Web版 有鄰

590令和6年1月1日発行

横浜小説ガイド – 2面

細谷正充

開港して発展した横浜

鎌倉時代から開発の進んだ横浜だが、本格的な発展は幕末まで待たなければならなかった。安政5年(1858)の日米修好通商条約により、徳川幕府は何ヶ所かの開港場を造ることになる。そのひとつが神奈川湊だ。だが諸般の事情で、神奈川湊の対岸にある横浜に港湾施設が造られた。これにより横浜は海外へと開かれた国際港湾都市として、急速に発展していったのである。

このような経緯があるためか、小説の世界でも、開港後の横浜を扱った作品が多い。まず、横浜出身の長谷川伸の「舶来巾着切」だ。時は明治。男だが“くノ一″の異名を持つ掏摸が、白人の掏摸に立ち向かう。掏摸の世界にまであった日本と海外の軋轢と、ラストで明らかになる白人掏摸の事情が読みどころ。ちょっと切ない話である。

『霧笛』大佛次郎ベストセレクション

『霧笛』大佛次郎ベストセレクション
未知谷

やはり横浜出身の大佛次郎は、幾つか横浜を舞台にした作品を執筆している。その中でも特に優れているのが「霧笛」だ。こちらも明治が舞台。主人公の千代吉は、外国人居留地にあるイギリス人のクーパーの屋敷で働く下男だ。このふたりに、後にクーパーの愛人と判明するお花が加わり、三角関係のような構図になる。しかし、作者の一番の眼目は違うところにある。千代吉がクーパーに抱く複雑な感情だ。わけもなく敵意のような気持ちを抱きながら、一方で強い姿に委縮し、憧れを持つ。当時の日本人の西洋に対する想いを表現したのであろう。

外国人居留地は作家の創作意欲を刺激するらしい。早乙女貢の『城之介非情剣』は、両親を非業の死に追いやった仇たちを捜し、ジョーこと柊城之介が外国人居留地にやって来る。そして仇をひとりずつ殺していくのだ。阿片とセックスが入り乱れる外国人居留地で繰り広げられる、血とエロスに満ちた復讐劇が堪能できるのである。

ミステリー、アクション
歴史の舞台

平谷美樹の『小倫敦の幽霊 居留地同心・凌之介秘帖』は、幕末の外国人居留地のリトル・ロンドン地区をメインの舞台としたミステリー。横浜外国奉行所の若き同心・草間凌之介が、幽霊騒動と殺人事件の謎を解く。日本と同じようにリトル・ロンドンを愛する凌之介と、国籍に関係なく彼に協力する人々の躍動が楽しめる。

その他、明治の横浜を舞台としたミステリーとして、翔田寛の『消えた山高帽子――チャールズ・ワーグマンの事件簿』、高橋克彦の『いじん幽霊 完四郎広目手控3』、戸南浩平の『木足の猿』、橘沙羅の『横濱つんてんらいら』など、幾つかの作品がある。どれも面白いので、存分に明治の横浜に浸ってほしい。

横浜を舞台としたミステリーは多く、三好徹の「天使」シリーズ、谷恒生の『錆びた波止場』『横浜港殺人事件』、成田名瑠子の『不機嫌なコルドニエ 靴職人のオーダーメイド謎解き日記』、伊東潤の『オフリミッツ 横浜外事警察』、天祢涼の「縁結び神社の事件簿」シリーズ、真保裕一の『こちら横浜市港湾局みなと振興課です』など多士済々。横浜中華街を重要な舞台としたミステリーなら、岩井圭也の「横浜ネイバーズ」シリーズ、本城雅人の『境界 横浜中華街・潜伏捜査』がある。横浜ミステリーの女王である山崎洋子の『花園の迷宮』『ヨコハマ幽霊ホテル』『横浜秘色歌留多』『マスカット・エレジー』『ヨコハマB級ラビリンス』『横浜幻燈館 俥屋おりん事件帳』も見逃せない。

もちろんミステリー以外の作品もある。中島久枝の「浜風屋菓子話」シリーズは、父親の死により閉めざるを得なかった老舗菓子店「橘屋」を再建しようとする少女・日乃出の奮闘が描かれている。第一弾『日乃出が走る』で彼女は、無謀な菓子勝負に挑む。その勝利の鍵を握るのが、幻の西洋菓子のレシピというところが、いかにも横浜という感じだ。

