Web版 有鄰

570令和2年9月10日発行

スズメと日本人 – 2面

三上 修

スズメの声

見返り姿のスズメ。

見返り姿のスズメ。
一見、茶一色のイメージですが、実際は複雑な模様をしています。
筆者提供。

私は鳥の研究者で大学では生物学を教えています。こういう時期ですから、実験室での生物学実験もままなりません。そこで先日、学生が家でできる課題として、「スズメがよく鳴く時間帯を調査せよ」というのを出しました。

学生が、各自の家で窓を開けて、朝昼晩にスズメの声を聴いて、何羽鳴いていたかを記録してくるのです。大半の学生は、あの「ちゅんちゅん」鳴く声をスズメだと思って記録してきます。しかし中には「家の周りで鳴いている小鳥の声」を「スズメの声」として数えてくるものもいますし、さらには、カラスの声まで含めてしまうものも。

カラスの声まで含めるのは「さすがにどうだろう」とお思いかもしれませんが、こういうことはよくあります。川に泳いでいる小魚は全て「メダカ」に見えたり、黄色い花はどれも「タンポポ」に見えたり。私だって、自分の分野から一歩外へと出てしまえば、言葉とそれを指す実体の対応がいい加減なことはよくあります。なお、前述のような学生の間違いは大歓迎です。間違うことで、学生らは、普段、意識していなかった生き物の声に注意するようになりますし、何かを測定する上で、共通認識が重要であることについて学んでくれるからです。

2つの意味を持つ「スズメ」

さて、先のような前置きをした上でお尋ねします。「スズメをご覧になったことがありますか?」と。この質問に対して自信をもって「ある」と答えることができる方は多くないのではないでしょうか。普段、目にしているのは本当にスズメなんでしょうか? 漠然と、身の回りにいる小鳥をスズメと思っていたりしないでしょうか?

実際、私たちの身の回りには、スズメ以外の小鳥も結構います。都心であっても、大きな公園に行けば5種くらいは見かけます。四季を通して観察すれば、20種にもなるでしょう。

となると普段、「スズメでない鳥」を誤って「スズメ」と認識していることがありそうです。つまり「スズメ」という言葉には、2通りの意味があると言えるのです。「生物種としてのスズメ」と、漠然と「そこらにいる小鳥」という意味と。

「そこらにいる小鳥」を「スズメ」という言葉で代用してしまうのは、少々不思議な気がしますが、おそらく子供のころから「身の回りにいる鳥=スズメ」という常識の中に暮らしていたからでしょう。そしてその常識は、概ね正しいのです。なぜなら「身の回り」にいて、最も「数が多い」小鳥は、やはりスズメだからです。

古くから身近な鳥

では、日本人にとってスズメとは、いつごろから身近な鳥だったのでしょうか。古い文章の中にはしばしば「雀」という表記が出て来ます。『古事記』にも出てきますし、『枕草子』には「心ときめきするもの。雀の子飼ひ」などで出てきます。もちろん「雀」と書いてあるだけでは、それが「生物種としてのスズメ」を指しているのかどうかはわかりません。「そこらにいる小鳥」の可能性もありますし、はたまた今とは違う別の鳥を指している可能性もあります。しかし、それらの文献のいくつかには、「生物種としてのスズメ」を連想させる記述もあるので、おそらく我々の知る「スズメ」なのだろうと推測できます。

一方で、逆説的ですが「登場しないからこそ、スズメが身近な鳥だったのではないか」と思わせる文献もあります。その文献とは『万葉集』です。『万葉集』には、ホトトギスやウグイスを始め、いろんな鳥が出てくるのですが、スズメを詠んだ歌は一つもないのです。ここからは、私の推測にすぎませんが、当時の歌人にとって、スズメは、あまりに当たり前に身の回りにいたので、題材にしにくかったのではないでしょうか。それに、当時はよく丸焼きにして食べていたでしょうから、その点からも歌に詠む気にならなかったのではないかと思います。

