Web版 有鄰

590令和6年1月1日発行

岩井圭也と『楽園の犬』 – 人と作品

不条理な状況で、人はどう生きていけばいいのか
太平洋戦争勃発直前の南洋を舞台にした、長編スパイ小説

岩井圭也
岩井圭也

中島敦の日記や小説から関心を抱く

太平洋戦争が勃発する直前の、南洋サイパンを舞台にした長編小説である。

「10年ほど前に中島敦の全集を読み、南洋に赴任していた頃の日記や短編から当時の状況に興味を抱いて、いつか書きたいと思っていたんです。2年前に角川春樹事務所から小説を依頼され、今なら挑戦できるかなと書くことにしました。史料を調べると書きたいモチーフがたくさんあって、それらを繋げる要素としてスパイを考えました」

持病の喘息が悪化した麻田健吾は、転地療養を兼ねて1940年11月、南洋庁サイパン支庁へ単身赴任する。この転職は、海軍の堂本頼三少佐の下で、情報収集を行うことが条件だった――。

「同じ頃に南洋庁に赴任した中島敦から麻田の材を取り、堂本は小説全体の謎になるような、得体の知れない人物にしました。敵地に潜入して諜報活動を行うのがスパイ小説の主流ですが、この小説は防諜で、現地に潜むスパイを見つける、あまりない形のスパイ小説になっています」

事件を探るうちに時は流れ、1941年12月8日、太平洋戦争が勃発する。

「序から3章までを月刊誌に連載し、大幅に改稿した4章と終章は書き下ろしで単行本化しました。どんな状況でも生き抜くという、僕のこれまでの小説に通底する流れで俯瞰して、テーマ性がより際立つ形になりました。

戦争は書き手の姿勢が問われる大きな題材で、“新しい戦前”と言われたりする今は、新しい戦争観みたいなものが必要な時代になっていると思います。先達のように戦争を直接的に書くことはできませんが、先の戦争に至った経緯や、当時の人のふるまいを検証するのは大事で、今まさに書く意味がある。歴史として掘り起こし、現代と照らし合わせて考える作業は、我々の世代だからこそできるのではないかと思います」

不条理な状況で、人はどう生きていけばいいのか。時代のうねりの中にある、個人の思いに胸打たれる物語だ。

「この小説を書き始めてから、中島敦の作品をあらためて読むようになりました。故事や古典に材を取って中島なりの解釈で物語にする手際が見事だし、独特の味わいは知性、誠実さ、優しさという言葉で表現できると思うんです。短い作家活動であれほどの小説を残したことに情熱を感じますし、もう少し長く生きて終戦を見たらどう思ったんだろうなと思います。早世の天才には惹かれるところがあって、燃えるような情熱を見てみたかった。中島敦という存在から生まれた小説であるのは間違いないです」

『対話と居場所』を書いてきた

1987年、大阪府出身。北海道大学大学院修了。2018年、『永遠についての証明』で第9回野性時代フロンティア文学賞を受賞し、作家デビューした。著書に『文身』『完全なる白銀』など。

「最初に読んでいたものでは、スマーフの絵本が印象に残っています。5歳の頃には、自分で紙芝居を作っていたそうです。『小学三年生』に連載されていた北森鴻さんの『ちあき電脳探偵社』が好きで、1年で終わってがっかりし、じゃあ自分で書こうと小説を書く気持ちに火がつきました。大学で体育会の剣道部に所属していっとき読書から離れ、2年次の遠征で品川の書店を覗いて小説を書くことを思い出しました。それから修士を終えるまではジャンルを固定せずにたくさん読んで、町田康さんの作品にはまりましたね。東京で就職し、研修期間に小説を書いたら短編が完成したんです。長編も書けたので投稿を始め、6年後にデビューしました。落選はつらかったですが、早朝に書き、通勤電車で読書というふうに、書くことが生活の一部になっていきました」

横浜市在住。書き下ろし文庫シリーズ『横浜ネイバーズ』は、街にフォーカスした青春ストーリーだ。

「書きたいテーマが常に複数あるので、そのときの社会情勢や自分の状況に応じて選んで書いています。振り返ると、『対話と居場所』を書いてきたと思います。友情、国家と個人など、他者とのコミュニケーションは僕にとっても重要なテーマで、居場所を求める主人公が多い。たとえ国家が巨大でも、自分の知力を尽くして第三の道を探ることは、生きる上で大事なこと。真正面から挑んで散るのでも、逃げ出すのでもない、現状から目を背けずに第三の道を探る、したたかな生き方を提示し続ける小説家であれたらいいなと思っています」

(青木千恵)

『楽園の犬』

楽園の犬
岩井圭也/角川春樹事務所/1,980円(税込)

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