手代木正太郎の『異人の守り手』は、慶応元年(1865)の横浜を舞台に、密かに異人を守護する4人の活躍を綴った連作アクション小説だ。多数の実在人物と史実を絡めながら、4人を縦横に暴れさせる、作者の手腕が楽しめた。それにしても第3話のサム・パッチとか、実に渋い人物のセレクトである。

幕末の歴史を俯瞰したとき、絶対に見逃せないのが生麦事件である。文久2年(1862)、武蔵国橘樹郡生麦村(横浜市鶴見区生麦)で、薩摩藩の行列と遭遇したイギリス人たちを藩士が殺傷。これが切っかけとなり薩英戦争が勃発した。歴史を大きく動かした大事件なのである。吉村昭の『生麦事件』は、この事件の一部始終を丹念にたどった歴史小説だ。生麦事件に数十ページを費やしているが、物語の発端に過ぎない。だが、ラストで生麦を通過する実在人物を登場させ、この事件の重要性を再確認させてくれる。

女学校・山手・元町・関内・進駐軍・横浜駅

『乙女の港』

『乙女の港』
実業之日本社文庫

横浜の特色といえば、女学校(ミッション・スクール)も挙げられるだろう。川端康成の『乙女の港』は、昭和初期のミッション・スクールを舞台に、少女たちの愛と夢が描かれている。上級生と下級生の間で結ばれる絆――いわゆる“エス”を題材にしたことで、戦前の少女たちを熱狂させた。

白鷺あおいの「大正浪漫横濱魔女学校」シリーズは、大正時代の山手にある「横濱女子仏語塾」に通う少女たちが、横浜に現れた化け豹騒動にかかわる。主人公たちは妖魅(妖怪)であり、通っているのが魔女学校というのが物語のミソ。いろいろな能力を持つ少女たちの活動が愉快である。

紙幅がなくなったので、あと5冊ほど簡単に触れる。吉川英治の『かんかん虫は唄う』は、横浜港でかんかん虫(船の錆び落としなどを仕事とする肉体労働者)をしている14歳のトム公が主人公。彼らを人間扱いしない金持ちをやっつけるなど、溌剌とした少年だ。少年時代に横浜ドッグの船具工になった吉川にとってトム公は、当時の自分の夢を託したヒーローだったのではなかろうか。

永井紗耶子の『横濱王』は、三渓園を造った横浜一の大実業家・原三渓(富太郎)を対象にした近代歴史小説。視点人物に工夫があり、三渓の魅力的な実像に迫ることに成功している。

『やっさもっさ』

『やっさもっさ』
ちくま文庫

横浜出身の獅子文六にも、故郷を舞台にした『やっさもっさ』がある。進駐軍と日本人女性の間に生まれた子供たちを引き取る孤児院の運営を任された志村亮子を中心にした群像ドラマだ。戦後の混血児問題を取り上げており、厳しい場面もある。だが全体のタッチは軽やかだ。獅子のエスプリを堪能したい。

大崎梢の『横濱エトランゼ』は、女子高生の千沙が主人公。フリーペーパー「ヨコハマ・ペーパー・コミュニティ」(通称「ハマペコ」)を週一で発行している、横浜タウン社でアルバイトをしている。そのバイトを通じて彼女は、元町・山手・根岸・関内・馬車道と、横浜各地の歴史を知ることになるのだ。ミステリー・フレーバーのストーリーに乗せて語られる、各地の歴史が興味深い。

『横浜駅SF』

『横浜駅SF』
KADOKAWA

ラストは、柞刈湯葉の『横浜駅SF』だ。増殖した横浜駅に本州のほとんどが覆われた世界。横浜駅外で生まれた青年が、5日間限定で駅に入場できる「18キップ」を手に入れ、エキナカ世界を冒険する。物語の発想の原点は、横浜駅の改修工事。どこかの工事が終わっても、別の工事が始まるので“日本のサグラダファミリア”といわれていた。そこから空想の翼を広げ、壮大なストーリーを創り上げたのである。横浜駅を使用している人に、是非とも読んでほしい1冊だ。

細谷正充(ほそや まさみつ)

1963年埼玉県生まれ。アンソロジスト、文芸評論家。
編書『鎌倉燃ゆ 歴史小説傑作選』PHP文芸文庫 990円(税込)、『土方歳三がゆく 時代小説傑作選』集英社文庫 638円(税込)他多数。

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