もう少し時代が下ると、スズメは、「舌切り雀」をはじめとした、おとぎ話にもよく登場します。江戸時代になると、俳句――たとえば小林一茶の「雀の子そこのけそこのけ御馬が通る」――や絵画の中にもその姿が見られます。「スズメの涙」などの慣用句もあります。伊達家の家紋をはじめとして、スズメは意匠にも使われます。

こういったことを合わせて考えると、スズメと言う鳥は、古来より日本人にとって、物理的にも精神的にも身近な鳥だったと思われます。

スズメの漢字表記からもそれが伺えます。「雀」という字は、「小さい」と、鳥を意味する「ふるとり」という部首から成り立っています。「小さい鳥」なんていくらでもいるのですから、やはりスズメがその代表格ということなのでしょう。

季節感のあるスズメ

スズメがいつも身の回りにいるというのは、多くの方が感じてらっしゃることではないでしょうか。一方で、最近、スズメが減ったと感じていらっしゃる方もいるかもしれません。これには「誤解に基づく部分」と「真実の部分」があります。

まず「誤解に基づく部分」ですが、身の回りにいるスズメの数は、季節によって大きく変わるので、その変化から、減ったように勘違いしやすいのです。

スズメは、春になると夫婦になって子育てを始めます。ほとんどの巣は、人工物にある小さな穴に作られます。たとえば、住宅にある小さな隙間や破れ、屋根瓦の下、道路標識のパイプの穴などです。そこに草などを詰めて卵を産み、孵化をさせ、巣の近くにいる昆虫などをせっせとヒナに与えて巣立たせます。そして、夏になって子育てが終わると、もう翌春まで巣には帰らなくなり、数十~数百羽くらいで集まって、群れで行動するようになるのです。

なので、スズメという鳥は、春から夏は町なかのあちこちに家族単位で広く散らばっていて、我々が目にすることが多いのです。一方、秋から冬にかけては、群れになることが多く、しかも一部は、郊外の農地に移動します。そのため町中にいるスズメの総数は減り、見かけることも減るのです。しかし見かけたときには群れなので一度にたくさんのスズメを目にすることになります。

こういう風に季節によって、数も、見かける頻度も違うので、ふと「スズメがいない」と感じる時がありますし、「もっとたくさんいたような・・・」と思いがちなのです。

小さい鳥、少ない鳥

そのような見かけの変動がある一方で「真実の部分」として、長期的には、確かにスズメは減少傾向にあります。いくつかの記録から推測するに、2000年を挟んだ前後約20年間で、その個体数は半減したと考えられます。

原因としては、巣を作れる場所が減ったことが挙げられます。先ほど、スズメは、住宅などの隙間に巣を作ると述べましたが、最近の建物は高気密なので、昔の家のようにスズメが巣を作れる隙間がないのです。実際、新興住宅地に行くと、巣を作る場所がないので、スズメが1羽もいないなんてことがあります。

ひと昔前には、普通にいた生き物が、今や絶滅危惧種という例は数多くあります。スズメはまだ十分に数がいますので、すぐにそうなる心配はありませんが、油断もできません。

先ほど、「小さい鳥」を意味するので「雀」と述べました。しかしこのままでは、「小」と、ふるとりの一画目の払いである「ノ」が一緒になって「少ない鳥」になってしまうかもしれないのです。スズメが、古くから、文章、言葉、意匠に登場し、我々が「そこらにいる小鳥」を「スズメ」と思うのは、スズメと人との関係が続いてきた証拠と言えます。その長い時間紡いできた関係を、次の世代にも伝えられるようにしたいものです。

三上 修(みかみ おさむ)

1974年島根県生まれ。北海道教育大学函館校教授。専門は鳥類生態学。著書『スズメ―つかず・はなれず・二千年』岩波書店 1,500円+税、ほか多数。

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