで時間は少なく、しかもいわゆるコロナ禍が準備や開催の期間をおおい、困難は多かったが、文化財総合調査主任調査員の萩原哉さんや歴史博物館の担当学芸員吉井大門さんのご協力で、りっぱな特別展「横浜の仏像―しられざるみほとけたち―」が開催できた。故郷横浜に、仏像の仕事で貢献できたのはよろこびだった。

鎌倉国宝館長に

鎌倉国宝館常設展示の様子

鎌倉国宝館常設展示の様子

鎌倉市から鎌倉国宝館の館長にと要請を受けたのは、横浜の仏像展の開催が近づいた頃である。お受けして、展覧会の終わった直後、2021年の4月から勤務している。

前にふれた有隣新書には、『太平寺滅亡』(1979年)という、三山進先生の自伝的な1冊があり、そのなかには、三山先生が鎌倉国宝館に採用されるとき、面接で当時の館長渋江二郎氏(故人)から「酒は呑むか」と問われ躊躇しながら酒を好むと答えたが、あとで渋江館長は「酒嫌いだったら採用しなかった」と笑いながら話したというくだりがある。館長室の椅子にはじめてすわったときに、三山先生の叙述が思い浮かんだ。

思えばわたしの研究は、ずっと運慶や鎌倉時代の仏像であり、地域としては鎌倉を中心とする東国だった。『東国の鎌倉時代彫刻―鎌倉とその周辺―』(ぎょうせい、2011年)という一書を書いたのもそれゆえであるが、だからこそ鎌倉に職をいただいたのはほんとうに光栄だ。

もっとも、館長という立場で何をすべきか、まだよくわからない。いまは若い学芸員がきびきびとはたらく姿にそばで接せられるのを幸福に思うばかりである。鎌倉や神奈川のために自分に何ができるかは、これからゆっくり考えたいと思っている。

山本 勉
山本 勉(やまもと つとむ)

1953年横浜市生まれ。鎌倉国宝館長。
著書『完本仏像のひみつ』 朝日出版社 2,090円(税込)、他。

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